「心理的虐待」の言葉を見て、冷静に自分を捉えられない、てつこ。
今日このニュースを読み、もやもやと、
もっと言うと気持ち悪さや胃の辺りが熱くなる感覚があった。
『暴言を吐いたり、子どもの目の前で家族に暴力をふるったりする「心理的虐待」』と
はっきり明記され、それが一番多いんだよと伝えてくれている。
これはとても素晴らしいニュースだと個人的に感じた。
「虐待」と聞くと、身体的・性的なものを勝手にイメージしてしまう。
だからこそ他の虐待、ここでいう心理的なものや経済的なもの、
それらが組み合わさっているもの、体などに現れずに目にまだ付いていない程度のもの、
そういった「虐待」がみんなの認識から消されてしまう。
だから敢えて色んな虐待があり、尚且つ心理的なものが実は多いんだよと
世に広めてくれるのはとても意義があると思った。
・・・と、ニュースを目にしたときは↑のように意識高く思えた。
しばらく経ち、今現在、胃の辺りの熱いものが消えない。
「心理的虐待」
この言葉がぐるぐると頭の中を回っている。
てつこもそうだったのだろうか。
このブログやツイッターを始める少し前、信頼している人に言われたのを思い出す。
「てつこは虐待を受けていたんだよ」
「そういうのは虐待って言っていいんだよ」
てつこはそう言われてはっとした。
「虐待」について知っていたつもりだが、実はてつこ自身がそのイメージを勝手に作り上げていた。
漫画やドラマで見たことのある、かわいそうで心身的にぼろぼろに親からされる子どもたち。
てつこは勝手に線を引いていた。
虐待されたあなたたちはここから先の人。私はまだこっち。
それは改めなければならない。
ただやっぱり未だに「心理的虐待」を「受けたのか」が冷静に考えられない。
あの忌々しい記憶。
ようやくパソコン上で文字にすることができた。
それだけの作業なのに息が苦しくなり涙が止まらない。
てつ父への同情が断ち切れない
てつ母への侮蔑が止まらない
てつばあへの「なぜてつ母を甘やかすのか」という責めが止まらない
てつじいの最期が忘れられない
てつこ自身はいつも泣いていたことしか思い出せない
あれが虐待だったのなら、これからどうすればいいんだろう。
あれが虐待だったのなら、、、
だったら何が良くなるんだろう??
まだまだ模索は続く。