てつこはじと目でなにを見る?

おかしな家で育ったおかしな娘が書く読み物

ぼっちな里帰り

てつこの実家は今はもう無い。

生まれ育った家は借家だったので、てつこが独立し

父が引っ越した時点で他の人の手に渡った。

離婚した両親がそれぞれ今住んでいる場所を知らないてつこにとって、

実家はない。

それでいいのだと思っているものの、

ちょっと今回は「どこかに帰りたい」という気持ちが強くなり

生家があった街に電車を乗り継いで行ってみた。

 

行きの電車内では少しドキドキした。

10数年ぶりに足を運ぶのだと思うと、ワクワクしてきた。

駅に降り立ちバスに乗ろうかと思ったが、

せっかくなので歩いて向かうことにした。

数十分歩く途中、「まだこの店やってるのか!」などと驚きもした。

生家のあった地域に着き、すぐに小学校へ向かった。

ドッチボールやバスケにハマり、男子に混ざって興じていた当時のことを

思い出した。あの頃は活発で、上級生に喧嘩売ったりしてやんちゃだった。

目つきも悪かった。よく親や先生に怒られたものだ。

次に、今は別の人が住んでいるだろう家に向かった。

家の外観を目にした時は、自然と声が漏れた。大分古くなっていた。

意外と、父と母と住んでいた当時のことは思い出さなかった。

他人の家を写真に撮るわけにもいかず、

もう来ないかもしれないという思いで目に焼き付けた。

一通り地域をぐるっと見て、また歩いて最寄り駅まで向かい帰宅した。

 

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家の近くにある梅がもう少しで咲きそうだった。

子どもの頃、見上げては咲くのを楽しみにしていた。良い香りがするから。

 

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田んぼが広がるのどかな風景。

 

今回行ってみて思ったのは、

てつこの中で父と母との記憶が大分薄れてきているなぁということ。

楽しかったことも辛かったことも色々あったはずなのに、

もうあまり思い出せない。

このブログを始めた2~3年前は、積年の恨みのように昔の出来事を

思い出しては泣いていた。鮮明にも思い出せたものだった。

けれど逆に今はさっぱりとしか蘇ってこない。

辛くなくなって良かった、と思う一方で正直寂しくもある。

帰る実家どころか、拠り所となる思い出も無くなってしまったのだろうか。

自分の記憶が薄らいでいく。

それなのに「どこかに帰りたい」という感情が起きるのは不思議だ。

帰るところなんてないのに、それでも思ってしまう。

帰巣本能ってやつだろうか。

ならば本能なら仕方がない。帰りたいと思う度に味わう寂しさを、

これからも乗り越えながら生活していくしかない。

今回は里帰りしてよかったのだ。

少しでも前向きに感じよう。