てつこはじと目でなにを見る?

おかしな家で育ったおかしな娘が書く読み物

夢で逢えたら。

また最近、てつこは悪夢を見て明け方目が覚めてしまうようになってきた。

落ち着いていたはずの統合失調症のせいなのか、そのための薬の副作用なのかはわからない。

ただ頻度は増えてきて、嫌な感じ。

 

統合失調症の症状がひどいときは毎晩中途覚醒しまくっていた。

幸いにも、水を飲んだりトイレに行ってみたりして

少し経てばまた眠りにつけていたので症状としては軽かったかもしれない。

しかしながら、寝汗まみれでがばっと飛び起きるのは良い気持ちではない。

 

内容はいつも一緒。てつ家の日常のこと。

てつ母の怒号や暴力、てつ父のかわいそうな姿、

てつばあの困った顔、てつじいの死に際の苦しそうな息遣い、そんなんばっかり。

時にはあり得ないストーリーもミックスされておどろおどろしい展開が広がる。

不思議なことに、悪い夢は鮮明に覚えいているもので

起きてからも午前中はぐるぐると頭の中を回るのがやっかいだ。

 

夢は日中の記憶を整理している大切な脳の作業、と聞いたことがある。

こんなにもてつこの脳みそには「悲しい」記憶しか残っていないのか。

それとも良かったことが同じくらいあるのに隠れてしまっただけなのか。

 

家族でも仕事でも恋人でも友人でもお酒でも食べ物でも動物でも、何でもいい。

一週間くらいぶっ続けで心が和む夢を見たい。

てつこが考える、教育ママのNGワードは『そんなことも分からないのか!』

小さいてつこを着飾らせて、借金しながら買い物しまくって、

近所の人からの『目』を異常に気にするてつ母。

案の定、てつこへの教育にも熱心だった。

 

幼稚園のてつこは、習い事の王道はほぼ制覇した。

ピアノ、英語教室、水泳教室、空手(合気道?もはや覚えてない)、

幼児用通信教育、公文、バレエ …というところか。

 

‘教育ママ’ということに対し、てつこは今でも否定的には考えない。

むしろ、小さなころから色々勉強した方が視野が広がるし、

家に資金があるのならそのお金で経験をとりあえずさせて損はあまり無いと思う。

 

但し、てつ家ではてつ母の悪い所が最大限発揮され、習い事を通しててつこの心は傷ついた。

てつこがよく言われた言葉。

『なんでそんなことも分からないのか!』

…こんな単純な英語もできないのかと、覚えが悪かったことをよく怒られた。

『なんでお前は他の子が出来ていることが出来ないのか!』

…バレエ教室でいじめられて泣いて帰ったら、根性が無いなとため息をつかれた。

『なんで私が子どもの頃より下手なのか!』

…ピアノを弾きながら自分で歌う練習で、音痴だとよくなじられた。

 

てつこが出した結果に対して、それが客観的に良いことなのか悪いことなのか、

てつこ自身の努力はどうたったのか、

てつ母が見て考えて評価することは無かった。

あくまでも感情的で、尚且つ「てつ母が知り得る狭い範囲」の中での比較しかされなかった。

子どものてつこにとって

『何が正解だったのか』が一切示されず、次に何をすればよいのかわからなかった。

 

勿論どの習い事も長く続かなかった。

ただ、てつ母の不思議なところは「やめたい」と言うとすぐに辞めさせてくれる点。

良く言えば、見切りが早かった。

悪く言えば、各々の習い事にてつ母自身も興味がなかった。

 

小学校以降は「学校の勉強」がてつこには馴染んだ。

必死に勉強して塾では時々上位に食い込み、なんとか進学校に入学できた。

その辺りからてつ母の不気味さが増した。

「将来は私の生活も安泰だ」「てつ父を捨ててどの地域に住もうっか?」等々、

てつこの人生に覆いかぶさるかの如く、期待を寄せてきた。

結果的にてつこはその不気味さを自己に受け入れ、てつ母を拒絶した。

 

 

「教育が失敗するとこんな娘が出来てしまう」

今頃てつ母はそんなことを思っているのかしらと、ひねくれてつこはウフフと笑った。

物を買い漁った先に、彼女は何を求めたのか。

てつ母はかわいらしい女の子らしい洋服やグッズが好きだった。

てつこの髪の毛をかわいらしく縛り、

フリフリでメルヘンな洋服を着せ、

赤やピンクのエナメルのピカピカな靴を履かせた。

 

てつこはそんな洋服大嫌いだったが、言えなかった。

言うとてつ母は泣きながら「なんで反抗するんだ!この子は!」と罵った。

 

その内てつこは、てつ母の趣味に自ら寄せた。

てつ母は上機嫌になった。

そしててつこが「これカワイイね」と言った洋服を何着も色違いでそろえるようになった。

その洋服は決して安くないもので、デパートで買うようなブランドだった。

てつ母は毎週土日になるとてつ父の運転する車でデパートに赴き、

10万20万…と洋服にお金をつぎ込んだ。

一時期、お得意様フロアにも通ったこともあるくらいだ。

 

勿論、普通のリーマンのてつ父の給料では賄いきれず、借金をして、自己破産した。

 

それでもてつ母の買い癖は治らなかった。

毎週、郊外の大きなスーパーやドラッグストアに車で出かけては、

化粧品や日常使う洗剤をいくつも買いだめした。

毎週通っているのに、ドラッグストアで1万も2万も使っていた。

当然、てつ家には未使用の化粧水やら石鹸やらが溜まっていた。

 

 

てつ母は「買い物」で「何をしたかった」んだろう?

デパートに行っていた頃はとても得意気だった気がする。

ドラッグストアに行っていた時も、自分の好みの物を探すのに真剣だった気がする。

 

「買い物」で何かを忘れようとしていたのだろうか。

 

確かに買い物をしていると余計なことを忘れるし、

良い物に出会った時は嬉しさを感じる。

てつ母も同じだったのろうか。

 

 

その買い物への熱意を、てつこに向けてほしかった。

真剣に洋服なんかを選ぶなら、真剣にてつことてつ父のことを考えてほしかった。

【御礼】

こちらはてつこの記憶や当時の感情を

ぽつぽつと書き出すために始めたブログです。

時々多少グロイ思い出もあり、似た環境だった方が見たら不快に思うかもしれません。

そのような方がいたら本当に申し訳なく思います。

 

拙い文章で誤字脱字変な日本語が多く、恥ずかしいなぁという気持ちもありつつ、

こうやって書き出してみると

てつこ自身も気付いていなかった「自分」が見えてきそうな感じもあり、

ブログを始めてよかったなと思っています。

 

50以上のエントリを書き続けられ、

いつの間にかアクセスも1000を超えて、

実はすごく嬉しいです。

飽きやすいてつこにとって珍現象です。

ご覧いただいた方々、誠にありがとうございます。

 

引き続き、こんな感じで続けていきます。

お時間&ご興味あったらまたお立ち寄り下さい。

父への身体的暴力と、てつこへの心理的な暴力(2)

蹴りから始まったてつ母からてつ父への身体的暴力は

殴るのも加わって悲惨を極めた。

 

てつ父は逃げるように寝室からダイニング、廊下、と寝床を変えた。

そして行き着いたのは物置部屋だった。

てつ母が5着・10着…と買いだめした洋服や靴やバックなどを置いてある部屋。

誰も掃除せず洋服ケースが積みあがっていくだけなので、

その辺の物置より雑然として埃っぽかっただろう。

しかも夏は蜘蛛が出て、冬はめちゃくちゃ寒い。

そんな物置部屋がてつ父の最終的な寝床となった。

 

冬の時期だった。さすがに寒いのでてつ父は電気ストープを足元に置いて寝ていた。

ある日。起きてきたてつ父の足を見て、てつこはびっくりした。

大きく真っ赤にただれたふくらはぎ。

どうしたの?!と聞くと、ストーブに足をくっつけてしまいヤケドしたとのこと。

てつ父はヘラヘラと大丈夫大丈夫、と言って結局病院には行かなかった。

 

・・・どうして、

どうして、てつ父はこんな目にあっているんだろう???

 

どうしててつ父はこんな所で寝ているんだろう???

 

 

ただただ『かわいそう』と思うだけだった。

仕事から帰ってきて娘と嫁にご飯を用意して、

その嫁にはまずいだの何だの文句を言われて蹴られ殴られ、

それでも洗濯や掃除をさせられて、

夜あんな汚い部屋の床で寝させられて。

 

毎日どんな気持ちで夜を迎えていたのだろう???

 

毎朝目が覚めたら疲れや悲しみは取れていたのだろうか???

 

そんなことを考えると、てつこは今でも涙が止まらない。

 

十年も二十年も経った今でも、こんなにも鮮やかに思い出す暴力の日々。

当時のてつこは「怖い」「かわいそう」「何とかしたい」などと

ただひたすら戸惑いながら、あの暴力を目の当たりにしていたからなのだろう。

脳裏に焼き付いて離れない。

蹴る鈍い音が耳にこびりついて消えない。

 

もしも

 

『あの時てつこに何かできたなら。』

 

そんな後悔がずっとずっとずっと頭から消えてくれないのだ。

 

そして

そんなかわいそうなてつ父をてつこは

 

  ゜

 

 

 

いずれも子どもの立場であるてつこの務めではない。

そんなこと、わかっている。それでも、、、それでも辛いものは『辛い』。

どうかこんな夫婦が・こんな家庭が1組でも減ってほしい。切実に。

父への身体的暴力と、てつこへの心理的な暴力(1)

最近ようやく、てつこ自身の心の傷の一つを客観的に捉えられるようになった。

それは

 

 

てつ母からてつ父への暴力だった。

 

 

てつ家では最初、親子川の字で寝ていた。

夫婦喧嘩が絶えなくなってからは、てつこに子供部屋が与えられた。

そして夫婦関係が完全に破綻した頃、

てつ母はてつ父が臭いだの邪魔くさいだの文句をつけて寝室から追い出した。

 

てつ父はダイニングの食卓テーブルの横に、

布団を小さく折りたたんでひいて寝るようになった。

それでもてつ母の怒りは収まらない。

「邪魔だ!」

夜寝るために横になったてつ父を、容赦なく踏みつける。

ドンドンとにぶい音が響く。

てつ父は小さな声で「痛いよ」と言うが、てつ母の蹴りが止まることはない。

片足で蹴り上げていたものが、椅子に手をついて両足で踏みつけるようになっていった。

 

てつこの目の前で「それ」は毎晩繰り広げられた

 

てつ父は逃げるように今度は玄関前の廊下に布団をひくようになった。

てつ母はトイレに行く際『ついでにてつ父に蹴りを入れて』いくようになった。

ダイニングで寝る時よりは頻度は収まったけれども、

それでも執拗に蹴り倒しに行くのが『異常』だった。

 

廊下で度々起きるその暴力を、

てつこは自分の部屋の入口から遠目に見ていた。

そんなもの、見なくていいのに見に立っていた。

心配だったのか見張っているつもりだったのか、今のてつこにも思い出せない。

 

会社から帰宅してご飯を用意して掃除をして。

平日の家事をこなした疲れ切ったてつ父は、その内廊下にそのまま寝転ぶようになった。

冬の寒い日でもそのまま倒れるように横になった。

それを見かねて、小学生のてつこは布団や毛布をてつ父の寝床に持って行った。

てつ父は小さな声で「ありがとう」と言ってくるまった。

 

この頃から、ただでさえ細身のてつ父はガリガリに痩せていった。

そして常にお腹や胸の辺りを手で押さえるようになった。

痛いの?とてつこが聞くと静かに頷く。心配であれこれてつ父に声をかけるようになった。

 

そんな毎日のやり取りに、てつ母は嫉妬でもしたのだろうか。

てつ父に対して

「わざとらしい真似すんな!」

と言っては殴りかかるようになった。

だからてつこも必要以上に心配するのは辞めた。

てつこが声をかけるだけで殴られたり蹴られるなら、後でこっそり声をかけよう。

 

 

てつ家には「お互いの心配をする」という人として最低限の文化すら無くなった。

他人に優しく、自分に厳しく、親しくなってきた人には冷たくする、ひねくれ者は誰だ。

有難いことに、会社でメッセージカードを数人からいただいた。

仕事上での感謝などを伝える、いわゆるサンクスカード。

それを帰り際に目を通した。

いずれもホントにホントに有難いことに、

応対や仕事が丁寧だ・いつも笑顔で優しい、とのお言葉をいただいた。

 

素直に嬉しかった。

 

一方で

 

てつこはそんなに「丁寧」なのかな?と思った。

 

ああ、どうしてもっと素直に受け入れられないのだろうか。

いつものひねくれ者が心に出てきたんだ、と思うようにした。

 

でも、

でも、本当にてつこが「丁寧」で「優しい」なら、、、

どこでそんな世渡り術を覚えたんだろう?と自身のことながら不思議に思った。

 

てつ家はそんなワードとは程遠い環境だった。

それでもたまーにあった、てつ家の温かさ(ぬるさ、くらいが本当のところかも)が

てつこに受け継がれたのであろうか。

 

てつ父はきっとてつ母が最初は好きだった。だから結婚した。

殴られても蹴られても裏切られても、不思議なことに彼は結婚記念日に花を買ってきて、てつ母に渡した。

あんな光景はたった一度きりだけど、一瞬てつ家に温かさが戻ったのを覚えている。

 

てつ母はてつこのことを、本当は愛していたはずだ。

怒りに任せててつこを突き飛ばしたり罵ったりしても、はっと我に返り小さいてつこを抱きしめた。

自業自得ながらも孤立しがちだったてつ母は、きっと育児に悩んでいたんだろう。

 

今でも憎いあの二人にも、人の心があった。

それは事実。

一瞬のその心が、てつこの心にも届いたことが幸いだったのかもしれない。

 

そう自己分析してみても、腑に落ちない点がある。

てつこは仲良くなり始めた人を急に避けてしまう悪い癖を持っている。

何より、てつこ自身が身体や心を傷付けてしまい、自分に優しくできない思考を持っている。

それは何故なのか。

最近考えているけれども上手く考えがまとまらない。

怖いのだ。

てつこの悪い所、それと相対するのが怖いのだ。

きっと。

 

だからやっぱりてつこは「丁寧」でも「優しく」もない。

結局は作り笑いでやり過ごしているだけなんだよ。

 

 

ぐるぐるぐるぐると堂々巡りを最近している。

てつこの中にいるひねくれ者のおかげで、てつこの性格が定まらない。

そんな不思議な感覚を、いい歳になっても患っている。