鏡とかけまして、他人の心と解きます。そのこころは、はしたない奴ほど見ていません。
知人が言ったある一言が、てつこは今でも忘れられない。
『人は鏡だ。自分が嫌な顔をしたら相手も嫌な顔をする。
自分と同じことを相手もする。』
なるほど確かに、と思った。
続けて知人はこうも言った。
『だから自分が嫌だなと思うことは相手にはしない。』
そりゃあそうだ、と。
てつこ自身、顔色をうかがったりるものの
自分がされたら嫌なことは相手にしようと思わなかった。
それがごく普通の考え方。
てつこがはっとしたのは、てつ父とてつ母が「そうではない」こと。
特に毒親の見本のようなてつ母は、相手のテリトリーにずかずかと土足で踏み込んでくるような発言が多く、一方で自分が同じようなことを言われたら激怒した。
支配下のてつこは、20歳そこそこになりようやくてつ家の両親が「オカシイこと=普通のことが出来ていないこと」に気が付いたのだ。
それを今日読んだ田房永子さんのコミックエッセイで思い出したのだった。
いったん親のせいにしてみたら案外うまくいった|#7 不安を「まき散らさない」ということ
登場人物のエイコさんが母親から言われていた台詞、てつこもてつ母からよく聞かされたものばかりで笑った。
「毒母」という存在は他人の家であってもこんなにも似ているものなのか。
そしてエイコさんもてつこも、「やだこの人、恥ずかしい!」
「こいつ変な奴だ…」という感情から「オカシさ」に気付けたのだ。
そこにたどり着くには、歳を重ね、様々な人と出会った経験があったからこそだろう。
以前から感じていた。
他人とのコミュニケーションが極端に下手な人は、何が嫌がられるのかの判別がついていないらしい。
てつ父はまともに会社で働けなかった。真面目にできなかった。
てつ母は親戚や知人とはよく衝突し、文句を言い、自ら関係を絶った。
てつこの会社にいる‘ブルーマン’と呼ばれる嫌われ者のお局様も、物を投げるなどの問題行動が多く、上司が指摘しても治らない。
『比較』をする能力が驚くほど『皆無』。
社会の中で『恥ずかしい』という認識が無い人間ほど、その能力がない。
(最近ではそれを障害とする動きもあるが、その人々の多くには
自覚があり悩みがある。少なくとも上記3人は自覚していないだろう。
自覚していても悪意があるかのような、ただの面倒な人種なのである。)
このようなモンスターに出会ったら・・・
やっぱり避けるかやり過ごすしかないのだろう。
関わらないのが一番だ。
てつこは時々とてもひどいことを考える。
昔でいう姥捨て山のように、モンスターだけを隔離できれば普通の人は幸せになるのだろうか、と。
いや、そんなことはないだろう。
人間のする選別なんてろくなもんじゃない。
社会に生きる人間として、まずは生み出さないよう心がけることが血の通った考え方だろう。
だからこそ毒親の元に生まれた毒娘として、失敗も成功も教訓も、全てを他者に伝えてみることがちょっとした社会貢献になる・・・やもしれない・・・。