コミュニケーション不全の家で育った結果、欠けてるものと、今欲しいもの。(2)
『相手の目を見て話す?そんなことできるかよ』
『あの人、話すときに目を合わせてくるからなんか気持ちわるーい』
…思春期の頃によくあるやつ。
『目を見て話す』ってのはハードルが高い人はたくさんいる。
てつこも大学生くらいまでは一切相手の目を見れなかった。
見たくもなかった。
子どもの頃のてつ母の見開いた目で叱責されてから、
人の黒目が怖い。
それでも気の合う友人やすごい人だなぁと思える先生と話をして、
そんなに無理して話を聞いて‘あげなくても’いいんだ、
そんなに無理して気を遣わなくていいんだ、
と気付き、多少目を見たり適度にそらして相槌したりできるようになった。
少しずつ他人とのコミュニケーションに自信を持ち始めた頃。
当時の恋人に言われた。
「なんかお前、何かが欠落してるんだよな。」
…頭の中が真っ白になった。
…え?うっそ。
…いや、てつこは普通ですよ??
恋人はてつ家の荒廃ぶりを知っていたし、てつこ自身のめんどくささも知っていた。
だからこそ気付いたことだった。
外面のよい(と思っていた)てつこには、当時、何がいけないのか全くわからなかった。
てつこ自身のこと、そしててつ家のことを
涙や吐き気を押さえつつ冷静に考えること、それが今ようやくできつつある。
あぁそうだ、まず「会話」が無かったなぁ
そんな小さなことに、10年も20年も気付かなかった。
口では異常な家族だ!と訴えても、心のどこかで「うちは普通の家族だ」と思い込んでいる節があった。
会話を通じて意思疎通をする、これが無かった。
てつことてつ母は偽の笑顔と作り話でお互い嫌われないよう気を遣っていた。
てつことてつ父は本音や本心を一切伝え合わなかった。
てつ母とてつ父は…まだよくわからないけど、意思疎通はできていなかった。
なのに、
「うちは普通の家族だ」という信仰が根付いていた。
恋人が気付いた、てつこに欠落しているもの。
相手と面と向かって話をして、受け答えして、確認して、納得して、相手を更に知ること。
至極単純な「会話」が出来ていないこと。
他人との信頼関係が上手く築けないこと、てつこ自身も築こうと思っていないこと。
きっとそれらに気付いたのだろう。
てつこ自身は『てつ母やてつ父と違って、私はまともだぜ!』と思っていた。
が、そうではなかった。
社会に生きる人として大切な『信じる心』がてつこには無かった。
そういう面ではてつ母&てつ父と同じ。
それが
とてもとてもとてもとっっっても
悔しい。
構わない。
無理して人を信じようなんて、そんなしんどいことはしない。
無理して人と良好なコミュニケーションを取らなければ、なんて思わない。
もう無理なんてしたくない。
だから欠けたまま生きていく。
でも、もし今すぐ手に入れられるなら、
せめて自分を信じる心が欲しい。
昔よりましになったけど、肝心な時に自分を奮い立たせる己への自信がまだ無い。
てつこの息苦しさが消えるのは、まだ先か。