てつこはじと目でなにを見る?

おかしな家で育ったおかしな娘が書く読み物

縁を切って逃げ切るのに必要なエネルギー量を求めよ

てつこは両親と何年も会っていない。

携帯電話も変えたし連絡も取っていない。一人でひっそりと暮らしている。

 

てつこが成人してから、てつ父は会社を辞めた。

てつこが子どもの時から、てつ母は「色々」あって働けなかった。

 

そう、てつこの両親には収入がない。

そしてもはや、てつこの両親は夫婦ではない。

お互い、一度は別の家庭となった。今続いているのかは知らない。

だから実家は、無い。

借り家だった元・実家は、とうの昔に別の人が住んでいる(はず)。

元・てつ家の3人には帰る場所もない。

 

てつこはなんとか正社員になって、なんとか生活できている。

てつ母はマンションを買って一緒に住もうと何千回も言っていた(誰がそんな金持ってるんだ)

てつ父はまだ働ける歳だけれども会社を辞めた(昔から無断欠勤して仕事サボってたしな)

 

大人になっても両親の面倒を見ないといけないのか

両親を養うために働き続けないといけないのか

どっちが保護者で、どっちが子どもなのか

てつこはずっと考えて考えて悩んで泣いて泣いて、ある日爆発した。

 

限界だった

連絡を絶つと宣言し、両親と関わりのある親戚や友人たちとも連絡を絶った

友人とその親に、てつ母は色んなことを吹聴していたから。

とにかく限界だった

当時を思い出す物も捨てたし、SNSで繋がることも一切しない

変な噂が立っているだろうが気にしない

もういいんだ、昔のてつこはもういない

親不孝者だろうと関係ない

てつこ自身が楽しいと思う時間を過ごしたい

 

その一心なのに

夢の中で「この裏切者!」と両親に罵られて夜中に飛び起きる

心のどこかで、帰る家がないことを寂しく思っている

休日に一人だと、人生損した気分になる

 

それでもてつこは縁を切り続ける

最終目標は彼らのお葬式にも行かないこと・呼ばれないこと。

縁を切るというのは「普通」と比べて非情になること。

意外とそれが難しい。

てつばあ との思い出

てつ母の母、てつばあ はてつこの面倒をよく見ていた

 

てつこがまだまだ小さい頃

てつ父は会社に行っていたし、てつ母もパートをしていた。

両親不在にするときは てつばあ が朝来て家事をしててつこにお昼を食べさせた。

 

てつばあ は田舎の農家出身ということもあってか、

煮物や和風の汁物とかお魚料理とかが得意だった。

派手な洋食ではないけれどもどの料理もおいしかった。

てつこが一番好きだったのは、焼きおにぎり。

てつばあ のおにぎりは完璧な「おにぎり三角形」だった。

更にそれに醤油や味噌を塗ってグリルで焼いてくれた。

お昼を食べたら近くの公園や河原に連れて行ってくれた。

春は花を摘み、夏は川辺でザリガニを釣って、秋はムカゴを拾って、冬は…さすがに家にいたかな。

 

てつこが大きくなり、てつばあ と てつじい の家に遊びに行った時も

大きな食卓テーブルを奥から出してきて、

そこいっぱいの料理が並んだ。

どれもおいしかった。

それでもてつこは焼きおにぎりをねだって、作ってもらった。

 

てつこはたまーにおにぎりを握る。

どうしても「おにぎり三角形」にはならなくて、俵になってしまう。

その度に てつばあ のことを思い出し、コツを聞いておけば良かったと後悔する。

 

 

てつ母はよく文句を言っていた。

てつばあ は本当にひどい母親だった。

てつばあ のせいで私の人生はめちゃくちゃになった。

てつばあ にはもっと償ってもらわないと困る。

 

てつばあ は大分歳をとってからもアルバイトを続けていた。

てつこは薄々気付いていたし、大人になって確認した。

てつばあ は毎月たくさんのお金を振り込んでくれていた。

たくさんのブランド服が部屋いっぱいに溢れていて、

立派なホテルのスイートルームに何泊もして、

高級フルーツが毎月毎月届けられるのは

それがあったからなのだ。

 

てつこはそんな大人たちのお金のやり取りなんて知らんぷりしていた。

ただ、てつばあ が作ってくれる料理は残さずおいしく食べた。

てつばあ が本当に心から喜んでくれたから。

 

それで罪滅ぼしになるのなら

いくらでも食べるよ。また焼きおにぎり、作ってくれないかな。

てつこはやせ細った男が嫌い、なせばらば。

てつ父は恐ろしいほどに

瘦せていた。

 

てつこ自身は結構太っていた。特に子供の頃。

てつ母と一緒に、3時のおやつにケーキをホールではんぶんこして食べて、

夜にてつ父の準備する夜ご飯を食べていた、そんな毎日だった。

 

てつ父は以前からごはんは食べなかった。

お酒をそれはさぞかしよく飲んでいた。

 

お酒を飲むと目が座り、てつ母やてつこが喋りかけても返事はなかった。

あっちに行って、戻ってこなかった。

私の夜ご飯を用意して、役目を果たしたと思った瞬間から飲んでいた。

てつ母はそんなてつ父が嫌だったらしく(そりゃそうだろう)、

一緒の食卓につくことはなかった。

 

私は黙々と用意されたコンビニやお弁当屋さんのごはんを食べた。

 

てつ父はお弁当を並べた後、お酒を飲み始め、目がうつろなまま夜を過ごした。

 

てつ母はてつ父に怒りをぶつけ、物を投げ続けた。

 

 

てつ父は年々やせ細っていった。正直、てつこより体重は下だろう。

 

てつこは縁を切った今でも、街中で細い男性の後ろ姿を見るとどきっとする。

「もしや・・・てつ父?!」

痩せている男性の姿が、てつ父と重なって心臓を波打たせる。

追い抜いて顔を見て『違う』と確認するまで、心臓はどくどくと波打つ。

 

てつこよ、

てつ母に精神的にも肉体的にも傷つけられた、てつ父を見捨てるのか。

精神病院にまで入ったてつ父を、お前は見捨てるのか。

 

なぁ

てつこよ、

お 前 は 両 親 を 見 捨 て る の か ?

うさぎは寂しいと死んじゃうんだよ、だと???

てつ母は

「うざぎは寂しいと死んじゃうんだよ」

とよく言っていた。

 

てつこが物心ついたとき、もう既に夫婦喧嘩の絶えない家だった。

大声でわめき、皿が割れ、悲鳴が近所に響いて、パトカーが度々来た。

 

てつこは小さいときから外で同世代の子と遊ぶのが苦手だった。

外で何をして遊べばよいのかわからなかった。

たまに仲良くなった子がいると、あの子はだめよと咎められた。

なぜかはわからなかったけど、歯向かうことはしなかった。

 

てつこは、てつ母の機嫌を損ねてはいけないと知っていた。

 

小学校に上がると、てつ母は家から出ること自体を咎めるようになった。

お友達よりも習い事を優先するように言われた。

中学校ではてつ母はどんなことでもてつこに相談するようになった。

高校に入ると、てつこはてつ母の良き飲み友達になった。

 

 

大人になり、てつ父もてつ母もそこに繋がる全てを捨てたてつこは、ふと気づいた。

一人だ。

私は、一人だ。

あぁ、なんだか、とても寂しい。

何をしても、誰と喋っても、心がスカスカで埋まった気がしない。

 

自分だけが寂しいうさぎちゃんだ(T.T)

『かわいそう』という呪い

『かわいそう』はとんだネガティブワードだ

 

病気で若くして亡くなってかわいそう

友達いなくてかわいそう

家が貧乏でかわいそう

悪い奴にだまされてかわいそう

 

かわいそう、と言った瞬間に、その対象者はもはや救いようがない立場に見えてくる

そんなつもりでは無かったとしても、

あぁかわいそう…あの人本当にかわいそうだよねぇ…

と周りが連呼する度に、

もう二度と幸せが来ない呪いをかけている

呪いだから当人もそれを受け入れてしまうかもしれない

 

一時期、『かわいそうなわたし』と自分を位置づけていた

結局、『かわいそう』は私を鬱にさせていただだけだった

 

某ジャーナリストのように美しい日本語を追究したり

教師が言葉には魂が宿るんだと熱弁したり、

そんな精神的な考えと私はカンケーないと思っていたけど

案外言葉一つで変われるものだ。

『かわいそう』を連呼するのはもうやめだ

あなた、嫌われることに慣れてません?

なんでそんなに平気で嫌われることをしちゃうんだろう、という人がいる。

意外といる。

しかもド級で嫌われることをしている人が、意外といる。

 

その人は同じことをされたら、嫌じゃないんだろうか。

 

私は大丈夫、そんなことされない、思い込んでいるのだろうか。

いやいや、そんなことしてきたらやり返してやるよ、と思っているのだろうか。

いずれにせよ、かわいそうな生き方だなと私は思う。

 

全ての人間に好かれることは絶対にない。

かといって、嫌われても平気だなんて、私は心から言えない。

人の目はそんなに気にしなくてよいとは思うけど、

やっぱりなるべく他人からは「よしよし、いい子だ」とされたい。

 

もしかして

彼彼女らは「よしよし」されたことないのかも。

そしたらやっぱりかわいそうだ。

かと言って、頭ぽんぽんしてあげる余裕は私にはない。

せめて彼彼女らを責め立てることをしないよう、大人の振る舞いをしていこう。

精神病になったあなたへ

拝啓

 

お身体の具合はいかがですか。

統合失調症で自宅療養をされていると聞き、大変驚きました。

学業だけでなく、学校行事やアルバイトにも打ち込まれてらっしゃいましたね。

一方でお母様のご機嫌を伺い

一方でお父様のご心配をされ

日々のご心労が重なってのことではと推察しております。

 

もう、そんなに頑張らなくてよいのではないでしょうか。

子どものあなたが、

そんなに気を遣わなくてよいと思います。

もっとのびのびと、子どもらしく自由に生活してください。

大人になってからはできないことです。

わがままを言って、お小遣いをちょっと多めにせびって、

友達とだらだらして、家に帰ってごはんまだー?と急かして、

お風呂上がりの濡れた髪のままテレビを見て、そのまま寝てたたき起こされて、、、。

 

そうそう、あなたのおうちは上記のようではありませんでしたね。

では…

 

あなた自身で、安らぐ生活を作り上げてください。

どんな形でも構いません。

時間がかかっても構いません。

決してそんなに頑張らず、いい具合に生活をしてください。

一つだけ、人として恥ずかしいことはしないこと。

それだけ守ればよいのです。

 

最後にまた書きます。

もう、そんなに頑張らないでいいですよ。

 

一日も早い回復をお祈り申し上げます。

 

敬具