てつこは一人で生きていく。その心は…私にりょうしんはありません。
今週のお題「読書の秋」
てつこは本を読むのが苦手だ。どうにも集中できない。かと言って、電車の中やちょっとした休憩時間で読む、なんてこともできない。
それでも読みたいと思って買ったのが、
マーサ・スタウトの「良心をもたない人たち」(草思社文庫)。
猟奇殺人犯なんかをサイコパスと呼ぶけれども、実はもっともっと身近にいて、
尚且つ社会に溶け込むタイプのサイコパスが25人に1人いるんだ!という本らしい。
そんな過激な本になぜ惹かれたのか。
他ならぬ、てつこの家の登場人物が「そんな感じ」だから。
てつ母は平気で嘘をつく人だ。
その嘘は「私は癌だが娘のために自宅療養している」という美談から、
「私は〇〇というドラマのゴーストライターなの」というトンデモ話まで多岐に渡る。
その嘘を例えば娘のてつこが「それって嘘でしょ?」と聞くと見事なまでに逆切れする。そして「娘のお前が母をバカにするのか!」と感情論で責め立てる。
てつ母の中で真実は一つ。
自分がこうだと思うこと。
ただそれだけで‘真実’となり得るのだ。
てつ母という女性を間近で見てきて、ただの嘘つきやメンヘラなどとは違う点がある。
この本の通り「良心がない」ところ。
てつ母はてつこに対し「てつ父とこんなに仲が悪くなってしまったのは、私にも悪い所があったのよ」と泣きながら訴える。
その一方で、てつ父には容赦なく蹴りを入れ身体的暴力を行う。てつこの目の前で。
言っていることとやっていることの辻褄が合わないのだ。
それでも彼女は悪びれない。
社会の善悪とかマナーとか相手の立場とかは関係ない。
あくまでも彼女自身が基準。
そこがすごく怖い。
話ができない。会話にならない。だから怖い。
てつことてつ母に共通する価値観が一切無い。だから分かり合えない。
そこがただの嘘つきやメンヘラとは違う。
心を病んでいても「こんなことしたら他の人の迷惑になるかな」「見られたら恥ずかしいな」「こんなことバレるよな」って多少は思うもの。
そういった他者の目・社会の目がてつ母には無かった。
怖いことに、てつ父も「彼自身が基準」という面が強かった。
てつ父は気分によって、出社したり無断欠勤したり、てつこと会話したり無視したり、
てつ母にプレゼントをしたりケガをしても救急車すら呼ばなかったり・・・と、
ころころと対応を変えた。
そこに良心は無かった。
てつこは自分の両親がサイコパスだ!なんて言いたくはない。
けれども過去この目で見てきたてつ家の日常と、その中で育った自分自身のこと。
てつこの中にある、社会や人間関係に対する冷めた心と、
両親に対する憎しみや悲しみなどの複雑な心。
それらを客観的に捉え直すためにこの本を読みたい。
そう思って大分前に買ったが、ちょっと怖くて開けない。
色々な思いが込み上げて冷静に読めないかもしれない。
けれどもこれをきちんと読み終わったとき、
てつこ自身の生き方のヒントになるのでは・・・と勝手に大きな期待をしている。