てつこはじと目でなにを見る?

おかしな家で育ったおかしな娘が書く読み物

『隊長!扉が封鎖されました!』『…策はある』

てつ家から食卓が消えたころ、

てつこはてつ父に連れられて近所のファミレスやラーメン屋で夕飯を食べるようになった。

時々てつ母も一緒にいた気がするが、

てつこの記憶ベースではそんなに頻度は無かった。

 

近所に大好きなファミレスがあった(というか当時ファミレス自体が数無かったけど)

メニューはなんてことない所だけれど、

子どものてつこは「ファミレス」ってだけでウキウキした。

てつ母が一緒にいると「何ここ、タバコ臭い」と言って機嫌が悪くなるので、

てつ父と二人だけのときは気兼ねなくこのファミレスで食事ができた。

 ※ 当時、分煙・禁煙なんて概念無かったですからね。

 

ある夜もこのファミレスに連れて行ってもらった。

ウキウキして好きなものを食べてご満悦でてつことてつ父は帰宅した。

玄関からリビングへ通じるドアに、てつこは手をかけた。

 

開かない。

 

あ、あれ???

開かないんだけど。

 

ドアノブは動くが扉が動かない。

てつ父が何かに気付き、笑った。というか苦笑した。

 

このドアは刷りガラスで向こう側が見えるものだった。

暗いリビングのせいで最初は気付かなかった。

ドアが開かないよう、椅子や段ボールや丸めたカーペットやペットボトルや何やらが天井に届くほどに積み上げられていた。

てつ母特製バリケード

てつ父が力を少し入れてドアを押す。

ガラガラバタバタと何かが崩れる。

 

 

来ないで来ないで来ないで来ないで来ないで

来るなぁぁっぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁあああぁぁぁああああ

 

と叫び声が聞こえた

 

 

 

この日からまたこれも何回か続いた。

てつこは1回だけ、バリケードの隙間からリビングを覗いたことがある。

真っ暗なリビングに、テレビの明かりに照らされたてつ母がいた。

小さな声で1回だけてつ母を呼んだ。

座り込んでしくしくと泣くだけで返事は無かった。振り向きもしなかった。

すぐドアを閉めた。

てつこは自分の部屋に戻り、てつ父はその辺で寝ていた。

 

 

慣れていた。

策でも何でもなく、やり過ごすだけだった。

パパの出社を見守る少女の、表と裏

小さいてつこには朝の日課があった

てつ父の出社を見守ること。

玄関でバイバイをして、近くの駐車場からてつ父の乗った車が無事発車したかを窓から見る。

窓から車が見えなくなるまでバイバイした。

それはそれはとても心温まる風景

 

・・・でてつ家は終わるわけがない。

 

てつこがてつ父を見送るには訳があった。

てつ父が無断欠勤していないか、ちゃんと会社に行ったのか、確認をしていたのだ。

 

喧嘩のレベルが上がるにつれ、てつ父は感情を表さなくなっていった。

帰宅した途端に物を投げつけられ、言いがかりをつけられて罵られるようになっていた。

てつ父の不思議なところは、ほとんどやり返さないところだ。

最初の頃は大声で怒ったり否定したり、てつ母の手を振りほどいたりしていた。

それは段々と無くなり、なんだよ…と不満を漏らす程度になっていた。

 

ある日の昼、てつ父の会社から電話がかかってきた。

「てつ父さん、来てないんだけど。」

 

てつ母とてつこは驚いた。朝いつも通り家を出て行ったのに、何故?

携帯なんかない頃だから、連絡の取りようがない。

まさか、事故に…

 

玄関のピンポンが鳴った。

近所のおばちゃんだった。

「お宅の旦那さん、車の中にずっといるけど、大丈夫なのかしら?」

 

駐車場に行くと、てつ父は運転席を倒して寝ていた。

 

てつ母は鬼のような形相で窓を叩き、てつ父を引っ張り出した。

てつ父はぶすっとしたまま、てつ母の怒号を浴びる。

ご近所さんもうるさくて迷惑しただろう。

 

この日から同じことが度々起きた。

普通に出社することもある。

てつこは「今日会社行く?」と不安そうに聞くと、笑いながらてつ父は「行くよ」と答える。

それでも行かない日があった。

だから窓から確認できるところまで確認するようになった。

そして嬉しそうにてつ母に「てつ父の車がちゃんと出たよ!」と無邪気に教えるのだった。

てつ母は笑っていた。

 

笑うしかなかったよね。

朝は不機嫌、昼は眠そう、夕方はにこやか、がアタシ流☆彡

朝のてつこは大変怖い顔をしている(最近特にそうらしい、同僚談)。

 

子どものころから朝は苦手だ。

血圧は低め。いつ計っても上が100くらい。

てつ父に起こされないと起きなかった。

てつ父も寝坊すると勿論てつこも起きないので、一緒に遅刻する。

 

てつ家には朝ごはん文化は一切ないので、

最低限の洗顔と歯磨きを済ませたらあわただしく出ていく。

 

今も同じ。

朝ごはんを食べる気にならない。

ようやく飲み物は飲むようになった。意識的にジュースや牛乳といったカロリー高めのを。

「昔から朝ごはんは食べないんです」

というと結構不思議に思われる。

「へぇ~、そうなの?家族みんな朝ごはん食べないの?」

「えぇ、まぁ。家族の朝の時間…揃わなかったので…」

「へぇ~???」

 

「喧嘩の挙句、てつ父は床で寝ていて、てつ母は不倫相手とネットでチャット(90年代)を明け方までしていたから朝は寝てたんですよー(^^)」

なんて言えない…

 

朝ごはんを食べていないせいか、低血圧のせいか、朝から

「おはよう!今日も眠そうだね!聞いてよ、昨日さぁ~(以下略」

と元気のよい方々に話しかけられてしまうと

げんなりしてしまう。

性悪だと思うが、仕方ない。心の底からげんなりしているので。

 

朝は昨晩の嫌な夢を思い出しているか、

今日するべき仕事・やりたいことを反芻しているので、

朝は全く余裕がない。

それが段取りよく行くと、昼には余裕と眠気が出て、午後に元気が出てくる。

良くない良くない良くない・・・

と思っていたが、治らないので諦めた。

挨拶に対しては朝できる最上級の笑顔で応えるようにしたので、ご勘弁いだきたい…。

 

ただ、大人の方々には意外と受け入れられるもので、

そういうキャラとして押し通るのも悪くはない。

朝くらいは楽させてもらおう。

優しくすると付け込まれ、放っておくとなじられる

人との接し方の加減がわからない

優しく声をかけたり手伝ってあげたり手を差し伸べたりする。

感謝されることも多い。

けれど、最近はなんだかそこに付け込まれている気がする。

 

言い出しっぺがやらなきゃいけない。

手を出したらなら最後まで責任を取らないといけない。

知っているなら手伝わないといけない。

 

どうして、私がやらないといけないのか。

どうして、

どうして、

 

てつ母の話を聞いてあげて、同意してあげて、一緒に泣いてあげて。

てつ父に布団をかけてあげて、薬を出してあげて、一緒にいてあげて。

 

一人になった今でも

「どうして」

そんな気持ちが消えない。

 

何が自分のやりたいことなのか、

本気でわからなくなる自分が情けない。

とにかく今は温かい布団でぬくぬくとしていたい。クーラーはかけたままでね。

身体の弱さ、心の脆さ、信頼の薄さ(2)

てつ母は体調が悪くなるにつれ、不思議な言動も増えていった

お酒を飲んでいないのに朦朧としていたり、

「私は昔歌手だったのよ」と嘘のような話をするようになっていった。

 

いつも通り喧嘩をしていた夜のこと。

てつ母はまた朦朧とし始めた。そして突然、

「おくすり かいに いく…」

と言い始めた。確かによく行く薬局はあった。だが、時計は夜中の12時だ。

てつこは止めた。今は夜だからやってないよ、と。

 

「ううん おくすり かい いく」

 

てつ母は足を止めなかった。サンダルを履いて玄関から出て行った。

そのすぐ後、大きな物音と女性の悲鳴が響いた。

てつ家は2階にあって、すぐ側に階段があった。

嫌な予感がした。

てつこはドアを開けて外の廊下に飛び出した。

サンダルが点々と脱げていた。

それを追っててつこが行くと、階段の下にてつ母がうつぶせに倒れていた。

 

「ねえ!階段から落ちた!救急車よんで!」

てつこは急いでてつ父に言いに行った。

その時の目が怖かった。

てつ父の

冷たい目。

 

怒りなのか、うざかったのか、ざまあみろと思ったのか、全くわからない。

 

ただ、てつ父はてつこの言葉に何の返事もしなかった。

ただ、無言でてつこをにらみ続けた。

勿論、救急車は来なかった。

何分経ったんだろう、てつ母はいつの間にかふらふらと家に戻ってきて横になった。

 

てつこはまた何もできなかった。

いや、何もできなかったんじゃない。

何もしてもらえなかったんだ。

てつこはちゃんと言ったんだ。

なのに

なのに

何もしてもらえなかったんだ。

 

てつ家にはもう既に「絆」なんて無かった。

身体の弱さ、心の脆さ、信頼の薄さ(1)

てつこが小学校に上がる前の出来事。

 

てつ母は元々身体が弱かったらしい。

少なくとも、てつこの記憶を辿って一番古い記憶でも、てつ母はよく体調を崩していた。

 

その古い記憶。

てつ母はよくトイレに駆け込んでいた。

てつこが一人でリビングで遊んでいても、テレビを二人で見ていても、料理をしている最中でも、

何か心理的なきっかけがあったのかはわからないけれども、

よくトイレに駆け込んでいた。

 

てつこが心配して駆け寄ると

「来ないで!」と言われ、近寄れなかった。

それでも何回もあるもんだから、より心配になってトイレを覗き込む。

苦しそうに咳き込み、便座にもたれかかるてつ母の姿があった。

その度にてつこはトイレの扉の前に立ち尽くした。

小さなてつこに出来ることなんで、何もなかった。

 

苦しそうに

「ごめんね、ごめんね…」と謝るてつ母の声を

ただただ近くで聞いているだけだった。

 

あくる日も突然トイレに駆け込んだ。

かと思ったら、その扉の前で力尽き、倒れこんだ。

てつこは驚いた。

とっさの判断で、大きな青いバケツを洗面所からとってきて、倒れたてつ母の顔の横に置いた。

てつ母が吐いた。

 

ここからは不思議な記憶。

バケツに目を落とすと、大きな大きな幼虫がいた。

蛍光ペンの緑色をした、モスラみたいな幼虫。

「てつ母が虫を吐いた!!!」

てつこは焦った。

虫のせいで苦しんでいるんだ!とその時は本気で思った。

後日、てつ母に「なんで虫を吐いたの?」とも真面目に質問した。

もちろん「?」って反応だったけれども。

あまりに衝撃的で、てつこ自身の記憶にモザイク処理でもかかったのだろう。。。

 

 

身体が弱いだけなら、まだ、よかった。

てつこはまだまだ小さいけれど、既にてつ家は壊れかけていた。

てつ家の食卓(2)

てつこの良い所は好き嫌いがない所だ

基本、なんでも残さず食べる

それが礼儀だと両親から学んだ

 

てつこが小学校に上がってしばらくすると、

てつ母は料理をしなくなった。

代わりに、仕事帰りのてつ父がごはんを用意してくれるようになった。

元々手先の器用なてつ父は、苦戦することなく味噌汁を作ったり野菜炒めを作ったりしてくれた。

シーフードカレーは少ししょっぱかったが、おいしかった。

それでも平日は仕事なので夜が遅い。

自然とスーパーなどの総菜が食卓に並ぶようになった。

 

コンビニの餃子は相当な頻度で食べていた。

ラー油と醤油の小袋をつけたままレンジで温めて爆発したり、

温めすぎて容器が溶けてぐちゃぐちゃになったり、よくしていた。

その度にてつ父はケラケラと笑って、やっちまったーと言っていた。

勿体ないからてつこは率先して食べた。

プラスチックのにおいが口に広がるけれども、不思議と気にならなかった。

将来、自分が産む子どもに何か影響あるかな?と真面目に考えたことは正直あったけれども。

 

てつ母はてつ父の手料理もスーパーの総菜も、あまり口にしなかった。

口にしたかと思うと「しょっぱい」「まずい」「くさい」と罵るだけ罵って、

食べられるものだけを食べて、食卓から離れた。

 

段々と、てつ父も料理をしなくなった。

休日はファミレスか、ファーストフードのハンバーガーやデリバリーのピザ。

カップラーメンもよく登場した。

てつこがおいしいと褒めたカップラーメンを、

てつ父は仕事帰りによく買ってきてくれ、てつ母はどこからか箱買いしてきた。

一週間は生き延びられるような量のカップラーメンがてつ家に備蓄された。

 

てつこは子どもの頃から、基本何でも食べた

出されたものは何でも食べた

それは、てつ家の食卓で学んだこと。

誰かが食べないとそれはゴミ箱に行く。

そしてそれを作った人・用意した人がとても悲しい顔をする。

非常にシンプルで当たり前のことなんだけれども、人の心を傷付けるとても残酷なこと。

てつこはそんな残酷なことはしたくなかった。

嘘でも『おいしいよ』と言って口にすれば、目の前の人はすぐ笑顔になるんだから。

楽しい食卓の作法と礼儀って、とても簡単なこと。

 

 

 

でもそんなこと、小さいてつこが毎食毎食気を配らないといけないことだったのかな。