てつこはじと目でなにを見る?

おかしな家で育ったおかしな娘が書く読み物

わたしが最期に 見たい顔

jitomenotetsuko.hatenablog.com

 

ちょうどこの時期、お盆の時期はてつばあとてつじいの家によく帰省した。

てつばあ はいつもてつこに美味しい料理を食べさせた。

リスのように料理を頬張るてつこを、てつじいはいつもニコニコしながら見ていた。

てつじいは静かな人で昔ながらの‘家事は一切できない人’だった。

かといって嫌な人間ではなく、

てつこが帰省したときはお喋りもしたし、近所の公園に遊びに連れて行ってくれたりした。

わがままなてつ母にも寡黙で目を合わせないてつ父にも、

てつじいは普通に接していた。

 

てつこが中学に入ると、てつ母は妙なことを言い出した。

昔おやじにいたずらされた、と。

だからあんな奴、さっさとしねばいい、と。

優しいてつじいがそんなはずはない、とてつこは混乱した。

いつものてつ母の妄言だろう、とてつこは言い聞かせた。

 

やがててつ家は一家離散し、てつ母は別の家庭を持った。

てつ母の両親であるてつじい&てつばあ の家に帰省することは無くなった。

それでもてつこは、てつじい&てつばあを慕って年に1~2回こっそり会いに行った。

てつばあの料理を相変わらず平らげるてつこを、てつじいはニコニコしながら見ていた。

 

ある日、てつばあからてつこの携帯に連絡が入った。

 

てつじいが癌で入院した。

もう既に末期だった。

 

社会人になっていたてつこはすぐにはお見舞いに行けなかった。

正直忙しさにかまけて、そして弱ったてつじいを見るのが怖くて、すぐには行けなかった。

それでも意を決して一人で見舞いに行った。

 

案の定、てつじいはガリガリだった。

たくさんの管に繋がれていて、意識は無かった。

シュコーシュコー

と、口に空気を送る管も入っていた。

てつばあが「てつこが来たよ」と弱弱しい声で喋りかけた。

反応はない。

「・・・てつじい、てつこだよ。」

 

目がかっと開いた。

てつじいの、目が開いた。

 

驚きと共に、咄嗟にてつじいの手を握った。

「ごめんね、なかなか来れなくて、ごめんね」

てつじいが強く手を握り返してくれた。

何か言いたそうだった。

喋れるわけがない。

それでも口が動き、手はより強く握られた。

「また一緒にご飯食べようね、ごめんね・・・」

てつこは謝りながら、なるべく笑顔を作った。

その内にてつじいは目を閉じた。

 

数日後、息を引き取った。

 

葬式で久々に再会したてつ母は号泣していた。

あんなにてつじいのことをけなしていたのに。

 

てつじい・てつばあ、そしててつ母、この家族がどんな環境にあったのかは知る由もない。

ただ、てつばあと同じく、てつじいもてつこの優しい祖父だった。

だからこそ最期の一瞬、

しかも「てつこ」の名前に反応して起きてくれたてつじいのことを、てつこは死ぬまで忘れない。

そしててつじいも、てつこの顔が見たくて

最期に見たいと思ってくれていたからこそ起きたのだ。

別れの間際にこんなにラッキーで嬉しいことはない。

もしてつこが一日でも遅く見舞いに行っていたら

てつじいも会いたいと思っていなかったら

こんな機会は訪れなかった。

 

てつこの最期、誰かの顔を見たいと願い、運よく見てから死ぬことができるのだろうか。

「誰か」は一人でも多数でもいい。

今のてつこが考えるべきことは、死ぬことではなく「誰か」を増やすこと。