てつこはじと目でなにを見る?

おかしな家で育ったおかしな娘が書く読み物

写真嫌いのてつこと呪いの復活

先日、足を伸ばしてとある漁港町に観光に行った。

あんこう鍋や海鮮モノのおいしい町で、一日を満喫した。

温泉にも入った。お酒も飲んだ。

久しぶりにアクティブで楽しい一日だった。

 

友人達とてつこの3人で観光した。

色々な風景や食事をパシャパシャと写真におさめる友人達。

てつこも神社の厳かな風景やおいしいあんこう鍋の写真を撮った。

 

ただどうしても自分のスマホで撮れなかったものがある。

それは、自分。

友人二人の写真は何枚もあるが、自分が映ったものは無い。

 

てつこは写真が苦手だ。

 

正確に言うと、写真にうつるのが苦手だ。

カメラのレンズがこちらを向いていると思うと緊張してしまう。

上手く笑えない。

何より、写真にうつった自分を見ると

「なんて不細工なんだ」「なんて不格好なんだ」と嫌な気持ちになる。

だから自分の写真はほとんど持っていない。

 

カメラのレンズを通して、どうしても思い出してしまうことがある。

てつ母にお前はブスだと散々言われた、あの日々を。

もっとかわいく笑えないのか。

なんで私(=てつ母)みたいにかわいく振舞えないのか。

どうして顔までてつ父に似ているのか。

これらは、ちょっとしたフラッシュバックなのかもしれない。

この歳になっても、どうしてもこの現象が克服できないのだ。

よっぽどショックだったんだなぁとあの頃のてつこを慰める。

 

今これを書いているノートパソコンについているカメラも嫌で、

紙を貼りつけて隠している。

それくらいどうしてもカメラも写真にうつるという行為も嫌なのだ。

 

写真にうつらなくてもいい。

スマホに自分の写真が無くてもいい。

けれども、できればカメラを通して呪いの言葉を思い出す癖だけはやめたい。

今年の「ちょっぴり克服したいモノリスト」に

「写真」を追加しておこう。

気持ちよく楽しく嬉しく、これからの思い出を切り取れますように。

損した気分は頑張り過ぎか、うぬぼれか?

てつこは最近心の中で愚痴っている。

こんなに頑張っていて人生損している、気がすると。

仕事に限らず、今まで頑張って生きてきて

なんでこんなに人生ハードモードなんだろうと損した気分になるのだ。

 

実際てつこの人生はちょっと変わっていたくらいで、

もっともっと悩み苦しみ頑張っている人がいるだろう。

とは思いつつ。

てつこは今、無性に「自分は大変だった感」を味わいたい。

そう思って自分を慰めたい気分なのだ。

 

ホントのところはとりあえず棚に上げ、

こんなに頑張って生きているのになんか満足できない自分がいる。

例えば仕事の愚痴だと、

給料は安い・出世しない・嫌な奴がいる・その割に忙しい・・・

生活できるだけの給料があるのはありがたいが、なんだか救われない。

家に帰り酒を飲まないとマジでやってられない。

酒を飲みテレビを眺めながら、今日あった嫌なこと良かったことを回想する。

そして「たはー、あん時あんなこと言わなきゃよかったー!」とか

「うわー、あん時のあいつむかつくー!」とか

思い出しては消化させていく。

そして眠りにつく。

こう見えて意外とてつこは寝たら忘れる。

(しかし急に思い出して、嫌になったり恥ずかしくなったりするのも得意)

これの繰り返しで、良かったなぁと思うことは少ない。

過去仕事でほっこりしたのは、イケメンから個人的に名刺をもらった時くらいだ。

 

最近、この損した気分現象はなんだろうなーと考えてみる。

これは事実として頑張り過ぎて、労力と対価が見合っていないのだろうか?

それとも、単純にてつこ自身がうぬぼれて勘違いしているだけなのだろうか?

 

きっとどっちもアリなのだろう。

上司からよく頑張ってて偉い!と褒められたことがある。

嬉しかったが具体的に何が偉いことなのかわからず戸惑った。

ただ、傍から見て「頑張ってる」と思われていることがわかった。

それに対する評価や給料に、てつこの心の中には不満があるのだろう。

『頑張っている=評価される』

というのはこの世の中で決してイコールではないらしい。

 

一方で、「私は『他の人よりも』頑張ってるんだから!」と

思い込んでいる節がてつこの中にある気がする。

どうしても他人と比較してしまう。

そして自分が一番大変なんだとうぬぼれてしまうのだ。

 

自分自身の頑張りというよりは、他者と比べてどうか?という視点に

てつこは縛られているかもしれない。

そんな他の人なんて、どーでもいいのに・・・(とわかっているつもり)。

前述の「褒められたけど何が偉いかわからなかった」にも繋がるが、

『自分自身の価値観』がイマイチ確立できてないのだろう。

 

最近、この損した気分現象により

イライラして電話応対がガサツになったり集中力が欠けたりしている。

よくない。

今回書き出してみると、こうすればよいのかなと考えられるが

いざ毎日の行動で実践してみようとなるとなかなか難しい。

せめて、明日からはイライラを抑えて人並みの言動をしようと思う。

そのために今夜もチョコレートを食べて精神を安定させるのである。

外から会話が聴こえてきて、我が家にトラックが突っ込んでくると信じていた、あの頃。

今日は久しぶりにメンタルクリニックへ行った。

手持ちの薬が無くなってしまった。

切らさないようにしなければならないのに、またやってしまった。

平日は「薬がまだあるし今日行かなくていいかなぁー」とか、

「今日は疲れたから帰っちゃおうー」とか、ついつい先延ばしにしてしまう。

 

いつもの薬をもらい、帰路につく。

もう何年も飲んでいる薬。

最近はジェネリックが出たとのことで、それをもらっている。

価格が以前の3分の1くらいになり、経済的にとても助かる。

 

ここしばらくは精神的にとても落ち着いている。

上下することはあるけれど、以前と比べると大分違う。

統合失調症で休職していたときは、子ども時代と同じくらい『暗黒』だった。

 

 

ある日突然会社に行けなくなった。

玄関で泣き崩れ、外に出るのがすごく怖くなった。

それからは毎日毎日布団に横になって過ごした。

訳もなく涙が出た。

その内不思議なことが起き始めた。

窓もカーテンも閉め布団を頭からかぶっているのに、声が聴こえる。

女性二人の会話。

内容はいつもわからなかった。

けど、ヒソヒソとてつこのことを噂されている気がした。

  やめてくれ。

  ごめんなさい。

  どこか行ってください。

そんなことを念仏のように唱えながら、耳を手でふさぐ。

目をつぶると、目の前に四角い物体が現れる。

それが上から落ちてくる。

  あぁ、潰される・・・!!

はっと目を開ける。勿論布団の中なので真っ暗だ。車の音が聞こえる。

  もうすぐトラックが突っ込んでくる気がする。

  飛行機が落ちてくるかもしれない。

  このまま家ごと潰れてしまう。

 

汗だくで布団から出る。

時計を見るともう夕方だった。

『また、一日何もしないで終わってしまった』

そんな後悔の気持ちが込み上げ、また泣いて、また寝る。

 

通院や買い物のため外に出るときは、玄関の鍵を何回も確認した。

玄関を離れてもすぐ戻り、また鍵を確認する。

近所に響きそうなくらい、ドアノブをガチャガチャする。

誰かに指をさされている気がして、はっと周りを見渡す。勿論誰もいない。

玄関を離れるのに10分15分かかっていた。

歩き出すとズボンをはき忘れている気がして、何度も足を触る。

スーパーの窓ガラスに自分を映し、服を着ていることを確認する。

  そりゃそうだ。裸で出歩くわけがない。

  でも万が一・・・。

その繰り返し。

駅にたどり着くまで一体どのくらいかかっていただろうか。

 

 

そんなことを思い出していたら、地元の駅に到着した。

今住んでいるところは当時とは違う場所。

病気をしっかり治すためにも環境を変えた方が良いと助言を受けたのだった。

昔を思い出してうじうじするてつこには、意外と効果があった。

 

お医者さんからは、病気ではあるけれど

てつこ自身の性格と絡んでいるから薬は飲み続けないといけないよ、

と言われている。

実際、勝手に薬を辞めてしまった時期は精神的に脆くなっていた。

そして根拠のない考えや昔の思い出が脳内に再生され、

鍵の確認とトラック妄想が若干復活してしまったのだ。

だからやっぱり薬は飲まないといけない。

 

『障害は個性だ』

なんていう主張がある。以前はすごく抵抗があった。受け入れられなかった。

今でもそんなすっきりした言葉では言い表せないと思っている。

けれど、ちょっとわかる気もしてきた。

てつこから心の葛藤を取ってしまったら、何が残るんだろう。

そんな疑問を感じるくらいなら、全部ひっくるめて「てつこ」だ。

少しずつ『自分』を肯定的に客観的に見ていけるようになろう。

中学受験で広がった世界と閉じた世界

てつこは中学受験を受けたことがある。

偏差値の高い学校へ行って欲しいという、てつ母たっての希望だった。

小学校4年生ごろから塾通いを始め毎日勉強した。

正直てつこは遊びたかった。

けれども地元の友人と遊ぶことを元々許されていなかったし、

遊ぶことで怒られるくらいなら家にいる方がましだと思って、

段々と受験勉強に集中するようになった。

(でも勉強してるフリして絵を書いたり本を読んだりしてたけどね)

 

当時の小学校にも数人だが中学受験組がいた。

頭が良いけどちょっと挙動不審な、じゅん君。

なんでも自慢する癖がある一方ですぐ泣く弱虫の、けいた君。

英語が読めて賢くてきりっとした目鼻立ちの、のりちゃん。

人の物を盗む癖があってバレて学校に来なくなっちゃった、もっちゃん。

 

じゅん君やのりちゃんは志望校に行けたらしいと聞いた。

もっちゃんは希望が叶わなかったらしいと聞いた。

当時のクラスには、どういうルートか、中学受験組の情報が流れていた。

なんだか怖いなぁと当時のてつこは思っていた。

 

当のてつこは志望校に決まった。

てつこは喜びよりも、もう勉強しなくて済む、

もう重苦しいてつ家に閉じこもらなくて済む、と思い内心ほっとしていた。

 

中学受験をして地元から離れたことで友人達との縁が切れてしまった。

中学1年生くらいまでは交流があったものの、

少しずつ薄れてその内完全に途絶えてしまった。

地元のお祭りやイベントにも参加することはなくなった。

 

やっぱり、小学校6年間を一緒に遊んで勉強して楽しんだ仲間たちは格別だ。

大人びてくる中学・高校とは違う。

休み時間はドッチボールをして、流行りの音楽を教室のラジカセで流して、

オススメの漫画を貸し借りして、何かと男子vs女子でわいわい騒いで、

何事にも純粋で全力だった。

嫌なことや悲しいこともあったけど、

子ども時代の思い出の大半は小学校での出来事だ。

だから中学という早い段階で地元を離れたことを、ちょっと後悔している。

 

一方で、受験をして良かったと思うこともある。

それは『世界が広がった』こと。

中学へは電車とバスを乗り継いで通った。

子どもの内に交通機関に慣れたことで、外に出ることをためらわなくなった。

様々な地域から色々な家庭環境の子が通学している点もプラスだった。

良くも悪くも毎日がカルチャーショックだった。

 

てつこが「自分の家がおかしい」と確信するようになったのも中学時代だった。

同時に、学校行事に参加したり放課後学校の近くで遊んだりすることで

『自分だけの時間』を持てるようになった。

てつ母に介入されたり、てつ父を心配したりする時間が少なくなったのだ。

これはてつこにとって大きなプラスだった。

 

「受験」、とりわけ中学・高校・大学の受験となると

人生への影響がとても大きい。

特にまだ人生経験の浅い成長段階で岐路に立たされるわけだから、

当人の負担は計り知れない。

それが自分の意志なのか、親の意志なのかによっても度合いが異なる。

こんなにも複雑で大変なライフイベントを今この歳で振り返ると、

「あぁ、自分はよくやってきたな」

と素直に思える。

てつこの中学受験はいいことも悪いこともあった。

でもそれを経て今の自分がある。

当時はなんでこんなことしなきゃいけないんだろうなぁと思っていたけど、

決して無駄な経験ではなかった。

 

  あの頃、必死で勉強して寂しい思いをしたてつこへ。

    よく頑張った。そして、ありがとう。

 

 

今週のお題「受験」

毒母が先か、毒娘が先か??

てつ母は破壊的な人だった。

借金と暴力を重ねてつ父を精神的に追い詰めた。

時に褒めちぎり、時に罵倒することでてつこを言いなりにした。

金を無心し「お前らが悪い」と事あるごとにてつじい&てつばあに吐き捨てた。

 

そんなてつ母にも「自分がこうなった理由」がちゃんとあった。

自分の父母であるてつじいとてつばあから、ひどい扱いを受けたということ。

そう、てつじいとてつばあもまた、毒親だった(らしい)。

 

てつ母はてつこが小さい時から、てつ母家の昔話をよくした。

てつばあは、てつ母が病気になって倒れても塾に通うのを強要した。

とにかく勉強を最優先させる教育ママだった。

てつじいは、そんなてつばあの教育方針に無関心だった。

そして、てつ母に対し性的ないたずらをした。

・・・とてつ母は話していた。本当か嘘かは正直わからない。

この話はいつもこう締めくくられる。

『あいつらのせいで、私の人生はめちゃくちゃなんだ』

 

てつこにとって、てつ母は実の母だ。

てつじいもてつばあも、優しいおじいちゃんとおばあちゃんだ。

その背景に何があったのかなんて、本当は知りたくもない。

 

ただ、この昔の話を思い出すたびに疑問が浮かぶ。

歪んだ教育ママのてつばあが先か?破壊的な性格のてつ母が先か?

「ニワトリが先か、卵が先か」と同じ。

 

てつばあがちょっと違った育て方をしてしまったせいで、

てつ母という存在が出来上がったのか。

それとも、元々モンスターの素質を持ったてつ母が成長し、

てつばあやてつじいが操られてしまったのか。

 

てつこは今まで色々な人と出会ってきた。

確かに、その中には「?」という性格の人がいる。

どうしてそんなひどい発言をするのだろうか。

どうしてそんな突拍子もない考えをするのだろうか。

どうしてそんな人を傷つけるような言動をするのだろうか。

良心が無い人、それは先天的に存在しているとてつこは思っている。

生まれ持った性格や思考が、常識から離れている人は少なからず、いる。

 

そういった良心の無い部分が、成長段階で助長されてしまうこともあるだろう。

理解が足りない親に育てられ「出来上がってしまう」のだ。

そうなると親も太刀打ちできない。

子ども自身も止められない・親も止められない、負のスパイラル。

こうなるとどっちが先かはわからなくなる。

 

いずれにしても、嫌なことを他人や自分の子にしてはいけない。

『あいつが悪い』と仕返す、しかも家族間で仕返すことほど醜いものはない。

毒親を反面教師にしていかないといけないのだ。

それが毒親の元に生まれた者の使命。

いつまでも囚われてはいけない、そうてつこは考える。

 

それでもやっぱり「どっちが先なんだろう…」結論付けたくなる。

数年前、年老いて小さくなったてつばあに、てつこは言った。

「ばあちゃん、もうてつ母のことは構わなくていいよ。

 てつ母の家にご飯作って持って行かなくていいよ。

 てつ母の家の掃除なんてやんなくていいよ。

 ばあちゃんの余生は少ない。せめてのんびり暮らしておくれよ。」

 

てつばあは悲しそうに言った。

『いいんだ。ああなったのは、全部ばあちゃんのせいなんだ。』

 

てつこは泣いた。

自分の親にあんな悲しい顔をさせるてつ母が許せなかったし、

全てを背負いこむ視野の狭いてつばあも許せなかった。

 

どっちが先で、どっちのせいなのか。

てつこがこの答えを導き出せる可能性は、今となっては低い。

母という幻影

最近、てつ母の顔を思い出しにくくなってきた。

どんな顔だったかな。

どんな声だったかな。

どんな姿だったかな。

記憶が薄れてきたのだ。実の親なのに。

そうなりたいと願ってきた。忘れてしまいたいと思ってきた。

だからこれで構わない。

 

てつこが幼少期のてつ母は、てつ父に暴力をふるっていた。

てつこが小学校にあがると、教育ママになった。

てつこが中学校にあがると、友人関係のような母子になった。

てつこが高校生になると、てつ母は不倫相手と楽しむようになった。

てつこが大学生になると、いつまでも母子二人で暮らそうねとてつ母は笑った。

 

自分勝手なてつ母に、てつこは苛立ちつつも守っていた。

実の母だったから。

てつ母の言うことを聞き、機嫌を損ねないように気を付けた。

 

てつこにとって、母はどんな存在だったのだろう。

今思い出すのは、てつ父に暴力をふるっていた姿か、

てつこに背を向けてパソコンに向かい不倫相手とチャットをしている姿。

もっと思い出せば、コロッケを作ってくれた姿や

てつこの描いた絵を褒めてくれた姿が出てくるが、鮮明さに欠ける。

 

てつ母はいつもてつこに対して背を向けていた。

丸々と太った背中が、運動不足の背中が思い出される。

てつこはてつ母に背中越しに今日あったことを喋りかける。

反応はあるものの、こっちを向いてはくれなかった。

こっちに向くのは、てつ母がてつこに喋りたいときだけだった。

どんなお喋りだったのか、あまり覚えていない。

 

母なる者は娘に何をもたらすのだろう。

衣食住を管理しているので安心感をもたらすかもしれない。

親として経済的な安定を提供してくれるかもしれない。

何より、深い愛情を示してくれるのかもしれない。

てつこはなんとなくわかるが、でもあんまりわからない。

 

てつ母は女性として育っていくてつこを少しからかっていた感がある。

てつ父に似ている部分をけなしたこともある。

てつ母が自分の不倫相手をてつこにあてがおうとしたこともある。

女性同士であるがゆえに、母子というよりも友人のような

奇妙な関係性になっていた気がする。てつ母とてつこは。

 

書き出してみても、てつ母に対する考えがまとまらない。

奇妙であり、興味深くもある。

これほどてつこが執着するのは、母と言う幻影に魅せられているからか。

 

薄れていく記憶の中で、何か大切なことに、

何か忘れていたことに気付きそうな予感もする。

少しずつ頭を整理していこう。

成人式へ行けなかったあなたへ

拝啓

 

新年を迎え、新たな気分でお過ごしのことと思います。

この手紙を書いている今日は成人の日です。

あなたはきっと、自分が20歳の頃を思い出していることでしょう。

そしてすこし憂鬱な気分になっているのはと心配しています。

テレビやネットには、20歳になって夢を語る若者や

友人達と楽しそうに騒ぐ若者であふれかえっています。

そんな様子を見て、自分の時と比べているのではないでしょうか。

 

成人式に行かなかったあなた。

成人の日もバイトに精を出していましたね。

その日であることをわざと忘れるように、せっせと働いていました。

地元を少し離れた場所で。

 

成人式に行けなかったあなた。

わたしは知っています。

本当は晴れ着を着てみたかった。

本当は久しぶりに地元の友人と会ってみたかった。

本当は父親に成人式会場まで連れていってほしかった。

でも全部飲みこんで、心にしまい込みましたね。

少し頑固になっていたのでしょうか。

気の利かない父親に対する反抗か、

それとも友人への羨望を恥ずかしいと思っていたのか。

・・・いずれにしても、あなたは行けなかった。

 

あなたが20歳の頃といえば、心身のバランスが崩れてきた時でした。

突然蕁麻疹を出したり、突然汗が止まらなくなって倒れたり、

そして自分自身を傷付けたり。

苦しくて悩んで泣いて、でも何故かわからなくてまた苦しんで。

その繰り返しだったのを側で見ていました。

どうして。

この一言をよく呟いていましたね。

そんなあなたには、成人式という晴れやかな舞台が考えられなかった。

憧れを持ちつつも、自分には必要ない・関係ない・意味がない、

そんな風に思っていたのでしょう。

 

あの成人の日からもう10年以上経ちました。

あなたの苦しみがわたしにもわかります。

毎日毎日真っ暗な感情の中で生きていましたよね。

常に不安で消えたくて、何を食べても味がしなくて、何を見ても楽しくない。

そんな日々で急に晴れの舞台と言われても、戸惑うことでしょう。

だから、当時のあなたはそれで良かった。

正しい選択をしたと思います。

もし行っていたら、余計に寂しい気持ちになってしまったかもしれません。

 

祝日やライフイベントというものは残酷です。

嫌でもやってくるのですから。

そのたびに思い出してしまうのです。

あの時の感情を。

あの時の情景を。

 

でも不思議なことに、歳を重ねると距離を置けるようになってきます。

そう、笑い話にできるようになるのです。

最近のわたしも成長しているのですよ。

 

暗くて寒い部屋で、バイトから帰ってきてみじめな思いで眠った夜。

それでも朝はやってきて、また夜がきて、歳をとる。

その繰り返し。

成人の日の出来事は「ただの思い出」となりました。

そう、ただの思い出。

 

あなたの寂しい気持ちから距離を置けるその日まで。

春には遠い季節ですが、どうぞお身体を大切に。