てつこはじと目でなにを見る?

おかしな家で育ったおかしな娘が書く読み物

見出せ活力、奮い立て自分。

会社の上司と二人で昼食をとった。

年末年始をどう過ごすか?という話題になった。

上司は帰省して親戚や友人と会うという。

その親戚の中に、定年退職後イギリスに留学して

刺繍を学んだ人や、年配男性だが料理に突如目覚めて

親戚の集まりの度に手作りの燻製料理を振舞う人がいるらしい。

そういえば、てつこの数少ない友人にも、

お菓子作りにハマって腕を磨いた後、教室の先生にまでのぼりつめた子がいた。

 

話が盛り上がる。

上司がふと、こんなことをしみじみと言った。

「こういう人たちは、何がどう活力になってるんだろうね」

 

確かに・・・

てつこは激しく同意した。

趣味を仕事に、じゃないけれど

自分のやりたいことを追究している人の活力って何なんだろう?

どこから来ているのだろう?

ってか、自分のやりたいことって何?

それっておいしいの?

てつこの頭の中には疑問しか浮かばない。

 

上司から出た「活力」というワードが今でも心に刺さっている。

「活力」か・・・。

久しく聞いていなかったな。

活動する力。たぶん、”元気よく”活動するチカラなのだろう。

ネガティブ思考や心の闇深さに定評のあるてつこにとって、

「活力」は相反するキーワードである。

手に入れたいと思いつつ、自らその手を放しているようなもどかしさも感じる。

 

刺繍を学びたい、料理を振舞いたい、上手くなりたい、

「〇〇したい」という気持ちがその人を突き動かしている。

これが活力なのか。

「〇〇したい」。

最近そんな衝動があったかな?

常に「肉が食いたい」「酒が飲みたい」「ぐっすり寝たい」はあるけれど。

三大欲求じゃない、もっと自分の趣味とかスキルとかにつながる気持ちは

あんまり感じてなかったな。

自分のため。

自分の成長のため。

自分の将来が充実するため。

そういう考えを失っていた気がする。

 

昨年の暮れから、ただひたすら会社での昇格と異動を考えて頑張っていた。

もしかしてその頃から自分の気持ちが見えなくなっていたのかもしれない。

その証拠になるだろうか、

現時点で仕事になんのワクワクも希望も感じない。願いが叶ったのに。

贅沢だとはわかっている。

けれども、昔の自分が思い描いていた自分には、今はなれていない。

 

ああ、そうだ。

この虚無感を「活力」に変えられないだろうか。

てつこは小さい頃からそうしてきたじゃないか。

何をしても満たされないから、

とにかく何でもしてきたじゃないか。

頑張り過ぎて疲れちゃうデメリットはあるけれど、

それさえ気を付けていればワクワクドキドキできるのだ。

ほどほどに何かにチャレンジしてみる。

 

・・・意図せず【今週のお題「2019年の抱負」】になってしまった。

まぁ、いっか。

来年は自分と向き合える年にしたい。。。

 

ここまでお読みいただいた方々、ありがとうございます。

今年もお世話になりました。良いお年を。