食べることしか楽しみがない。でも、食べることは最高に楽しい。
学生時代、てつこの家庭事情を知っている恋人とこんな話をしたことがある。
恋人「お父さんは酔っぱらい、お母さんはヒステリー起こしてる、
そんな中でご飯どうしてたの?」
てつ「えーと・・・
でかまるのもやし味噌が好きだから、そればっかり食べてた」
恋人「・・・」
てつ「あのスープとおにぎりが合うんだよ。食べたくなってきたなぁ。」
恋人(無言でてつこを抱きしめる)
てつ「どうした?」
この後、恋人に「お前めちゃくちゃかわいそうだ」と言われた(;^ω^)
このご時世、子どもがカップ麺を食べるのは当たり前だろう。
忙しい親がお昼代わり・おやつ代わりに与えても構わないと思う。
それでも、ほぼ毎日カップ麺というのは行き過ぎな気もする。
実は恋人にかわいそうと言われるまではあまり気にしていなかった。
てつ父も忙しかったしてつ母は料理を放棄していたし、仕方なかった。
きちんとご飯を食べさせてくれていたし、問題なし。
・・・と考えてみたが、やっぱり行き過ぎか。
てつこに子どもがもし出来たら、毎日は食べさせないな・・・。
なぜ今更こんなことを思い出したかというと、
”いつから食べることが楽しくなったのかなぁ”と思ったからだ。
ここ最近のてつこは食べること・飲むことが一番の趣味だ。
居酒屋に立ち寄って生ビール片手にポテサラとハムカツを食べる。
サイゼリヤに行って一人サイゼ飲みを実践する。
家では牛すじカレーを作ってみたりおうち焼肉をやってみたり。
正直、食べることくらいしか楽しみはない。
体調を崩していた頃は勿論だが、その以前、
てつこが実家にいた頃から今のような食の関心は一切無かった。
自ら好んでカップ麺を選び、すすり、一食が5分で終わる。
それで良かった。満足だった。
以前のてつこのように”食べられればそれでいい”という人は結構いる。
ジム通いをしているため毎食ほぼツナ缶のみで終わらす友人や、
お昼は早く済ませたいからサンドイッチ一つで済ます知人など。
『食』に重きを置かない生き方もアリだと思う。
ただ、てつこはちょっと寂しかった。
家族で食卓を囲む温かさや、会話のある食事をしたかった。
そういう寂しさを引きずったまま、社会に出てきた。
かといって、友人達とランチをしたり
インスタ映えするような派手なお菓子を楽しんだり、それらができるほどの器量はてつこには無い。
会社の飲み会も出席はするし苦にはならないものの、ちゃっかり断ることも多い。
そういった数年間の紆余曲折を経て、
『無理なく一人で食を楽しむ』
『会話ではなく食べ物の質を楽しむ』
という所に行きついたのかもしれない。
自分が抱えていた寂しさを、自分なりに解決できたのだろう。
数年かかっているけれど。
過食や拒食で食べることが辛い人がいる。
食べたくても食べられない人がいる。
楽しくもない食事や飲み会に付き合わされて困っている人がいる。
「食べること」は生きるために必要不可欠。
だからこそ、多くの人が自分に合った満足できる「食」の形を得られればいいし、その為に自分自身で考えていかないといけないのだろう。