親の人生のケツを持つなんて、まっぴらごめんだ!
人間不信の感が強いてつこの座右の銘の一つにこんなのがある。
『言い出しっぺが損をする』
である。
仕事で「こんなんどうっすかー」と言うと「じゃあお前がやれ」となる風潮。
いや、逆の立場だとてつこも相手に対して「じゃあおま(以下略」となるのだが、
些細な事くらいには同意してみんなでやってほしい時もある。
デスクが汚い、書類棚が汚い、と文句を言うならみんなで片付けようじゃないか。
会議が長い、と文句を言ったり寝るくらいなら資料の作成や会議の進め方をお互い工夫しようじゃないか。
そのくらい、言い出しっぺの責任だけに留めるのはやめてほしいものである。
言い出しっぺが損をすると知ったのは実は会社員になってからではない。
大学時代、もっと言えば高校時代にさかのぼる。
不仲を極めたてつ家には、ある変化が生まれていた。
てつ母が不倫相手と別の家を借りるから一緒に住まないか?と提案してきた。
てつ父はそれを知ってか知らずか、てつこの生きたいように生きなさい、と突然謎の人生論を語り始めた。
1回や2回ではなく、何回も顔を合わせる度にそれぞれが話をしてきた。
てつこは勘付いた。
「ははーん、別れたいんだな」
これも哀しいサガなのか。顔色や口調から読み取ろうとするてつこのチカラが働いてしまった。
自らも自由になりたかったてつこは言った。
「てつこのことは気にしなくていい。とにかく別れてくれ。
これ以上、喧嘩を見続けるのは辛い。」
勿論、これを機にとんとん拍子で離婚話が進んだ。
晴れててつ家は解散した。てつ家3人が望んだことだった。
両親の離婚を子が決めた。
てつこの心は緊張から解き放たれた(と当時は思っていた)。
でもすぐ気付いた。
「ああ、親の人生を決めてしまったんだ」と。
事実、てつ母もてつ父も、経済的にも精神的にもてつこに頼ろうとするようになった。未熟な二人は自分の娘を保護者として認識するようになったのだろう。
てつこは両親の人生に関与してしまったのだ。
離婚の時にパパとママのどっちと一緒に住みたい?と子どもに聞く方がいらっしゃるそうで。
ネットニュースやテレビで以前見たことがある。
そんなこと、聞かないでほしい。
子どもにこれからの生活の責任の一端を担わせないでほしい。
あの時私がこう言ってしまったから・・・
そんな気持ちを抱くときが少なからず出てくる。そんな悲しい気持ちにさせないでくれ。
てつこは両親が離婚することで煩わしさから解放された。
一方でてつ家3人の人生を子どもの感情で決めてしまった。
本当は親が決めるべきことなのに。
(でもそういうことができない親なら仕方がない、のかな・・・)
大学に入ったてつこは、この辛い経験から言い出しっぺって損だなぁと思うようになった。その後の日々の生活でもよく見られる現象なので、その思いは強固なものになった。
かと言って、てつこは親二人の経済事情を丸かぶりしてケツを持って‘あげる’ことなんざお断りだ。
例え親不孝者と罵られても、てつこの人生を守るため距離を取り続けるのである。