てつこはじと目でなにを見る?

おかしな家で育ったおかしな娘が書く読み物

だるま落としのだるまが、わたし。

 

田房永子さんの『いったん親のせいにしてみたら案外うまくいった 』を

読んで、はっとした。

 

やばい、土台を、見失ってる。

 

精神的に不安定でてつ父に暴力をふるったり借金をしたり不倫したりのてつ母と、

精神的にふさぎ込んで誰とも会話もしない誰とも打ち解けないてつ父。

てつこ自身、自分の家は何か変だと思ってはいた。

てつ母のこともてつ父のことも嫌いだし信頼もしていなかった。

なのに。

20代に入ってもそれぞれを気を遣い話相手になり、時には家の手伝いもした。

 

心の中がもやもやしているのは気付いていた。

 

でも、

いやまだ大丈夫、大丈夫…まだマシ…

と思っていた。

 

歳を重ねて「この人たちも自分も、あかんわ」と思い連絡を絶った。

それからようやく、てつこ自身の弱い所と強い所、良い所と悪い所、

なるべく客観的に見られるようになった。

「てつこちゃんは偉いね」と言われたら素直にそれを喜び、

「ありがとうございます」とお礼を言い、

嬉しさと共に何が良かったのかを考え次につなげられるようになった。

 

以前は褒められても「この人はなんでこんなおべっかを私に言うのか」と懐疑的だった。

容姿や持ち物を褒められても「この人の感覚はおかしいのかしら」とひねくれていた。

 

てつこは成長した!!!!!

 

 

と思っていた。

でも心のどこかで拠り所を探していた。

何かがまだ足りない。

何か、

てつこ自身を支える何かが見つかっていない。

 

それが踏みしめるべき『土台』だった。

 

まさに今日、『土台』になりかけていた仕事でがっかりしてきたところだ。

最近のてつこは仕事で成果を上げて認めてもらおうと、無意識に必死だった。

疲れていても、

大丈夫…まだいける…

と思っていた。

なんでそんなに頑張っているの?と聞かれて「はぁ?」と思っていた。

いや、あんたらがやらないからじゃん。

いや、あたしならできるし。

 

……何故こんなにてつこは荒んでいるのだ???

いかん、何かてつこは勘違いしていた。

気嫌いしている人種と同じになっていた。

独りよがりのくせに文句をつける人種。偉そうなのに何もしない人種。

「てつこ」という人格を再形成するために、

今までのてつこの人生を取り戻すために、

これからの人生を親のためではなく自分のためにしていくために、

親という土台を降りた。そうだよな、てつこ。

 

 

だるま落としですこーんと土台が撃ち抜かされた。

それをやったのはてつこ自ら。

いまてつこは宙ぶらりんだが、いずれどこかに着地する。

ゆっくりでもいい、安易に着地して居座らずに、ころころと転がってどこかで止まればいい。

危うくそれを忘れていた。