何かを食べておいしいと感じること、それはここ数年で得た感覚。(1)
てつ家の食卓は悲しいものだった。
時系列で振り返ると、
1 てつ母が張り切って手料理を作る
2 てつ父はなぜか口にしない、黙って座っているだけ
3 てつ母一切料理しなくなる、てつ父が料理始める
4 てつ母も口にしない、食卓に座らない
5 てつ父がスーパーやコンビニ、出前で調達
6 てつ父も酒浸りになり、食卓で食べるのはてつこだけ
7 一家離散へ
ここにはもう一つ、ある現象が続いていた。
てつこはてつ母ともてつ父とも食事をする、というもの。
学校から帰るとてつ母はご飯を用意していたり、
「好きなご飯を買っておいで」とお金を渡してきたりした。
夕方はおやつではなく、がっつり食事をしていた。
そして夜。
てつ父はてつこに色々買ってきたり作ったりしてくれた。てつ母は食べない。
そう、てつことてつ母、てつことてつ父、の2回夕食が存在していた。
当たり前だがぶくぶくと太った。
てつ母もてつ父も、てつこが好きなものを用意するのでより太った。
それでも、てつこはどっちも拒否しなかった。
てつ母もてつ父も、てつこがかわいそうだと思って用意していたのだろうか。
親として娘に食事を与えなければと認識してくれていたのだろうか。
だとしたら、良い。
もし。
単に自分の話し相手として、自分を慰めてくれる者として、
てつこは食事を与えられていたのなら・・・
こんな被害妄想的なことをなぜ考えるのか。
・・・どちらの夕食も楽しくなかった。
てつ母の本当か嘘かわからない話を聞かされて、時にはてつ父・てつこの友人・てつばあやてつじい等への口汚い文句も聞かされて、てつこは笑顔で相槌を打っていた。
てつ父は自分の分とてつこの分の2食を買ってくるのだが、なぜか自分のはいつも食べずに捨ててしまう。「勿体ないよ」「…じゃあてつこ、食べるか?」となって、その内てつこが2食とも食べることになった。てつ父との会話らしい会話は勿論無い。
もしかしたら。
食卓が彼らにとって唯一「人」とコミュニケーションを取れる場だったのではないか。
てつ母は基本一歩も外に出ない。
てつ父は会社でも寡黙なんだと上司の人から聞かされた。
二人とも話し相手はてつこしかいなかった。
でも結局正しいコミュニケーションは出来ていなかった。
彼らなりのコミュニケーションだったとしても、てつこにとって
どの夕食も、毎週訪れる休日の食卓も、全く楽しくなかった。
てつこの話を聞いてくれる親はいなかったのだから。
そんな日々が10代が終わるまでずっと続いた。