てつこはじと目でなにを見る?

おかしな家で育ったおかしな娘が書く読み物

「置いてけぼり」にされることへの異常な恐怖感

以前、山で置いてけぼりにされた子どものニュースがあった。

言うことを聞かなかったため一瞬の躾だったのか、真意はわからないが両親に山の中で一人にされて、親がその場に戻ってきたときにはその子は行方不明。

数日後無事発見された、というもの。

 

そのニュースを見た時、嫌なことを思い出した。

 

てつ父は家族で出かけるとフラフラと一人でどこかに行ってしまう癖があった。

とある観光地へ家族で車で出かけた際、てつ母とてつこで先を歩いていた。

てつこがふと後ろを向く。

…いるはずのてつ父がいない。

近くを探すが、いない。

いつもなら10~20分探せばひょいっと出てくるのに、今回は違う。見つからない。

みるみるてつ母の顔が般若のように怒りに満ちていった。

てつこはてつ母の怒りが怖かったのと、何より「家に帰れないのでは」と心配になった。

車を運転できるのはてつ父しかいない、当時携帯電話なんかない。連絡取れない。

見知らぬ観光地で、てつことてつ母は1時間以上も途方にくれた。

結局、ひょいっとてつ父は目の前に現れたんだけれども。

 

似たようなことは数回あった。

その度にてつこは『見捨てられたのではないか』という悲しさと怖さで泣いた。

数回体験しても慣れない、あの不安感。

 

とにかくてつこは何でも「置いてけぼり」にされることが、とても怖い。

周りの人が自分以外とヒソヒソ話していると気になる。

てつこが知らない話題が出てくると、仲間外れにされた気がする。

このくらいで済めばいいのだが、以前の恋人さんとの関係性にも「それ」は現れた。

恋人さんはてつこも好きだが、ギャンブルも好きだった。

朝起きると恋人さんは「ちょっとコンビニ行く」と言っては夜まで帰ってこない。

そう、嘘をついて大好きなギャンブルに行くのであった。家に置いてあるお金を持って。

てつこは泣いて止めたが、それでも行ってしまう。

…てつこはギャンブル自体はどうでもよかった。

ただただ、自分を置いて出て行ってしまう、しかも嘘をついてまで行ってしまう恋人さんのことが嫌で悲しかった。

一人家に残され、一日中泣いていた。

 

てつこは「あ、今、自分は置いてけぼりをくらっている」と認識すると途端に「悲しみスイッチ」がONになる仕組みのようだ。

 

一人が嫌なんじゃない

話題に乗り遅れることが嫌なんじゃない

お金を持ち逃げされることが嫌なんじゃない

とにかく、てつこのことをスルーされてしまうことが嫌で不安でたまらない。

いわゆるこれが『見捨てられ不安』というやつか。

 

死ぬまで側にいて都合よく話し相手になってくれて絶対に裏切らない、そんな忠実で頼りになるロボットが発売されたらいいのになぁ。

「どっちでもいい」と「どっちかにしなきゃ」のハザマで悩む悪循環

てつこは大学の卒業論文で『生きづらさ』を取り上げた。

LGTBQの人たちにインタビューしてどんな生きづらさを抱えているのか、

そしててつこ自身が抱えて考えている『生きづらさ』と照らし合わせてどう差異があるのか検討する内容であった。

てつこ自身の結論として、(自分を含め)出会った全ての人が抱える問題に差異は無く、

男と女・同性愛と異性愛・普通と変人…といった、「2つしかない選択肢」を迫られることへの違和感だと結論付けた。

 

それから10年以上経ち、てつこ自身の生き方にその結論は何か影響を与えたのか?

 

・・・残念ながらまだ「こうしなきゃ」「ああしなきゃ」と考える日々を送っている。

世間でいう『普通』にならなくてはと右往左往している。

自分がやりたいことをやる、

自分が決めたことをやる、

自分が好きなことをやる、

そうは思いつつも、結局はしがないOLになり、先輩や上司に媚びへつらい、

リア充ではないことに落胆し、毒親に育てられた自分を責め立てる・・・

具体的な「普通」は無いにもかかわらず「普通」を追い求めている。

他人にストレスフリーに好きな方で生きればいいじゃない、と言われては凹む。

そんな日々。

 

てつこの人生に、模範となる生き方の選択肢があまり存在していないせいだろう。

『こんな風になりたいな』

そんなイメージは子どもの頃から持ち合わせていなかった。

毎日を生きるのに必死で、

両親のご機嫌を取るのに必死で、

将来一人で生きていくことをひたすら夢見て生きてきたてつこに、

『こんな風になりたいな』なんて理想像に目もくれる余裕がなかった。

社会上の人物にも芸能人にも親戚にも身近な職業にも、そんな理想を抱かなかった。

 

ただ二つ、こうあるべきだと知っていたこと。それは、

 

母のように嘘ばかりついて信頼の無い人物に成り下がらないことと、

父のように無断欠勤して会社を首にならないように常識の範囲で勤めること。

 

だからこそ今、

にこにこと笑顔で仕事を行い同僚や上司からの信頼を勝ち取ることと、

OLだろうと何だろうときちんと仕事を行うこと。

例えそれが身体を壊そうとも、

それだけは心の奥底から湧き出て揺ぎ無いてつこのポリシー。

 

要は『普通』であること。

常識的な社会に出た大人であること。

それがきっとてつこの『こんな風になりたいな』というイメージ。

 

だからこそ

「もっと自分の好きなように生きなよ」「普通じゃなくていいんだよ」「逸脱してもいいじゃない、そんなものどっちでもいいんだよ」等と、

理想的な一基準である『普通』を否定されると違和感がある。

なんとまぁ、てつこは面倒な価値観を持っていることか。

 

マイノリティとマジョリティ、

その間に横たわる『普通』を結局てつこは肯定している。

『普通』という基準線を客観的に見て超えたり超えなかったり、そういう判断を臨機応変に下して、尚且つ肯定的にそれを捉えること。

そうすればいいのに、てつこはわかったつもりで出来ていない。難しく考えてしまう。

 

「生きづらさ」って結局は自分で生み出しちゃってるのかもなぁ

 

なんて、そんなことを考えた9月の終わり。

己のこころが「痛い!」と叫ぶまで。

てつこへの手紙にもあったように、どうやらてつこは「鈍感」らしい。

jitomenotetsuko.hatenablog.com

 

自分の頑張りや疲れに鈍くて、すぐ身体に出てしまうタイプ。

そうだ。

過去に2回、身体と心を酷使して悲鳴を上げたことがあったじゃないか。

jitomenotetsuko.hatenablog.com

jitomenotetsuko.hatenablog.com

この時の感情や気持ち、手の震え、口の渇き、止まらない涙、恐れ、気持ち悪さ、めまい、顔のほてり、、、それらを今でもよく覚えている。

 

1回目のなわとびを括りつけたときはまだ小学生だった。

なのに心も身体も疲れて切って死のうとしたのだ。

毎日見たくもない光景を見て、鬱状態だったのかもしれない。

2回目の自ら死のうとするのでは?という恐怖によって外に出られなくなったときは、身体が疲れてきっていた。

この出来事の少し前から朝遅刻したり、突然体調不良で休んだりしたものだ。

てつこが勤める会社はブラック企業ではないが、過労死する人たちの気持ちや状況が少しわかる気がする。

 

どちらもてつこの心の鈍感さが生み出した極限状態。

普段の鈍さを通り越して、麻痺ともいえるだろうか。

身体が疲れて気持ちも弱って、それでも心は頑張ろうとして麻痺して・・・

・・・そして突然「痛い!」と心が声を上げる。

その直前まで、てつこ自身は学校に行ったり会社に行ったりと動き続ける。

 

恐ろしいけれど、こういう人はてつこだけでなく、たくさんいるはずだ。

てつこは今生きている。

しかも比較的健康に生きている。

てつこは恵まれている。もっともっと辛い人がいるだろう。

そういう人が身近にいたら、てつこは何かできるだろうか。

いや、深入りしてはいけない。しっかりした心で接しないと共倒れになることを、てつこは知っている。

でもやっぱり助けになりたい。

 

そう思うことが真面目で頑張り過ぎているのだろうか。

そう思うことは無理なことなんだろうか。

そう思うことで変わることは何もないのだろうか。

 

己のこころの取り扱いって難しい。

あなたがわたしにくれたモノ。

最近ずーっとてつこの頭の中を巡り巡っているフレーズがある。

『あなたがわたしにくれたもの』

というフレーズ。

そんな歌があったなぁ。JITTERIN'JINNのプレゼントという曲。

あのメロディにのせて、このフレーズがずーっと頭を回っている。。。

 

何故突然頭を回りだしたのかがわからない。きっかけも無い。

それなのに、考えてしまう。

『あなたがわたしにくれたモノ』

はて?そんな物あったかなぁ・・・

 

てつこに対する「あなた」とは誰になるだろう。

てつこに「何か」を「くれた」んだから良い人なんだろう。

いや、悪い「何か」を「くれた」奴もあり得る。

(実際この歌は二股かけられた女の歌だしな…)

 

 

てつばあ は美味しい焼きおにぎりをいつも作ってくれた

てつじい は死ぬ間際の握手で強く握り返してくれた

友達のはなちゃんはひねくれ者のてつこにいつも優しくしてくれた

友達のひろちゃんはてつこの誕生日に欠かさずプレゼントをくれた

昔の恋人は一人で生きていくことの難しさや大切さを教えてくれた

大学のゼミの先生はてつこが真面目過ぎることを優しく忠告してくれた

会社のとある女上司からは新人時代に培う基礎知識の大切さを叩きこんでくれた

・・・

 

あれ?

てつ父とてつ母が思い浮かばない

彼と彼女はてつこに何をくれたんだろう。

 

何にも出てこない。

 

ひねくれているつもりはない、

意地悪を書こうとしているのではない、

ただただ、何か温かい記憶を思い出したいだけなのに、何も出てこない。

 

てつこから彼と彼女にあげた「物」はたくさんある、つもりだ。

てつ父には布団を差し出して寝床を作ってあげた。

てつ父が悲しそうなときには喋りかけて楽しい気持ちにしてあげた。

てつ母の誕生日には貯めたおこづかいでお花のネックレスを買ってあげた。

てつ母の言う通りにもしたし、良き話し相手にもなってあげた。

 

てつこは二人の面倒をてつこなりに見てきた。

 

逆は???

 

『あなたがわたしにくれたモノ』

 

あなたはてつこを見て何をあげたつもりなんだろう?

てつこはあの人を見て何を受け取ってきたんだろう?

よくわからないや。

 

 

 

~~~追記~~~

一つ、てつ父がてつこにくれた物を思い出した。

腕時計。

今でも大切に持っている。電池は切れてしまったけど、実は飾ってある。

確か大学の頃にくれた物。

てつ父はちょいちょいこういうことをしてくれた。

だから、憎しみが薄い。

物につられている訳ではないけどそこに込められた想いを、ひねくれ者のてつこでもきちんと受け取ってはいる。

根は優しいてつ父のことを助けられなかったという重みも抱えてしまったけれども…

男ものの服を着て、己の女性性を隠そうとした若かりし日々のこと。

てつこは『げんしけん』という漫画を読んだことがある。

漫画やアニメのオタクたちが集まる大学サークルのお話。

その中に『荻上さん』という女の子が出てくるのだが、てつこはこの荻上さんに激しく惹かれ、関心をもった。

彼女は男もののトレーナーやシャツで常にだぼっとした服装をしている。

勿論かわいくない(あ、服装がね)。

性格もひねくれている(あ、最初は服装以外もかわいくなかった)。

 

何に惹かれたのかというと、男ものの服を着ている点とひねくれている点(ジト目である点も)。

てつこも大学時代は荻上さんとまるきり同じことをしていた。

黒歴史といえば、黒歴史

 

男性的な服装が好きとか男装したいとかではなく、

『身体の線が見えるのが嫌』という気持ちが強かった。

スカートや当時の'ちびT'やミュールなんてもってのほか。毛嫌いしていた。

女性らしい恰好をしたときの胸のふくらみやお尻の肉付きといった、

女の子っぽい!というのを自分に感じてしまうと、

大げさでなく「吐き気」がしてしまった。ひどい頃は自傷癖によって傷付ける程だった。

 

どうやら、アダルトチルドレンとされる人たちにはこういった傾向があるらしい。

ネットや本で読んだ知識ではあるが。

様々な理由があるようだが、てつこの場合は何だっただろう。

 

てつ母はヒラヒラふりふりのお人形さんのような服が好きだった。

jitomenotetsuko.hatenablog.com

・・・もしかしたら。

「かわいい」「女の子らしい」という印象や感情が、てつ母とリンクしていたからかもしれない。

ちょうど大学の頃はてつ母への憎しみや嫌悪感がピークであった。

顔も思い出したくもない。声も聞きたくない。気持ち悪い。怖い。そんな気持ちだった。

そこに自分はブスで何を着ても似合わないという自己否定感が上乗せされ、

女の子らしい洋服自体に拒否反応が出てしまったのではないか。

てつ母の女性らしさ、そこにてつこは過剰反応して何もかも否定してしまったのではないか。

 

 

 

・・・でもそんなこと今更考えても大学時代は戻ってこないんだよなぁ

 

あの時てつこもきちんと身なりを整えていれば、リア充てつこになっていただろうか。

インスタとか始めていただろうか。

ジト目がぱっちり目になっただろうか。

 

それは無理か。

身体が弱い、心が弱い、と自分を責めるあなたへ

拝啓

 

秋の気配を感じる頃、いかがお過ごしでしょうか。少々雨の日が多いですね。

お加減いかがですか。

月に数日は体調を崩されているようですね。

お腹を壊したり風邪をひいたり喉を傷めたり・・・。

先日は胃腸炎になったとお聞きしました。さぞ辛かったでしょう。

 

わたしは今心配していることがあります。

なぜ自分はこんなにも弱々しい人間なのかと思っていませんか?

なぜ他の人と比べてこんなにもダメな社会不適合者なのかと思っていませんか?

 

あなたは小さい頃から体が弱かったですね。

プールに入れば肺炎になり、インフルエンザが流行れば速攻罹り、かけっこをすれば骨折をする。

大きくなっても蕁麻疹が突然出て大学を早退したり、

統合失調症で休職したり、社会人になって何回か入院したり。

 

あなたは自分のことを病弱な箱入り娘だから、と笑ったことがありましたね。

その目はとても悲しそうで、今でも思い出します。

 

同時に。

自分の心が弱すぎてとても嫌になる、と言っては自分を傷付けましたね。

心の弱さが体に出てしまってみっともない、と責めていましたね。

不安定で見ていられない時期があなたにはありました。

その時は何も出来なくてごめんなさい。

 

でも、あなたをずっと見てきてわかったことが一つあります。

それはあなたは決して心が弱いわけじゃない、ということ。

むしろあなたは心が『鈍感』なのです。

『鈍感』だからこそ、頑張っても気付かなくて身体に出てしまうのです。

強いとか弱いとか、良いとか悪いとかではなく、ただ『鈍感』だっただけ。

ほら、神経質でちょっとしたことでも感情に現れてしまう人がいるでしょう。

あなたはその人の反対のタイプ。そうであったというだけなのですよ。

 

特別でも不思議でもオカシクもない。

ただそうであっただけ。

 

ふとお腹が痛いなぁと思ったら、

ふとした時に突然涙が出てきたら、

ふと電車に飛び込みそうになったら、

それがいわゆる『サイン』というやつです。

これから1回でもそれが出たら・・・

とりあえず深呼吸をして、椅子に座りましょう。普段好きな飲み物を口にしましょう。

そして一言「私は今、疲れている」とつぶやいてください。

 

弱いから、なんて決めつけないでくださいね。

そんなこと決めたって何も得は無いのですから。

ただただ自分はこんなタイプだったんだ、それだけわかっていればよいのです。

あなたはちょっぴり鈍かったというように、

意外とあなたも私も他の人も、自分のことをわかってないのです。

一つ知れたあなたは一歩リードかもしれませんよ。

 

だから、そんな風に自分を責めないであげてください。

先日のように楽しい気持ちでまたお会いしましょう。

まだまだ残暑が厳しいですが、くれぐれもご自愛くださいませ。

 

 

敬具

他人を頼るって、どういうこと???

てつこが大学生だった頃、仲の良かったゼミの先生によく言われた。

「お前は真面目過ぎる」

当時はそんなことないっすよーえっへっへ、と笑って聞いていた。

そしててつこが就職した後、昔も今もよく言われる。

「てつこさんは頑張り過ぎ」

大学の頃と同じように聞き流していた。

 

このブログを始めた当初から↑こう言われることが不可解だと思い、ちょいちょい書いていた。

真面目?真面目でいいじゃない、取り柄じゃん?

頑張り過ぎ?別にいいじゃない、自分がやりたくてやってんだから。

ずっとこんな感じで考えていた。

 

最近通い始めたカウンセリングで先生にも言われた。

「自分で全てやろうと思っちゃだめ、一人で背負い込まないこと」

この時はあまりピンと来なかった。でも次の一言ではっとした。

「残業してたり一人になったりした時に、突然涙が出るのは『やらなきゃ!』って無意識にしょいこんでいるからじゃない?」

 

・・・そうかも。。。

 

思えばてつこは人に相談する・愚痴を言う、ということをほぼしない。

業務上のことは相談するが、人生相談に乗ってもらうことはまず無い。

相手が友人だろうと恋人だろうと、仕事や人間関係の愚痴を聞いてもらうことは無い。

なぜか。

相談して解決するの?

愚痴って何か良くなるの?

正直そう思っている。そう思っているから人生相談も愚痴も無駄に思えてしない。

人を頼ったり信頼したりすることもない。

 

いつか他人は自分の期待を裏切るようなことをやるよ?

 

 

カウンセリングの先生にそう思っていることを伝えた。すると、

「てつこさんの家庭には、安心して話を聞いてもらう環境が無かったんじゃない?」

 

・・・そうです。。。

 

てつ家には会話もない、信頼もない、絆もない。ないない尽くし。

そんな中でてつこが『人を信じる』ことの実践を行えるわけがなかった。

勿論、両親に何かをお願いする・相談する、なんてことは不可能だった。

 

先生は最後にこう言ってくれた。

「そうやって今まで生きてきたのだから、それをいきなり否定する必要はない。

 ただ、一瞬立ち止まる・振り返ることで今自分が大変になっているなぁと気付く。

 大切なのは一瞬立ち止まることですよ」

 

こうやって他人から具体的に方法を教えてもらったのは、人生初…かもしれない。

どうやれば楽に生きていけるんだろう?

どうすれば今までの苦しみから逃れられるんだろう??

ずっと手探りしていたものが、少しずつ示されていくような期待感。

人を信じ、人に頼れるようになったら、もう少し生きやすくなるだろうか。