てつこはじと目でなにを見る?

おかしな家で育ったおかしな娘が書く読み物

「どっちでもいい」と「どっちかにしなきゃ」のハザマで悩む悪循環

てつこは大学の卒業論文で『生きづらさ』を取り上げた。

LGTBQの人たちにインタビューしてどんな生きづらさを抱えているのか、

そしててつこ自身が抱えて考えている『生きづらさ』と照らし合わせてどう差異があるのか検討する内容であった。

てつこ自身の結論として、(自分を含め)出会った全ての人が抱える問題に差異は無く、

男と女・同性愛と異性愛・普通と変人…といった、「2つしかない選択肢」を迫られることへの違和感だと結論付けた。

 

それから10年以上経ち、てつこ自身の生き方にその結論は何か影響を与えたのか?

 

・・・残念ながらまだ「こうしなきゃ」「ああしなきゃ」と考える日々を送っている。

世間でいう『普通』にならなくてはと右往左往している。

自分がやりたいことをやる、

自分が決めたことをやる、

自分が好きなことをやる、

そうは思いつつも、結局はしがないOLになり、先輩や上司に媚びへつらい、

リア充ではないことに落胆し、毒親に育てられた自分を責め立てる・・・

具体的な「普通」は無いにもかかわらず「普通」を追い求めている。

他人にストレスフリーに好きな方で生きればいいじゃない、と言われては凹む。

そんな日々。

 

てつこの人生に、模範となる生き方の選択肢があまり存在していないせいだろう。

『こんな風になりたいな』

そんなイメージは子どもの頃から持ち合わせていなかった。

毎日を生きるのに必死で、

両親のご機嫌を取るのに必死で、

将来一人で生きていくことをひたすら夢見て生きてきたてつこに、

『こんな風になりたいな』なんて理想像に目もくれる余裕がなかった。

社会上の人物にも芸能人にも親戚にも身近な職業にも、そんな理想を抱かなかった。

 

ただ二つ、こうあるべきだと知っていたこと。それは、

 

母のように嘘ばかりついて信頼の無い人物に成り下がらないことと、

父のように無断欠勤して会社を首にならないように常識の範囲で勤めること。

 

だからこそ今、

にこにこと笑顔で仕事を行い同僚や上司からの信頼を勝ち取ることと、

OLだろうと何だろうときちんと仕事を行うこと。

例えそれが身体を壊そうとも、

それだけは心の奥底から湧き出て揺ぎ無いてつこのポリシー。

 

要は『普通』であること。

常識的な社会に出た大人であること。

それがきっとてつこの『こんな風になりたいな』というイメージ。

 

だからこそ

「もっと自分の好きなように生きなよ」「普通じゃなくていいんだよ」「逸脱してもいいじゃない、そんなものどっちでもいいんだよ」等と、

理想的な一基準である『普通』を否定されると違和感がある。

なんとまぁ、てつこは面倒な価値観を持っていることか。

 

マイノリティとマジョリティ、

その間に横たわる『普通』を結局てつこは肯定している。

『普通』という基準線を客観的に見て超えたり超えなかったり、そういう判断を臨機応変に下して、尚且つ肯定的にそれを捉えること。

そうすればいいのに、てつこはわかったつもりで出来ていない。難しく考えてしまう。

 

「生きづらさ」って結局は自分で生み出しちゃってるのかもなぁ

 

なんて、そんなことを考えた9月の終わり。