てつこはじと目でなにを見る?

おかしな家で育ったおかしな娘が書く読み物

休職したけどここまで来れた。新たなスタートラインにようやく辿り着いた。

今週のとある日に新部署に着任する。

昨年から異動願いを出して審査を受けて通った部署だ。

今までとは違う環境になる。業務内容も変わる。

残業も増えるらしい。キレッキレの理詰めの同僚や上司ばかりらしい。

今日まで見てきた、ゆるゆるであまあまなオンナノコや

歳だけとってスキルの上がらなかったおじさんとは、

もしかしたら暫く会えないかもしれない。なんてね。

 

てつこは社内の経歴上、ハンデを背負っている。

「休職したこと」だ。

本当はハンデなんて言ったらいけないだろう。

休むことはちゃんと定められた社員の権利だ。

でもやっぱり、人事情報には1年間休職したことは残っている。

だから上司も心配する。

幸い、嫌味に言ってくる上司はいなかったけれど、

知っているから「無理するなよ」「今心配事はないのか」と声をかけてくる。

素直にありがたいことだと思っている。

その一言があるから頑張れたときもあるし、

無理しちゃってるかなぁと自分の体調を気遣えたときもある。

 

休職したことは事実。

そして

立場や役職の違いはあれど、わたしたちは「対等」なのだ。 - てつこはじと目でなにを見る?

を書いたときにも改めて実感したが、休職したからこその気付きもあった。

 

休んでいた当時は毎日毎日辛かった。

復職した後も毎日毎日不安だった。

周りのみんなもものごく気を遣っていた。

定時には必ず帰らされた。てつこが要領悪くて仕事を残してしまうと、

先輩が全部引き受けてくれた。

それが申し訳なくて少しでも残業しようものなら、

いいから早く帰って!とキレられた。

色々と情けなくて、会社のトイレで泣いてから帰宅することもあった。

負の気持ちが積もって遅刻したり当日休んだりもした。

復職後数年は「体調を普通にすること」がてつこの一番の仕事だった。

 

しばらくは目の前の課題に専念した。

ただ、余裕が出てくると不思議なもので余計なことに目が行くのである。

同い年の女性が出世して役職についていた。

同僚は一人二人…と寿退社していった。

少し上の先輩は夢を追うために退社した。

焦りが出てきたのだった。

いいなぁ羨ましいなぁという思いを必死で抑えるも抑えきれなかった。

 

てつこは頑張っていたが評価は上がらなかった。

それを感情的に休職というハンデのせいにしたこともあったし、

現実的に妥当な面もあった。てつこ自身がすぐ体調を崩す現状と、

過去の実績から見て、妥当だったのだ。

会社の中では仕方のないことだ。

 

でも、なんとかして焦りを解消しようと望みは捨てなかった。

てつこはこの会社で頑張ろうと思っていた。

転職する気力も体力もなかったし、そもそも考えが浮かばなかった。

私は何がしたいんだろう?どうしたいんだろう?

自分のキャリアイメージと向き合った。

少なからず、自分の過去を振り返ることにもなった。

学生時代の自分や子どもの頃の夢を思い出した。

仕事と人生が結びついちゃうなんて、社畜だなーと感じながら。

 

そして辿り着いたのが、今度の部署への勤務希望だった。

敢えて厳しい道を選んだ。

それが自分に合う働き方だと思ったからだ。

残業は増えて身体的にきつくなるかもしれない。

けどイライラすることは減るかもしれない。

何より、会社をより良くして自分みたいな社員を出さないように

したいという思いを実現するには今しかないと思ったのだ。

あくまでも自分の満足のため。

以前の失敗のように、それを見失ってはいけない。

 

数か月後、いや、数日後には後悔しているだろうか。

また泣き虫てつこに戻っているだろうか。

はたまた疲れ切ってブログを書く気力も失っているだろうか。

怖いなぁ。

怖い。

おお、怖い。

 

てつこの人生は、見送りや我慢や後ずさりばかりだった。

それらを取り戻す。

スタートラインはいくらでも引き直せる。

自分で勝手に引き直せる。

だから今からリスタートする。

どうせつまづくときが来るんだから、この時くらいは晴れやかに出発しよう。

去年の今頃は、まだ毒親と「戦って」いた

以前から気に入っていなかった、ブログ記事のカテゴライズを少し変えた。

結局あまり変わらなかったけど、やりたいことをやれたので

ひとまず満足してみる。

100以上ずらずらと書いてきて、以前のをさらっと見直してみると

去年の今頃は親に対する文句や恨みつらみをたらたら書いていた。

辛い思い出をわざと思い出してみて、対面してみて、

やっぱり辛くて、泣きながら書いていた。

そんなことを思い出し

「ああ、心の中で親とまだ戦っていたんだな」

と感じた。

 

社会人になって10年以上、一人で暮らしても10年以上、

なのにまだ親と戦っていた。

親を『敵』と認識して勝とうとしていた。

 

勿論、今でもスッキリしているわけではない。

嫌でもつきまとう現実と、良心の呵責から逃げられていない。

それでも前を向きつつある。

 

本来は親に勝つ負けるなんて、職人や自営業でもない限り

あまりない発想じゃないだろうか。

しかもその勝ち負けとは性格が違う。

親が敵であり悪である。

ワタシの人生を狂わせた悪者なのだ。

それを打ち倒すのはワタシ自身。

・・・そんな考えに以前はとりつかれていた気がする。

だから常に疲れていた。必死だった。何が何でも勝ちたかった。

 

去年とてつ親とてつこの関係性は何も変わっていない。

てつ親の二人も何も変わっていない。

でも、てつこは変わった。

そう信じている。

 

 

 

・・・最近酒に酔うと何か書きたくなるのは危険だなぁ。

ジメジメしたことしか書けないし、

何よりちゃんと考えられないし変なことを書きそうだ。気を付けよう。

自分の身体を大事にすることってどんなことだろう?と考えてみる。

自分の夜ご飯を作っていて親指をざっくり切った。

いてててて、と絆創膏を貼る。

出血が止まるまでじっとする。

なかなか止まらない自分の指を見ながら、ふと思う。

自分で自分を傷付けてしまった時期を。

 

小さい頃から学生時代まで、その癖はあった。

その癖が発動するときは、決まって自分の存在意義を確かめたいときだった。

流れるものを見ながら「生きている」ことを確かめた。

明日も生きていくしかない、と言い聞かせて眠りについた。

我ながら、あの日々は異常だと思う。

 

痛い、と思う時は通常嬉しくない。

嫌だし不快だし悲しいし辛いし。

だから普通はそのことを避ける。

敢えてそれを望んでやるのは、やっぱり精神的に異常なときだ。

 

傷付ける、ということは病んでるときの出来事だけではない。

仕事で働き過ぎたり、家庭で無理をし過ぎたり。

具体的には、風邪をひいているのに出社したり

具合が悪いのに旦那が子どもの面倒みてくれないから一日付き添ったり。

そんな普段のことでも、やっぱり自分は傷付くのだ。

自分自身のことを大切にできないときは、結局傷付く。

そんなことの繰り返し。

 

自分で自分を傷付ける、

まるでそれはリストカットの表現だけれども、それだけではない。

日常にもそれは潜んでいる。

病みから脱した今、痛感する。

いつでもどこでもどんなときでも、危険は身近にあるのだと。

 

自分を犠牲にして相手を大切にする仕組みの中で、

どうやって自分を守ればいいのだろうと思い悩む。

どっちも大切にするには頭を働かせなきゃなあと思う。

常にそれを実行するのは、てつこにはなかなか難しい。

どうしてもどっちかしか視野に入らない。

でもそれを上手くやらないと自分がボロボロになってしまう。

かと言って、相手につっけんどんに対応すれば相手が嫌な思いをする。

どちらも嫌だなぁと考え過ぎてしまうのだ。

 

こう考えてみると

てつこがてつこのことを守りたいと思うためには、

まずてつこがてつこのことを好きでいないといけない。

好きでないと、大切にしたいという考えに及ばない。

今まではそうだった。

自分のことなんてどうでもいいから、身体のことなんてどうでもよかった。

それが少しずつ、もっと大事にしなければと変わった。

自分に自信が持てるようになってきたのも同時期だ。

それは、自分のことが好きっていう現れなのかなぁと思う。

 

でもやっぱり、今のてつこには

「自分が好き」

なんて言えない。

今日は遊園地に遊びに行ったけれども、

嬉しそうに写真を撮る自分も、楽しそうにする自分も、

なんだか自分じゃないみたいで現実感がない。

もっと言えば恥ずかしい。肯定的に捉えられない。

今こうやって酒に酔っぱらってネガティブに発言している方がまだ自分らしい。

ああ、まだまだ後ろ向きだなぁと反省しつつ

眠りにつくのであった。

何も考えてない状態が、たまらなく不安になった瞬間。

今日は全国的に午後から天気が崩れるとの予報だったので、

午前中はせっせと部屋の掃除をして昼過ぎにスーパーへ買い出しへ向かった。

少し風がありちょうど良い気温だった。

遠くの工事現場からコンクリートを割る音が聴こえる。

向かいから自転車が走ってくるので自然とよける。

ここではっと気付く。

 

・・・今、ワタシ、『無』だった・・・!!!

 

そう、なーんにも考えていなかった。

頭の中が『無』だった。

 

てつこはすごくびっくりした。自分で自分にびっくりした。

何も考えていない時間が自分に訪れていたことに驚いた。

驚きすぎて、交差点のど真ん中で立ち止まったくらいだ。

(車が来なかったことに感謝。)

 

てつこは常に考え事をしている。

仕事のこと・将来のこと・てつ母&てつ父のこと、

そういった考えても考えても結論の出ないことから、

今晩の料理のこと・部屋のどこを掃除するか・買い物に行くかどうか、

といった些細なことまで、

常に何かを考えている。考え事の大小だけでなく、

それらが常識的な内容だったり突拍子もない内容だったり程度も様々。

とにかく頭の中が動いていないと落ち着かない。

上手く表現できないが頭の中にもう一人のてつこがいて、

そいつが色々考えたり喋ったりしているのを傍から見ている感じ。

てつこの脳内はいつも賑やかだ。

 

だからこそ、今日『無』に気付いたときに驚いた。

『無』を意識したことなんて今まで無かった。

…いや、正確にはあったんだと思う。

頭の中が常に動いているもんだから、動かない状態が『不安』なのだ。

その『不安』をかき消そうとしてまた考え事が始まるから

気付くことがなかったのだろう。

 

思えば、てつこは子どもの頃から考え事をしていた。

進路のこと。友人のこと。死のこと。家のこと。両親のこと。

祖父祖母のこと。学校行事のこと。勉強のこと。バイトのこと。

etc...

更にこれらを深くふかーく掘り下げていく。

てつこ一人が考えても仕方のないレベルに達するまで掘り下げるのだ。

そして新たな考え事に派生してく。

朝起きて歯を磨きながら考え事を始め、

夜布団に入ってうとうとするまで「どうしようかなぁ」と考える。

そうやって決めたこともあれば、保留にしたことも逃げたこともあった。

圧倒的に答えなんか出ないんだけれど。

だからこの考え事は効率的ではないのだろう。

ホリエモンに言ったら論破されるレベル。。。

 

それは大人になったてつこも同じ。

朝起きて仕事の段取りを考えて、昼は仕事でウンウン唸って、

夕方は夜何食べようか考えて、夜は自分の一日と一生を酒と共に考える。

いつ脳みそは休んでいるのだろう。

 

昨年通っていたカウンセラーの先生はそれを見抜いていた。

「てつこさん、今は自分を休めましょう。

 何かやらなきゃ考えなきゃと思ったら、”今じゃなくていいよね”

 といって横に置いておきましょう。

 そうすればまずは身体が、そして心が休まります。」

言われたときはナルホドと思ったが、実は上手く実践できなかった。

休まなきゃ休まなきゃ…と念仏のように頭の中で繰り返していた。

 

それがどうやら身についてきたらしい。

なぜなら、カウンセラーの先生にこうも言われたからだ。

「考え事に縛られず、外に出たら風を感じましょう。

 天気を感じましょう。そのくらいでいいんですよ。」

・・・今日ようやくそれが出来た。

 

でもやっぱり、まだ『不安』なのだ。

交差点で立ち止まった後、歩き出しながら汗が出てくる感覚があった。

心臓が少しドキドキする。

自分が『無』であると認識した途端、

心の拠り所を見失った感覚になるのだ。

子どもの頃は自分がいかにまともに生きていくかを考えていたけれど、

いつの間にか「何か」について考えている時ほど

自分の価値があるかのような錯覚に陥っていた。

だから『不安』なのだ。

 

それでも、今日の外の風は気持ちよかった・・・と思う。

またその瞬間が訪れるといいなぁ。

東京レインボープライドに思いをはせて。

ゴールデンウィーク最終日の5/6、てつこは思い立ち、

渋谷・代々木公園で開催された東京レインボープライドを見に行った。

浜崎あゆみがライブを行ったので、ご存知の方も多いかもしれない。

LGBTQの人々が集う、国内最大級のマイノリティのイベント。

もっと簡単に言えばゲイパレードである。

様々なステージと、渋谷の大通りを練り歩くパレードの二本立てだ。

 

会場は熱気にあふれていた。

おいしい食べ物の出店もあるし、ゲイ向けのブースもあれば

勿論レズビアン向けのブースもある。

トランスジェンダーの人が呼び込んでいた所もあった。

おもしろいと思ったのは、資生堂がお化粧をしてくれるブースを出していたこと。

男性も女性も化粧をしてもらっていた。

他にも大学サークルのブースや企業の宣伝ブース、等々。

来ている人たちにはTシャツジーパンの普通の格好の人もいれば、

女装している人もいる。ちょっと笑ってしまったのは、

小さい子どもが「あ!ピカチュウだ!!」と嬉しそうに指をさした先に、

ピカチュウみたいな尻尾を付けた上半身裸のムキムキ兄さんがいたこと。

カオスで笑ってしまった。

とにかく多くの人で賑わっていた。

 

到着して早々てつこはトムヤンクンラーメンと生ビールを味わい、

パレードの出発地点へ急いだ。

たくさんの国会議員が先頭にいた。

12時にパレードの隊列は出発した。

思い思いのプラカードや横断幕を持った人々が歩き出す。

Tシャツに書いてある企業名を見て、こんな会社の人も参加してるんだ!と驚く。

コスプレのような華やかな格好を見て思わず声が出る。

海外の参加者も多くグローバルな雰囲気に驚く。

しばらく出発を見送り、またブースを見て回った。

 

このイベントはここ数年連続で開催されている。

今年は過去最大の人出だったようだ。

 

てつこは学生時代に東京レインボープライドの前身である、

東京レズビアンゲイパレードのボランティアスタッフに参加していた。

パレードの隊列にも参加したことがある。

あの高揚感は未だに忘れられない。

懐かしさを感じながら、今回約10年ぶりに見に行ったのだった。

 

当時、実行委員会の方々と話したり行動したりすることがあった。

それはそれは、本当に大変な努力の積み重ねだった。

運営資金をカンパしてもらうために飲食街や企業を歩いて回った。

仕事の合間にホームページやパンフレットを作成していた。

てつこが知らない努力も相当にあったと思う。

委員会のメンバーで会う人は皆、疲れていた。

それでもパレードの開催という一つの目標に向かって活動していた。

結局委員会は上手くいかなくて解散してしまったけれど、

その意志は今の運営団体に引き継がれている(と思う)。

 

以前と違い、圧倒的にイベントは盛り上がっていた。

ブースもたくさんだし、参加者も多い。

パレードの隊列は倍以上組まれていた。

何より、大企業が協賛したり参加していることにとても驚いた。

大企業からの協賛なんて夢のまた夢だった。

プレス取材に来て欲しいとお願いしても、あまり来てくれなかった。

それが当時と全然違うように感じられた。

その違いを体感しながら心から思った。

『あぁ、今日来て良かったなぁ』と。

 

マイノリティ、特にセクシュアルマイノリティの話になると

人々の興味関心は微妙な方向に行くだろう。

自分の性自認が揺らいでいないので関心がなかったり、

異性が好きなことに疑問を持たないので考えたこともなかったり。

てつこ個人としてはそれでいいと考えている。

みんな違ってそれでいい。

マイノリティはマイノリティでいいと思う。

ただ、マイノリティの存在が見えないことはとても悲しい。

それによって自分の生き方が縛られてしまう人もいるし、

平気で他人を傷つけてしまう人もいる。

そういったことがもっと少なくなればいいと思う。

 

今日も引き続き、テレビやネットニュースで東京レインボープライドが

取り上げられている。より多くの人の目に触れて欲しい。

いろんなことを頭の中で考えてしまうけれど、

とりあえずはそのことを言いたくてブログを書きました。

楽しい一日をありがとう。

「ねぇねぇ、それって・・・好きなの??」に即答できますか。

会社の上司たちと空き時間にお喋りをしていた。

とある女性の上司は既婚者で、旦那さんは外国の方とのこと。

ヨーロッパ(出身地聞いたけど失念)のご出身。

最近たじろいだエピソードを教えてくれた。

 

上司が家でジャージ姿でくつろいでいた時のこと。

熱心に掃除をしていた旦那さんがつかつかと歩いてきた。

 「ねぇねぇ・・・りっちゃん(←上司の名前)、

  それって・・・好きなの?」

は??となる上司=りっちゃん。

最初何を指しているのかわからなかったという。

旦那さんは再度聞いてくる。

 「ねぇねぇ・・・りっちゃん、その格好『好き』なの?」

 

そう、旦那さんはジャージが『好き』なのか?と聞いてきたのだ。

りっちゃんは突然の攻撃に対処できない。

そして旦那さんはこう言って掃除に戻っていったという。

 「好きなら・・・僕は何も言わないよ。」

 

この話を聞いていた一同は「お、おう…」となった。

旦那さんは紳士らしく?普段からスラックスやワイシャツなどの

カチッとした服装しか着ないらしい。家でもそう。

だからりっちゃんのだら~んとした格好が気になったのだろう。

でも。

でもさー。

ジャージ姿くらいよくない?

 

と一同苦笑いしていたが、よくよく考えるとそうじゃないのだ。

『好きか、嫌いか。』

を聞かれているのである。それに対して誰も即答できない。

楽だから好きです~というのはアリかなぁと議論になった。

好きに入るという人もいれば、

自分のセンスから考えて好きか嫌いかだから微妙、という人もいた。

 

てつこはこのエピソード、個人的にとてもおもしろい話だと思った。

『好きか、嫌いか。』

この判断って常には出来ていない気がするからだ。

ここでいう好き嫌いは、本能的直観的生理的に「あ、これ好き!」

「うわ、これ無理」と瞬時に思い浮かぶ感情のことでよいと思う。

子どもの頃はこれが出来ていた。

大人になればなるほど、それを抑えている。

抑えないと社会や組織が成立しないのでそれで良いのだが、

よくいう『自分に正直になる』というポリシーからはズレてしまう。

なかなかこの加減が難しい。

 

昨日書いた↓この雑記ともリンクする。

食べることしか楽しみがない。でも、食べることは最高に楽しい。 - てつこはじと目でなにを見る?

てつこの場合、『食べる』のが『好き』なのだ。

それに気づき自分に素直になったことで、『楽しく』なったんだ。

一晩考えて新たな結論を得た。

ありがとう、りっちゃんの旦那さん。

 

身近なことほど好き嫌いを判断しやすいし、

他人が近くにいないときほど素直になりやすい。

問題なのは社会の中で他人と隣り合わせになったときにどう判断するか。

「人生楽しい!」と口にする人ほど上手くできている気がする。

そういう人は世渡りも上手くて、自分軸と他者軸を

明確に捉えらえている人が多いので、それも必要なスキルなのだろう。

あぁ、そうなりたい。

 

何かを聞かれたとき、

でも~とか、いやぁ別に~とか、ごにょごにょ言わずに

「私は好きだよ」「私は嫌いかな」

と『私』を主語において意見を話せるようになりたい。

 

・・・

でもジャージはよくない?

食べることしか楽しみがない。でも、食べることは最高に楽しい。

学生時代、てつこの家庭事情を知っている恋人とこんな話をしたことがある。

 

恋人「お父さんは酔っぱらい、お母さんはヒステリー起こしてる、

   そんな中でご飯どうしてたの?」

てつ「えーと・・・

   でかまるのもやし味噌が好きだから、そればっかり食べてた」

www.maruchan.co.jp

恋人「・・・」

てつ「あのスープとおにぎりが合うんだよ。食べたくなってきたなぁ。」

恋人(無言でてつこを抱きしめる)

てつ「どうした?」

 

この後、恋人に「お前めちゃくちゃかわいそうだ」と言われた(;^ω^)

 

このご時世、子どもがカップ麺を食べるのは当たり前だろう。

忙しい親がお昼代わり・おやつ代わりに与えても構わないと思う。

それでも、ほぼ毎日カップ麺というのは行き過ぎな気もする。

実は恋人にかわいそうと言われるまではあまり気にしていなかった。

てつ父も忙しかったしてつ母は料理を放棄していたし、仕方なかった。

きちんとご飯を食べさせてくれていたし、問題なし。

・・・と考えてみたが、やっぱり行き過ぎか。

てつこに子どもがもし出来たら、毎日は食べさせないな・・・。

 

なぜ今更こんなことを思い出したかというと、

”いつから食べることが楽しくなったのかなぁ”と思ったからだ。

 

ここ最近のてつこは食べること・飲むことが一番の趣味だ。

居酒屋に立ち寄って生ビール片手にポテサラとハムカツを食べる。

サイゼリヤに行って一人サイゼ飲みを実践する。

家では牛すじカレーを作ってみたりおうち焼肉をやってみたり。

正直、食べることくらいしか楽しみはない。

 

体調を崩していた頃は勿論だが、その以前、

てつこが実家にいた頃から今のような食の関心は一切無かった。

自ら好んでカップ麺を選び、すすり、一食が5分で終わる。

それで良かった。満足だった。

 

以前のてつこのように”食べられればそれでいい”という人は結構いる。

ジム通いをしているため毎食ほぼツナ缶のみで終わらす友人や、

お昼は早く済ませたいからサンドイッチ一つで済ます知人など。

『食』に重きを置かない生き方もアリだと思う。

 

ただ、てつこはちょっと寂しかった。

家族で食卓を囲む温かさや、会話のある食事をしたかった。

そういう寂しさを引きずったまま、社会に出てきた。

 

かといって、友人達とランチをしたり

インスタ映えするような派手なお菓子を楽しんだり、それらができるほどの器量はてつこには無い。

会社の飲み会も出席はするし苦にはならないものの、ちゃっかり断ることも多い。

そういった数年間の紆余曲折を経て、

『無理なく一人で食を楽しむ』

『会話ではなく食べ物の質を楽しむ』

という所に行きついたのかもしれない。

自分が抱えていた寂しさを、自分なりに解決できたのだろう。

数年かかっているけれど。

 

過食や拒食で食べることが辛い人がいる。

食べたくても食べられない人がいる。

楽しくもない食事や飲み会に付き合わされて困っている人がいる。

「食べること」は生きるために必要不可欠。

だからこそ、多くの人が自分に合った満足できる「食」の形を得られればいいし、その為に自分自身で考えていかないといけないのだろう。