てつこはじと目でなにを見る?

おかしな家で育ったおかしな娘が書く読み物

他人に優しく、自分に厳しく、親しくなってきた人には冷たくする、ひねくれ者は誰だ。

有難いことに、会社でメッセージカードを数人からいただいた。

仕事上での感謝などを伝える、いわゆるサンクスカード。

それを帰り際に目を通した。

いずれもホントにホントに有難いことに、

応対や仕事が丁寧だ・いつも笑顔で優しい、とのお言葉をいただいた。

 

素直に嬉しかった。

 

一方で

 

てつこはそんなに「丁寧」なのかな?と思った。

 

ああ、どうしてもっと素直に受け入れられないのだろうか。

いつものひねくれ者が心に出てきたんだ、と思うようにした。

 

でも、

でも、本当にてつこが「丁寧」で「優しい」なら、、、

どこでそんな世渡り術を覚えたんだろう?と自身のことながら不思議に思った。

 

てつ家はそんなワードとは程遠い環境だった。

それでもたまーにあった、てつ家の温かさ(ぬるさ、くらいが本当のところかも)が

てつこに受け継がれたのであろうか。

 

てつ父はきっとてつ母が最初は好きだった。だから結婚した。

殴られても蹴られても裏切られても、不思議なことに彼は結婚記念日に花を買ってきて、てつ母に渡した。

あんな光景はたった一度きりだけど、一瞬てつ家に温かさが戻ったのを覚えている。

 

てつ母はてつこのことを、本当は愛していたはずだ。

怒りに任せててつこを突き飛ばしたり罵ったりしても、はっと我に返り小さいてつこを抱きしめた。

自業自得ながらも孤立しがちだったてつ母は、きっと育児に悩んでいたんだろう。

 

今でも憎いあの二人にも、人の心があった。

それは事実。

一瞬のその心が、てつこの心にも届いたことが幸いだったのかもしれない。

 

そう自己分析してみても、腑に落ちない点がある。

てつこは仲良くなり始めた人を急に避けてしまう悪い癖を持っている。

何より、てつこ自身が身体や心を傷付けてしまい、自分に優しくできない思考を持っている。

それは何故なのか。

最近考えているけれども上手く考えがまとまらない。

怖いのだ。

てつこの悪い所、それと相対するのが怖いのだ。

きっと。

 

だからやっぱりてつこは「丁寧」でも「優しく」もない。

結局は作り笑いでやり過ごしているだけなんだよ。

 

 

ぐるぐるぐるぐると堂々巡りを最近している。

てつこの中にいるひねくれ者のおかげで、てつこの性格が定まらない。

そんな不思議な感覚を、いい歳になっても患っている。

打てば響く、そんな相手をずっと待っている

いくつかの精神科を巡ったてつこだが、カウンセリングは受けたことが無かった。

ここ最近の心身の不調を受けて、初めて受けてみた。

以前は精神科で薬をもらうことが治ることだと思っていた。

カウンセリングは保険は効かないし、

話をするだけで本当に良くなるのかなぁと半信半疑だった。

 

それでも最近、

誰かに話を聞いてほしい。

てつこ自身が思っている以上にてつこの中に色々溜まっているのかもしれない。

 

と思えるようになってきた。

以前は余計な考えを振り払うだけでいっぱいいっぱいだった。

少しずつ心に余裕が出てきたのだろうか。

 

 

カウンセリングはまだ始まったばかり。

それでも発見があった。

てつこの傷は小さい頃に受けたにも関わらず、じゅくじゅくと膿んでいること。

まだ『古傷』にならずに痛んでいること。

そして傷によって出来てしまった心の穴は『埋められない』こと。

図らずも

昔は安心できる家が欲しかった。今は逃げられる家が欲しい。 - てつこはじと目でなにを見る?

で、てつこ自身で書いたことと同じことを言われた。

 

そう、てつこは気付いていた。解決の糸口に。

それでも何もできていなかった。

頭の中でぐるぐると巡っていただけで

本当にそうなのかな?と自分の考えを信じていなかった。ここにも自分不信が存在していた。

 

カウンセリングを受けてみて気付けた。

『てつこは、てつこの言動に対して何かを応えてくれる人が欲しかったんだな、ずっと。』

考えに同調したりアドバイスしてくれたり、

てつこのことを考えて否定してくれたりする人が、今までいなかった。

 

寂しい事実にまた一つ気付いてしまったけれども、

これからは響いてくれる人に一人でも多く出会って大切にしていきたいと思う。

私は何も出来ない人間。そんな自己否定の先にある『何か』。

てつこは、

てつ母からなじられて育てられた

てつ母から何でもかんでも「あなたのため」と言われて責任を転嫁させられた

てつ父は会話してくれなかった

てつ父はてつ母から殴られて蹴られて小さくなっていた

 

てつこは、

「何もできなくてごめんなさい」とよく泣いた。

てつ父が傷ついてもてつ母が泣き喚いても、何もできることが無かった。

 

それは学生になっても同じ。

てつこ自身の将来を考えることだけで精一杯だった。

バイトしてもてつこ用のお金しか稼がなかった。

そして社会人になっても同じ。

お給料が良くないからてつこ自身の生活で精一杯だ。

てつ父が仕事を辞めても養えない。

てつ母が不倫相手から見放されても養えない。

 

今現在も同じ。

親二人を思い出して、生きているのか心配しつつも養えない。

そんな負の感情がぐるぐる回って、てつこ自身の身体に異変が起きても自分で気付けない。

 

てつこは何もできない子。

 

何かをやりたいと思って、何かをやり遂げたことが無い子。

何かを満足にやったことが無い子。

何ができるか、自分でわからない子。

 

周りから責め立てられても、自分自身奮い立たせても、できないことはできないよ…

 

情けない。

かなしい。

できない。

ずっとずっとそんな感情に頭のてっぺんまで浸かって、染まっていた。

 

それでも少しずつ

てつこがよく言われること、よく褒めてもらえること、

それらを一つ一つ拾っているのが今の状態。

「気が利く」「優しい」「周りの変化にすぐ気づく」「丁寧」

褒められてもきっと‘おべっか’だろうと思っていた。

でもどうやら相手は本気で言ってくれているらしい。

 

もしかしたら、何か一つくらい出来ていることがあるのかなぁ

 

そうやって前を向くと、すぐに悪寒がする。

『てつこは何もできない子』

勘違いをするんじゃねーぞと、もう一人のてつこが囁く。

そうやって他人を信じて調子に乗って、すぐ失敗するのがお前のダメな所なんだよ。

悪あがきするんじゃねーよ、てつこ。

 

『人を信じない呪い』と同じように、

強力接着剤で貼られたレッテルをどうやって取ればよいのだろうか。

その先に、

自分を肯定できる思考回路が出来上がった時に、

てつこはどんな「てつこ」になるんだろうか。

重苦しい日々は無くなるのだろうか。

それとも意外とそんなに変わらないだろうか。

とにかく今は明るい未来を信じて、一つ一つを紡いでいくしかないんだろうか。

 

そうやって今日も空しい気持ちになって泣くのである。

ちょっとした愛情を「受け止めてくれる」相手がいたら、変われるか??

猫が好きだ。

犬は嫌いではないが、クールな猫の方がかわいらしく感じる。

猫が欲しい。

しかし、てつこは重度の猫アレルギーだ。

キレイと評判の猫カフェに行って、5分でくしゃみ鼻水涙息切れが起きて死にかけた。

(それでも30枚程写真は撮って出たけれども)

 

鳥も好きだ。

インコやあひるがとてもかわいい。

最近流行りのカワウソもかわいい。

ウサギやハムスターもかわいい。

ただ、どれももふもふしているので、アレルギー検査をした方がいいだろう…。

 

そう、最近「ペットが欲しい」感情の波が高まりつつある。

 

ああ、そうだ。

アレルギーが出なそうなペットなら「魚」なんてどうだろうか。

 

 

てつ父は天体望遠鏡事件↓の後、「熱帯魚」を飼い始めた。

てつこは星座早見表の使い方を覚えていない - てつこはじと目でなにを見る?

「熱帯魚」も突然買ってきたのだった。

手先が器用なてつ父はあっという間に魚の種類を増やし、

水槽を大きくし、小さな岩や流木を入れたりして、それはそれは立派なモノになった。

こまめに掃除もして、魚が卵を産んで更に増え、

てつこも水槽をぼーっと見ては癒されたし楽しかった。

何よりてつ父自身の立派な趣味となったことが、

ピリピリしているてつ家の中で、てつ父にもてつこにも良い安定剤となった。

(勿論、てつ母には「(魚が)臭い・気持ち悪い」とイラつきの種でしかなかったが)

 

 

ゆらゆらと泳ぐ魚を見ていると、確かに気持ちが落ち着いた。

頭の中に浮かぶ余計なことが消えていく感じがする。

てつ父も同じことを感じていたのだろうか。

 

てつ父は幼い頃に両親と死に別れ、顔もあまり覚えていないと言っていた。

寂しい思いを抱えると、人はなぜだかペットが欲しくなる。

てつ父もてつこも、他人に愛情とかの感情をまず「表現」をするのが苦手だ。

だからこそ勝手にすり寄ってきてくれるペットに惹かれるのかもしれない。

何より、人間よりもペットのほうが「楽」なのだ。

きちんとお世話をすれば、何も考えなくてよい。

 

てつこは一時期、子どものいない自分がペットを飼ったら

‘寂しいオンナ’に見られちゃうなぁと勝手に偏見を持っていた。

本当はそんなことはどうでもよくて、

「誰にどうやって向ければよいかわからなくて、持て余している愛情」を

受け取ってくれる相手が早くほしい。

それがペットでなくても、子どもでもパートナーでも誰でもよい。

とにかく愛情のやり取りがしたい。

 

勝手な偏見や思い出は捨てないとなぁ。

ワタシはなんのビョーキですか?

てつこの体調不良が続く。

しんどいが幸いにも身体は動くので、せっせと病院巡りをする。

会社へ休暇する旨の電話をすると

「病院行った?」

「何て言われた?」

「もしかして精神的なモノ?」

と必ず聞かれる。検査結果が出てないのでわからないと伝えると、

非常に残念そうな声に変わる。

 

早く病名を特定しなくては。

 

てつこは焦る。

てつこは何のビョーキなんだろう??

 

・・・もしこの電話で

「はい、自分は精神に弱さがあり、統合失調症で通院を再び始めました」

とはっきりと言ったら、彼・彼女らは納得してくれるのだろうか。

と、意地悪な考えが浮かぶ。

 

 

彼らが正しいとは思いつつも少々違和感があるのは、

すぐに「病院に行け」となる風潮。

体調が悪くなったら勿論病院に行くべきである。

ただ、「すぐ病院に行け。そして病名をもらって、数日で完治なさい。」という

言葉の裏があるような気がしてならない。

 

風邪や胃腸炎で病院に駆け込み、

「本来自然治癒するから特効薬はないよ。最低限のお薬は出すけどね。」

と言われて戻ってくると、多くの同僚は『なんてヤブ医者だ!』と怒る。

てつこに怒られても・・・と毎回思うが、

意外にも逆の立場になると、その同僚も困惑する。

 

病院に1回行けば万事解決する、と思っている人が結構いる。

 

 

何の病気なの?どうすれば良くなるの?

てつこ自身にもお医者さんにもわからないことを問い詰められ、

弱っている心がより締め付けられる。

てつこの心と体の弱さ、これが情けなくて泣けてくる。

好きで「てつこ」に生まれたわけではない、

そんな悲観的な状況に追い込まれていく。

 

つくづく思う。

人はなんてめんどくさいんだろう。他人も、自分も。

洗っても洗っても落ちない「私はダメな奴だ」「なんて情けない奴だ」という『汚れ』

腸炎を起こし有給を取った。

上司に電話をして軽い引継ぎを伝えた最後、

明日も…休んだら?と声をかけられた。

 

それを聞いた瞬間、泣いてしまった。

 

心配されて嬉しかったのではなく、嫌味で言われたわけでもなく、

ただただ自分の情けなさに泣いた。

今年に入りちょくちょく体調を崩している。

実際に身体に症状が出てしまい、1日2日と休むこともあった。

上司もそれを知っており、心配して無理するなと言ってくれだけであろう。

 

今のてつこには、それすら自分を責め立てる言葉に聞こえてしまった。

「いい加減に体調戻しなさい」

頭の中でそう響いてしまったのだ。

 

明日も休んだら、てつこは『普通』の状態になるのだろうか。

だったら有給なんて使い切ってやる。

同僚に多少の迷惑をかけても、一人欠けたくらいで回らなくなる職場でもないし。

でもきっと明日はてつこは出社する。

 

家で一人、テレビを見ながらひたすら水や味噌汁を飲む。

こういう時、思い出すのはてつ家のこと。

てつ母も病弱だった。

倒れたてつ母に布団をかけたり水をあげたり看病したこともある。

その内「私は重い病気だ」と言いつつ、

「てつちゃんのために入院しないで薬で治してるのよ」と言われた。

てつこが、自分のことはいいからちゃんと入院して治せばいいと諭すと烈火のごとくキレた。

なぜ入院しないのかは最後まで理解できなかった。

そして彼女が何の病気なのかもよくわからなかった。

 

一人でいるとこんな思い出ばかり蘇る。

かといって、誰かと一緒にいるのも相手のことが気になって疲れてしまう。

 

常に疲れているのが身体にも良くないはずだ。

てつこなりに食事に気を遣ったり早く寝たり、外に出たり温泉に行ったり…

それでも体調や心を崩す。

ここ何年もずっと体中を洗っているのに『汚れ』が取れない。

ゴシゴシと赤くなるまでこすっても取れていない気がする。

頭の片隅では取れないことを理解しているのに、洗うことをやめられない。

そして『汚れ』が症状として身体に出てしまった時、

また「あぁ、私は体調管理もできない情けない人間だ」と思ってしまう。

 

完璧にキレイでなくていいんだろう。

でもやっぱり、『あの二人』よりはキレイでいたい。

そんな余計な価値観を今すぐ捨てられたら楽になれるだろうか。

タイムマシンで『人を信じない呪い』を自分で自分にかけたあの頃に、戻りたい。

てつ母の嫌な所はてつこの心にずかずかと土足で踏み込んでくるところ。

 

てつこがテレビを見て好きなアニメソングを口ずさむと

「お前はなんでそんな音痴なんだ、私はこんなに歌が上手いのに」

てつこがこの服着たいなと思って手に取ると

「お前は足が短いんだから、そんなロングスカート似合わないわよ」

 

些細なことで否定されるのは慣れた。

だが、遊びに行こうとした時に相手の友人をボロクソに言ったり、

帰りが遅い!と友人宅やバイト先に電凸してきて恥ずかしい思いをさせたり、

「この人あなたに合うと思うの」とどこかで知り合った男性をてつこに引き合わせたり、

疎遠になってきた頃てつこの友人達に「てつこが私(=てつ母)を受け入れるよう説得してくれない?」と言い回ったり、

『てつ母の思い通りになるように、てつこにも他の人にも仕向けてくる』

のが耐えられなかった。

 

彼女の怖さは『周りを巻き込むこと』なのだ

 

 

てつこが生まれた時からそんな感じで、成長していくにつれ顕著になっていった。

勿論そんな感じにはウンザリして距離を取る。

 

一方でてつこには「母の顔」も見せる。

風邪を引けば看病するし、普段のおしゃべりもするし、食事や服も買い与えるし。

また一方でてつ母自身の「弱さ」を見せる。

病弱を誇張したり、てつ父からひどいことをされたと言い、こんな母親でごめんねと泣きながら詫びてくる。

 

それを見たてつこが心配したり同情したりすると、一気に距離を詰めてくる。

『だからてつちゃんは私のことを見捨てないでね?』

となる。そして最初に戻る。これを毎日毎週毎月繰り返すのだ。

 

てつ父はそれを見ながら何も反応しない。酒を飲んで黙っているだけ。

 

てつこは早くも小学校時代に人間不信に陥った。

人を信じない。

信じてもどうせ裏切られる。

自分が泣くくらいなら最初から諦めておけばいい。

中学高校と成長しても、それは揺らがなかった。

大学社会人となっても、あぁやっぱり他人なんて信じない方が楽だ、と思った。

 

それでも信じないとやっていけない。

会話ができない、仕事をお願いできない、コミュニケーションが取れない。

全部自分で解決できることなんて世の中無いのだから。

 

そう気付いたのに、根深い『呪い』がなかなか解けない。

他人なんか信じなくていいという呪いが、いつの間にか自分自身も信じない呪いにもなった。

 

他人を信じてないから、他人に興味関心があまりわかないし面倒になったら会わなくていいやとなってしまう。

だから本当に心を許せる友人もできない。恋人もできない。

かと言って自分の容姿や性格や能力や言動や信念に自信がないから、どうすればいいか実はわかっていない。

 

 

あの頃のてつこは人を信じないことで心を守ってきた。

それは正解だったかもしれない。

ただ、時空をねじ曲げてあの頃に戻れたなら、

「大きくなったら今よりも強くなって良いこともあるから、どうか望みを捨てないで」

と、冷めきったてつこに声をかけたい。