てつこはじと目でなにを見る?

おかしな家で育ったおかしな娘が書く読み物

筋肉少女帯『香菜、頭をよくしてあげよう』を聞いて、生きづらい世の中を考える

てつこは久しぶりに音楽を聴いていた。

普段はあまり音楽に触れないてつこだが、いくつか好きな曲がある。

その一つが筋肉少女帯の『香菜、頭をよくしてあげよう』だ。

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最初は上から目線な男の子の曲なのかなぁと思うが、最後がいい。

  ・・・

  香菜、いつか恋も終わりが来るのだから

  香菜、一人ででも生きていけるように

  ・・・

てつこはここに男の子の深い愛情を勝手に想像するのだ。

恋愛って自分勝手なもんで、自分の気持ちの高まりを相手にも要求するし、

自分が冷めたら相手に別れを依頼する。

でも恋愛はそれでいいのだ。

自分勝手だから楽しい。

だからこそ、このフレーズに「香菜の人生の担ぐ」という「決意」が見える。

好き勝手にすればいいのに、この男の子は香菜の将来について考え、

自立できるように責任を持ってあげようとしている。

てつこはこんな風に思える・思ってくれる相手と出会いたかったなぁと思う。

 

自己表現が苦手なてつこ的人間は、恋愛すらも億劫だ。

好意を表現し、相手に伝え、行動に移す。

それらが自然とできないし、恥ずかしい。

オードリーの若林に共感するのも我ながら頷ける。

(今はお幸せそうで何よりです)

そんなネガティブな人間はいつも後ろ向きな発想ばかりだ。

この曲の男の子も相当ネガティブだ。

まだデートの初期段階っぽいのに、もう終わりを見据えている。

そうやって「自分を守っている」。

予防線というか、最悪のパターンを予想しておいて心の準備をしている。

香菜ではなく、この子自身が「生きることにおびえている」。

そのヘタレっぷりにてつこは超がつくほど共鳴してしまうのだ。

 

後ろ向きなのに香菜の人生に加担する決意。

相反するように見えるが、ここにヘタレなりの優しさがある。

この男の子も香菜も、タイプ的には同じような弱い人間だろう。

ただこの子は「自覚している側」。

香菜は「まだ自覚していない側」。

この境界線がほんとにちょっとした差になっている。

自覚している男の子側がちょっと偉そうにしているのも、このことから。

ヘタレの先輩面をして色々と世話を焼いている。

でも実はこれほどありがたいことはない。

これから生きづらくなるよ、だから少しお勉強しなよ、

私のようになるなよ、という親心なのだ。

駄目さを自覚して他人に伝えることは、恥ずかしさを伴うし

謙虚さが必要となるので、なかなかできることではない。

人はみんなカッコつけてしまうから。

てつこもそこを脱すれば、奥深い人間に一歩近づけるのになぁといつも悔やむ。

どうしても、もっとカッコよくなりたいと思ってしまうのだ。

 

香菜のようにふんわりと楽しく生きていければいいのだろうか。

それとも、生きづらさを意識したまま進むのがいいのだろうか。

どちらのタイプにせよ、支えてくれる相手が必要になるだろう。

それは恋人でも友人でも親でも誰でもいい。

完璧な人間なんていない。

お互いに補い合える誰かが側にいてくれること。

そんなシンプルなことが人生を豊かにする上で大切なのだろう。

 

生きづらい世の中に辟易する前に、

自分の立ち位置を見つめ直して何が足りないか考えてみる。

そんな方法を、この曲は教えてくれたので大好きなのだ。