てつこはじと目でなにを見る?

おかしな家で育ったおかしな娘が書く読み物

お腹が痛いよー…と思っていたら、意外なものが原因だった件。

 実はつい先日まで数か月に渡り、お腹がゴロゴロしていた。

 

おっかしいーなー食欲あるしなー風邪なのかなーと、

去年体調崩した癖に余裕をかましていた。

ただ、数か月続くことに正直不安を覚えていた。

確かに最近体重が減った気がする…疲れがたまると貧血気味な気がする…

 

てつこは段々と怖くなった。

 

夏を過ぎた頃、総合内科で血液検査を行った。心電図とかも行った。

結果は問題なし。

肝臓も通常値、他の項目も良好、貧血はあるものの重症ではなかった。ちなみに体重はびっくりするくらい、変わっていなかった。

出た…体調悪くて病院駆け込んだら『異常なし』パターン…

そういう時ほど不安が大きくなるものである。

(かと言って病気が発覚するのも怖いのだけれども)

 

仕方がないので生活を見直してみた。

早く寝るようにした(と言っても元々11時くらいには寝ている)

ウォーキングと称して街を1時間とか歩くようにした(でも去年からやってた)

間食をなるべく避けた(30歳過ぎてからポテチ一袋は食べてない)

お風呂で湯舟に浸かるようにした(元々シャワーより湯舟入る派)

魚を食べるようにした(元々魚好きで骨とかキレイに避けれるくらいイイ感じ)

・・・なんだか今までと変わりないのである。

というかむしろ健康的な生活じゃないか?

なのになんでこんな虚弱なんだ??

納得いかない。

人生不公平だ。

これもあれも毒親のせい・・・

・・・といういつもの思考回路になってきたちょうどその時。ふと気付いた。

 

リステリン使い始めたんだよなぁ

 

リステリンの中でも強力と言われる紫色のトータルケアというやつ。

深い考えは特になかったが、違うお口のケア商品に変えてみた。

 

 

 

・・・お腹ゴロゴロ止まった。

・・・お腹ゴロゴロ、本当に止まった。

 

やめて2日ほどで効果が出た。

てつこは狂喜乱舞した。

自らの手で生活改善をした!という謎の高揚感。

ネットでリステリンで便秘になった人を偶然見かけたので、なんとなくやめてみたのがビンゴであった。もしかして、副作用???

会社にも同じの使っている人がいるけど、その人は問題なさそう。

これも体質ってやつなのでしょうか。

 

何はともあれ、自らの健康を一つ取り戻したてつこ。

危うく何の異常もないのに大腸検査に行ってしまうところであった。

急を要さない場合は、まず生活を見直す・改めるってことが意外と効果的なんだなぁ・・・と痛感した出来事であった。

親の人生のケツを持つなんて、まっぴらごめんだ!

人間不信の感が強いてつこの座右の銘の一つにこんなのがある。

『言い出しっぺが損をする』

である。

仕事で「こんなんどうっすかー」と言うと「じゃあお前がやれ」となる風潮。

いや、逆の立場だとてつこも相手に対して「じゃあおま(以下略」となるのだが、

些細な事くらいには同意してみんなでやってほしい時もある。

デスクが汚い、書類棚が汚い、と文句を言うならみんなで片付けようじゃないか。

会議が長い、と文句を言ったり寝るくらいなら資料の作成や会議の進め方をお互い工夫しようじゃないか。

そのくらい、言い出しっぺの責任だけに留めるのはやめてほしいものである。

 

言い出しっぺが損をすると知ったのは実は会社員になってからではない。

大学時代、もっと言えば高校時代にさかのぼる。

 

不仲を極めたてつ家には、ある変化が生まれていた。

てつ母が不倫相手と別の家を借りるから一緒に住まないか?と提案してきた。

てつ父はそれを知ってか知らずか、てつこの生きたいように生きなさい、と突然謎の人生論を語り始めた。

1回や2回ではなく、何回も顔を合わせる度にそれぞれが話をしてきた。

てつこは勘付いた。

「ははーん、別れたいんだな」

これも哀しいサガなのか。顔色や口調から読み取ろうとするてつこのチカラが働いてしまった。

 

自らも自由になりたかったてつこは言った。

「てつこのことは気にしなくていい。とにかく別れてくれ。

 これ以上、喧嘩を見続けるのは辛い。」

勿論、これを機にとんとん拍子で離婚話が進んだ。

 

晴れててつ家は解散した。てつ家3人が望んだことだった。

 

両親の離婚を子が決めた。

てつこの心は緊張から解き放たれた(と当時は思っていた)。

でもすぐ気付いた。

「ああ、親の人生を決めてしまったんだ」と。

事実、てつ母もてつ父も、経済的にも精神的にもてつこに頼ろうとするようになった。未熟な二人は自分の娘を保護者として認識するようになったのだろう。

てつこは両親の人生に関与してしまったのだ。

 

離婚の時にパパとママのどっちと一緒に住みたい?と子どもに聞く方がいらっしゃるそうで。

ネットニュースやテレビで以前見たことがある。

そんなこと、聞かないでほしい。

子どもにこれからの生活の責任の一端を担わせないでほしい。

あの時私がこう言ってしまったから・・・

そんな気持ちを抱くときが少なからず出てくる。そんな悲しい気持ちにさせないでくれ。

 

てつこは両親が離婚することで煩わしさから解放された。

一方でてつ家3人の人生を子どもの感情で決めてしまった。

本当は親が決めるべきことなのに。

(でもそういうことができない親なら仕方がない、のかな・・・)

大学に入ったてつこは、この辛い経験から言い出しっぺって損だなぁと思うようになった。その後の日々の生活でもよく見られる現象なので、その思いは強固なものになった。

 

かと言って、てつこは親二人の経済事情を丸かぶりしてケツを持って‘あげる’ことなんざお断りだ。

例え親不孝者と罵られても、てつこの人生を守るため距離を取り続けるのである。

走り続けてきて突然止まることの「難しさ」

てつこは最近カウンセリングに通い始めた。

ブログやツイッターを始めてもっと人の話やアドバイスを聞きたいと思ったのと、

自身が体調を大きく崩すようになり心身に不安を感じたのと、

両方がきっかけだった。

そう思えるようになったのは、てつこ自身に少し余裕ができたのだろう。

『こんなに頑張らなくていいのかもしれない』

そう気付くようになった。

 

でも

わからなかった。

頑張らなくていいと思う一方、じゃあどうやって力を抜けばいいんだろう??

具体的に

わからなかった。

 

てつこは常に気持ちがピーンと張り詰めていた。

他人の顔色や発言が気になって仕方なかった。

一人でいても仕事のことやてつ家のことばかり考えて、自分のことを考えたことがなかった。

 

自然体でいる。そんなことができなかった。

自分が今食べたいものがわからない・人に言えない。

旅行に誘われても自分が行きたいところが決められない。

怖くて仕事で意見を言うことができない。

飲み会でお酒を注がれたり話でイジられても断ることができない。

こんなこと言ったら怒られるんじゃないか?嫌われるんじゃないか?そんな風に心の底から思って行動していた。

 

いっつも難しいことばかり考えて、勝手に気を揉んで、焦りや悲しさに追い立てられて、「ウツダシノウorz」とまとまる。些細な事であっても、そんなことを繰り返す。

 

‘自分らしく生きればいい、嫌われたっていいじゃない!’

そんな言葉は到底受け入れられなかった。

自分らしくってどうやるの?他人に嫌われるなんて怖くて嫌だ!

 

きっとてつこの「頑張ってきた」は「気を張ってきた・奮い立たせてきた」に近いのだと思う。

それでも『ただ安心して生活するために頑張ってきた』ってのは変なこと。

てつ家では常に緊張していて不安で泣いていた日々だった。

自分が思ったこと・考えたことを外に出す機会は巡ってこなかった。

 

先日のカウンセリングで、長年の頑張り癖はすぐには治らないよ、と言われた。

そう聞いて安心したてつこがいた。

心に抱えていた「頑張らないを実践する難しさ」、

それを肯定してもらえた気がした。

ちょっとした強迫観念や難しく考える思考回路を少しずつほぐれていくのかな。

癖を意識することでマシになるのかな。

そう思えるようになってきた。

 

最終目標は『意識せずに自然体で生活すること』。

・・・あぁ、でもこんな長々と語っちゃう時点で難しく考えているのかな。

吾輩はまだまだである。

【御礼2】

いつもご覧いただきありがとうございます。

お初のかた、初めまして。

こちらはてつこの記憶や感情を書き出すために始めたブログです。

アクセスが2000を超え、さまざまな方にコメントやブクマをいただけるまでに

成長できました。本当にありがとうございます。

最初、どうお返事したり反応したりすればよいのかわからずググっていました。

お恥ずかしい限りです…不器用なもんで。

 

昨年患った伝染性単核球症も完治し、先日の血液検査では問題なしでした。

今年も度重なる体の不調があったのですが、

単なる積年の疲れだったので一人恥ずかしい思いをいたしました。

今はカウンセリングに行き始めたり、また統合失調症のお薬を飲み始めたり、

一方でこうやってブログに今まで言えなかったことを書き出してみたり、

自分の中に新たな発見をしたり…と良い変化が起きています。

シンプルだったプロフィールも今更書き足してみました。

でも改めて自分のことを書いてみると、単純なことの方が難しかったりします。

いやほんと不器用なもんで。

 

今年も残り少なくなってきました。

たこうやって見に来ていただいた方に御礼申し上げられるよう、

細々と続けていけるといいなと思っています。

こうやって書き出すことで、こんなにも

頭の整理ができるとは思ってもいませんでした。

残りの月、よりよい年にまだまだしていけられそうです。

てつこが前向きになれているか、また見に来ていただけたら嬉しいです。

引き続きよろしくお願いいたします。

雨の日から読み解く今昔物語

全国的に最近ずっと雨。

以前は雨の日はとても憂鬱だった。

 

子どもの頃は雨の日だとどこにも行かないので、一日中てつ家の3人で家にいた。

遅く起きるてつことてつ父、徹夜でネットをしているてつ母。

昼近くにてつ父はモスバーガーを買いに行き、むさぼるてつことてつ母。

午後はてつこは自分の部屋にこもり、てつ父は酒を飲んでぼーっとしていて、

てつ母はまたネットをする。勿論会話は無い。

空気が悪い。

時折てつ父とてつ母の小競り合いがあり、てつこに緊張が走る。

 

そんな雨の日。

 

大人になってからも、てつこは雨の日の過ごし方が下手だった。

無理やり外に買い物やぶらぶらしに出るけれど、やっぱり雨の日は不便で少しも楽しくないのだ。濡れるし。

やむなく帰宅し家にこもるも、することがないのでぼーっとする。

ぼーっとしていると、昔の嫌なことや仕事の失敗を反芻してしまって「おえっ」と気持ち悪くなる。家にあるカップ麺やお菓子で夜ごはんにして、無理やり布団に入り、「今日も何もしていない…」と自分を責めるのだった。

 

最近はどうか?

 

てつこはルールを作った。

雨の日は一人家で贅沢な食事をすること。

 

贅沢と言ってもスーパーの寿司パックやデパ地下のお惣菜とかである。

時々自分でも煮込む料理や手間のかかる肉料理なんかを自作してみる。

それでもいつもよりは敢えてお金をかけてみるようにした。

そして自分が食べたい・飲みたいと思うものを、少々面倒でも買いに行って家で食べるのだ。

それが功を奏してか、最近は雨の日でも楽しみができた。

朝起きて、小雨な時間を見計らってスーパーに走り、食べ物と酒を買う。

夕方から準備してテレビ番組表で見たい番組をピックアップし、夜に備える。

そしてだらだら~と食べ飲む。

 

先日のカウンセリングで‘とりあえずやること’が決まった。

「とにかくまずは身体を休めること」

「何もしないことで落ち着かないかもしれないけど、とにかく何もしないこと」

「がんばらないことを、がんばること」

を心掛けるよう言われた。その通りだと思った。

今までのてつこはてつ家の空気を気遣い、両親に気配りをし、学校では忙しく活動し、常にせわしなく動き回った。ハムスターみたいな感じ。

それがようやく『そんなことをしなくてよい』状態になった。

 

今日も雨だ。

さぁ何を食べようか。

そしてどう自分をいたわってあげようか。

せっかくの自分の休日を楽しもうじゃないか。雨であろうと。

少年よ、恋心を抱け。本能の赴くままに相手を捉えよ。

つい先日、友人と飲む機会があったてつこ。

夜中まで飲んだくれて、だらだらとしょうもない愚痴を言い合う。

気の合う友人としか飲まないてつこにとってお互い好き放題喋り倒す。

そんな中、友人は「もういやだよぉぉぉ」と嘆き始めた。

 

友人「特に最近、嫌なことばかり思い出すんだよね」

てつ「どんな?」

友人「学生時代の失敗とか子どもの頃の恥ずかしかったこととか…」

 

わかるわー。

 

この二人は似た者同士。ネガティブな思考回路や不遇な子ども時代やコンプレックスの塊である点が非常に似ている。

激しく同意しないわけがない。

 

友人「忘れたいけど、忘れられない。思い出して、あああああああってなる」

 

この種の人間にはもはや共通した思考か。

 

てつ「何かで忘れるしかないだろうなぁ。

   恋愛とか?ちょうどアナタ、恋愛体質だって自分で言ってたじゃん」

友人「そうでもして熱中しないと思い出しちゃうんだよぉぉおおぉ」

 

酔っているのは置いといて。

てつこは自分で言っておきながら、恋愛体質かぁと複雑な気持ちになった。

中学高校は家に帰りたくなくて学校行事やらバイトやらに明け暮れていた。

大学はチャラけた演劇サークルに嫌気がさして速攻辞め、講義に超真面目に出ていた。

社会人になり、コンパに誘われたのは片手で数えるほど。

恋愛って…あんまりしたことないんだよな…と思い返す。

 

てつこはヘテロセクシュアルだけれども、一時期女の子に興味があった時期もある。

性的指向云々というよりは、てつこの場合、他人への関心が無い。

他人と深く付き合うのが苦手。相手に少しでも深入りされそうになると一歩身を引いてしまう。

男ものの服を着て、己の女性性を隠そうとした若かりし日々のこと。 - てつこはじと目でなにを見る?

↑の通り、己の女性的な面を強く否定した時期もあった。

そんなんだから、片思い・恋愛・失恋…といった経験がほぼない。

 

何度も何度もタイムマシンがあったら…と思うが、

学生時代に戻って昔のてつこに会えたなら『青春は一度きりじゃ!』と

言いながらビンタしてやりたい…

そうでもしないと頑固者のてつこは『恋愛?いや、いいっす』となってしまう…

そしててつ父とてつ母に『青春を返せ!』とビンタしたい。

真っ当な家族であれば10代の恋愛に前向きになれたと思う。

家からどう脱出するかしか考えていなかった10代が非常に勿体ない。

 

もっと言えば。

もし1回でも2回でも何回でも恋愛をしていれば、遊んでいれば、

 

大人になった今、もう少し他人を信じられていたのかなぁ

 

と最近思う。

恋愛が面倒とか苦手とか言ってると、己の人間力の足しにならん。

それをいま痛感している。

 

前述の友人もてつこと同じ、学生時代にまともな恋愛をしていない奴なんです。

同士がいるのは心強いが、残念ながら何の足しにもなりましぇん。

誰かこのくさくさしている二人をビンタして目を覚まさせてくれませんか。

去年、伝染性単核球症で入院した話。その1。

このブログを始めようとてつこが思ったのは、去年の入院が一つのきっかけだった。

 

土曜日から始まった。喉が若干痛かった。

日曜日。食べ物を飲みこむのも痛くなった。

月曜日。普通に出社したが相変わらず喉が痛い。唾を飲むのも痛くなってきた。

会社を早めに上がり、夜間やっていた耳鼻科に行った。

「風邪ですね。喉も真っ赤です。」とのことで抗生物質やうがい薬をもらった。

その時びびったのは、熱が39度もあったこと(気付いていなかった)。

火曜日。さすがに会社を休んだ。治ると思っていた。

水曜日。熱は一向にひかない。

木曜日。熱は一向にひかない。おかしいと思い大学病院に行ってみる。薬が合わないのかも、と言われて違う抗生物質をもらった

金曜&土曜。熱は(略)。おかしい…さすがに焦り始めた。

日曜日。熱は(略)。

 

月曜日。また大学病院に行き、念のため血液検査と点滴を受けた。

ベッドに横になりながら点滴(水分補給)を受けている・・・と。

先生「てつこさん」

てつ「…はぁい(←さすがにしんどい)」

先生「言いにくいのですが…入院してください」

てつ「………え?」

先生「肝臓の数値がすごく上がっています」

 

え?風邪じゃないの?え?まじ?なんで?

と思っているうちに車椅子で病棟に運ばれ、即入院。

 

詳しい血液検査の結果、『伝染性単核球症』と診断された。詳細は以下ご参照↓

https://www.niid.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/444-im-intro.html国立感染症研究所のページ)

第36回『若い世代で感染が増えている伝染性単核球症とその予防について』|バックナンバー|Dr.ヨコヤマコラム|専門家コラム|福祉ナビ|サラヤ株式会社 企業法人向け

ヘルペスウイルスの一種の「EBウイルス」への免疫が子ども時代に出来ていない人が

感染すると症状が出てしまうというもの。

妊婦さんがはしかの経験が無いと重症化してしまうのと似たような感じ。

唾液でうつるので「キス病」とも言われている。

しかしこの呼び名勘弁してほしい…寂しいてつこはキスなんて去年して(自主規制)。

 

結局1か月入院した。

大学病院の先生とはいえ、大人のEBウィルス患者の対応は初めてだったらしく四苦八苦していた。

今思えば入院後もしばらく抗生物質を投与されていたため、そのせいもあり

肝炎が悪化したのだろう。(この病気を悪化させる抗生物質があるそうです)

通常30上限の肝臓の数値は500超えた。さすがにその時は怖くて泣いてしまった。

日に日に上がっていく肝臓の数値を見て、病魔の怖さを初めて知った。

 

病棟では色んな人と出会った。

てつ父が入院した精神科病院のときのように、ずっと出られない人もたくさんいた。

そんな人たちを見て、そして初めて大きな病気になって、

ありがちだけれど「元気なときは、やりたいことやらないとなぁ」と思ったのだ。

悶々としていたてつ母&てつ父問題にも決着をつけたい、とも思った。

 

最後に。

実はこのEBウイルスで亡くなった声優さんがいた。

入院中に偶然知った。アニメの作品については詳しくなかったが、その活動や闘病記を改めて知り非常に辛い気持ちになった。

きっとこの方は熱が出ても具合が悪くても仕事をがんばってしまったのだろう。

そしててつこ以上に、この病気・ウイルスに詳しいお医者さんと出会えなかったのだろう。

でもこの病気を知らなかったら、この方とは出会えなかった。

この方のこと、そしてこの病気のこと、てつこは一生忘れない。

身近に具合の悪い人がいたら、万が一を考えるようアドバイスするぞとこの時誓った。

 

松来未祐さんのご冥福をお祈り申し上げます。

松来未祐 - Wikipedia

 

 

追記した「その2」はこちら↓

jitomenotetsuko.hatenablog.com