「饒舌」な「自分」を「やめたい」
てつこは他人と喋るのが苦手である。
でも人見知りはしない。
一見両立できないように見えるが、実際そうでもない。
てつこはお喋りしていて楽しい人だと先日褒めていただいた。
会社で新部署に移った今、初めて喋る人とも仲良くできている。
従って人見知りではない。
でも、他人と面と向かって喋るのはやっぱり苦手なのである。
そういう方は意外と多いのではないだろうか。
人付き合いはするけどホントは苦手。
そんな感じ。
てつこの場合、身体に出てくる。
喋ると「異様に疲れる」のだ。異様に。
ただ疲れるのではなく、恥ずかしさや虚しさ・苛立ちといった
負の感情によって疲れてしまう。
家に帰って気分が沈む。
仕事や飲み会・友人との食事が3日くらい続くと頭痛がしてくる。
寝ても寝ても負の感情が忘れられなくなる。
これは菊池真理子さんのエッセイ1話目の描写と似ていてとても共感した。
特に「疲れる」から「やめたい」ことがある。
それは、テンション高くやたら喋ってしまうこと。
「饒舌」をやめたい。
相手が初見だろうとちょっと話したことある人だろうと、
よほど心の許せる相手じゃない限り饒舌スイッチが入る。
そして場を和ませようと、さも楽しげに喋り続けてしまうのだ。
(一方で、信頼している相手には無理には喋らない。
むしろ聞き手にまわることが多い。。。)
一番自分で自分を許せないのは、
大して信頼していない相手にてつこの家の事情や
てつこのその時の悩みなんかをペラペラ喋ってしまうこと。
適当な話題が無くなった時なんかにしでかしてしまうことが多い。
会話をしていて話題がなくなり沈黙になると、
(やばい、なんか話出さなきゃ・・・!)と反射的に考え、
自分の話題を出してしまう。
後日、「てつこさんって大変だね~」とか言われて
(あれ?この人にこんなこと喋ったっけ・・・???」)となる。
そして自己嫌悪に陥る。恥ずかしい。メンドクサイ。何やってんだ自分。
・・・こんなことが未だにやめられない。
なんでだろう。
沈黙が嫌なのかな。
ノリの悪い奴と思われるのが嫌なのかな。
もっと考えると、険悪な雰囲気のてつ家の中で
食卓で明るく話題を振りまこうとしていた子どものてつこが
身に着けた処世術なんだろうな。
でも、もうそんなモノいらないはず。
それに雰囲気とか沈黙とか気にしなくてもいいはず。
明日は月曜日。
また昼休みにペラペラ喋って楽しげに演じるのか。
またテンション上がって一人トイレでぐったりするのか。
憂鬱だ。
コントロールできない自分が嫌だ。
『いらんことゆーな!』
これからはもう一人のてつこにツッコミになってもらおう。
てつこの饒舌スイッチが入ったら即ツッコんでもらう。
新しいインナーチャイルドの役割、なんてな。