てつこはじと目でなにを見る?

おかしな家で育ったおかしな娘が書く読み物

病魔はいつの間にやらやってくる

てつこは土日を利用して、遠方にお見舞いに行ってきた。

友人の子どもが病魔に倒れた。

脳内出血を起こしたのだ。

どうやら生まれつきその素質を持っており、外的要因もなく突然発症したらしい。

一時は意識不明にまで陥ったが、現在は一般病棟に移っている。

 

久しぶりに会ったその子は元気そうだった。

お菓子をポリポリ食べていた。

てつこは安心した。他愛もないおしゃべりをみんなでした。

その子がこちらに頭を向けてベッドに横になった。

 

頭を開いて手術をした痕が、ホチキスのような針で止められていた。

 

てつこは悲しい気持ちになった。

できることなら、変わってあげたい。

なんて痛々しい傷跡なんだ。

 

もっと痛々しい話を後で聞いた。

その子は夜になると不安で不安で仕方なくて一人で眠れず、

母である友人が側にいないと泣きわめいていしまうとのこと。

頭痛がひどくなり倒れた瞬間を思い出すのだろう、と友人は言っていた。

 

病魔は突然やってくる。

昨年、伝染性単核球症で入院したことを思い出す。

あの時も病室で一人不安で仕方なかった。

日に日に上がっていく肝臓の炎症数値を見ながら、

これは本当にやばいんじゃないか・治らないんじゃないか、と思ったものだ。

大人でも病気は怖いのに、それが子どもだったら尚更だ。

いつまた具合が悪くなるかわからない恐怖感。

その子は恐怖と戦いながら、毎日を生きている。

手術後はすぐにリハビリを開始し、今はキャッチボールをするまでに回復した。

彼自身もリハビリを嫌がることなく毎日こなしているという。

 

てつこは、つい先日まで感情の落ち込みから人生が嫌になっていたことを恥じた。

友人の子どもである彼がひたむきに病気と向かい合っている姿を見て、

一時の感情で右往左往する大人の自分が恥ずかしくなったのだ。

 

病気になって生きていることに感謝をする。

皮肉なものである。

でも、そうやって気付けることはある意味ラッキーなことかもしれない。

自分自身の病気もそうだし、他人の病気でもそう。

病魔を通して自らを改める。

それはそれでアリかな、とてつこは思った。

多様性を認めること = 〇〇ハラスメントが無くなること???

てつこは先日会社の研修で「多様性についての人権啓発研修」なるものを受けた。

その中でDVDを見せられた。

まぁこれまでにも似たようなものを散々見てきたが、

今回はなんとなく違和感を覚えた。

 

DVDでは二例取り上げられていた。

一つは部下の様子に気付けない上司と、言いたいことが言えずに仕事を引き受けてしまう部下の例。

もう一つは妊娠しているがゆえの男性からのボディタッチや、女上司からの「昔はもっとひどかったわよ」という助言に悩む妊婦の例。

いずれもよくある光景で身近な例えだった。

 

違和感を覚えたのはその「結論」。

パワハラ・セクハラが起きない職場にしていこう!』という締めくくりを見て、

てつこは「うーん…」と唸った。

 

ハラスメントにならなきゃいいの???

 

なんだかしょぼい着地点を見せられた気がして、てつこはがっかりした。

多様性ってそんなものなのだろうか。

 

ハラスメントとは当人の意志に関わらず、相手が不快になったり尊厳を傷付けられたりすることをいうらしい。

確かに、いや確かに、

みんなが多様性を理解して相手を認めればハラスメントなるものは無くなる。

そこで大事なのは「ハラスメントが無くなる」ことではなく、

「みんなが多様性を理解する」ことなんじゃないのかなぁ、とてつこは考える。

この生きづらいと言われる社会において、

結果よりもまずは一歩踏み出そうよという意気込みが大事なのではないだろうか。

だからこそ、パワハラセクハラ撲滅!という結果を急かすDVDの内容に違和感を覚えたのだ。

 

てつこ自身、多様性関連で印象的だった思い出が二つ。

職場のおばさまにひょんなことから「オカマとホモとレズって何が違うの?」と聞かれたこと。てつこなりに丁寧に説明してみたら、「まぁそんな世界があるのね!」と彼女なりに?理解しつつも目を丸くされた。

もう一つ、当時の女上司から「最近産休者が多くて困るから、てつちゃんは暫く子ども作らないでね♡」と同性セクハラ発言をいとも簡単に言われたこと。わかりましたと返事したものの、やばい発言ちゃうんかと内心思ったものだ。

 

どちらも無知から派生している驚きや発言。

てつこ自身も知らない世界については勿論知らない。

人間の全てを把握することも神様でない限り難しいことだ。

けれども「知らない」から傷つく人がたくさんいる。

そのことを「知る」こと。それが多様性を理解するということではないだろうか。

 

インターネットやテレビをそれなりにアンテナ高く見ていると、

そこそこ情報が入ってくるものだけれども、そうでもない人もたくさんいる現実。

今回のDVDの製作者も「企業と多様性って言ったらパワハラセクハラっしょ!」みたいな短絡的な思考の人なのだろう、と想像してみる。

 

日本に『多様性』って言葉が浸透するにはまだまだ時間がかかりそうだ。

【御礼3】

昨日はお恥ずかしい暗黒面を書いてしまい、大変失礼いたしました。

てつこは反省しております。

そしてブクマまでいただき誠にありがとうございます。

お一人お一人にご返信したいのですが、筆不精なので時間がかかりそうで、ここでまとめての御礼で申し訳ありません。

 

今回の件では先方に謝り倒して話をして、なんとか理解してもらいました。

唯一の心許せる人物を繋ぎとめることができ、少しほっとしたところです。

 

ただ、今回の件でてつこ自身の脆さを痛感しました。

てつこは上手く一匹狼ライフを満喫していた「つもり」だったこと、

過去の毒親からの影響から抜け出しつつあると「思っていた」こと、

これからに向けての明るい対策を立てられていた「つもり」だったこと、

全てがまだまだ甘かったなぁと思いました。

何より、

「見捨てられるかもしれない不安」

「孤独への大きな恐怖」

がてつこの心の中にすんごく存在していることに気付きました。

 

相手と対面するときまでの異常な緊張感と吐き気。

相手が「わかった」と言ってくれるまでの手の震え。

それらが物語っていました。

 

コメントいただいたように、てつこは何かマイナスなことがあると

どうしても毒親と結びつけてしまいます。

自らの生育環境への恨みつらみがまだ心に根付いています。

それをすぐに取り払うのは無理だろうから、徐々に距離を置けるようになりたいと

わんわん泣きながら思いました。

 

そして、もっと外への視野を持たないとなぁとも思いました。

例えば、趣味を持ったり、ペットを飼ったり、SNSで誰かと繋がったり…。

リアルな人間関係だと逆にストレスをためやすいてつこには、

これらが第一歩になるかもしれません。

と前々から自分で言いつつも、実現できていないところが反省点です。

 

Twitterやブログを今年始めて本当に良かったと今回の件で思いました。

もし恐怖を吐き出して、それを見てもらって、反応してもらえる場が無かったら・・・

自身の弱さを考えると少しぞっとします。

 

最近はより多くのアクセスもいただき、読者登録もいただき、

心から御礼申し上げます。

これからも皆様のブログを拝見し、色々勉強していきたいと思っています。

引き続きよろしくお願いいたします。

因果応報、負の連鎖。

てつこは信頼していた人物から愛想をつかされてしまった。

ちょっとした失敗から、相手の信頼を失ってしまった。

 

先日から涙が止まらない。

泣いても泣いても出てきてしまう。

こうなると思考回路が停止してしまう。まともなことが考えられない。

気持ちが悪い。胃がキリキリと痛む。

 

親しい人間が少ないてつこにとって、その人物との縁が切れれば本当に一人になる。

 

ふと気付く。

ああ、てつこもてつ父&てつ母と同じ状況になっているな、と。

 

てつ父は友人を元々作らず、会社を辞め、国の保護を受け、独身で生活している。

てつ母も友人親戚とは縁が切れ、仕事もせず、独身で生活している。

てつばあとてつじいも、てつ母に振り回され、親戚にも相談できず、搾取される日々だった。

てつ家の登場人物は、いつもひとりぼっち。

 

てつこは会社に勤めてこそいるが、ひとりぼっち。

 

こんなにも、親や親友といった大事な後ろ盾がないのが厳しいことなのかと痛感する。

こんなにも、不安定で身寄りがない寂しさが辛いのかと痛感する。

 

てつこには何もない。

得てきたものも、自身が大切にしてきたことも。

上手く生活していると思っていたのに、そんなことなかったのだ。

ただ何も見えていなかっただけ。

親と同じになりたくないと、あんなにも子どもの頃から強く願っていたのに

何一つ実現できていなかった。

てつ父にもてつ母にも、逃げ込める場が無かった。

悪循環の原因はわかっていた。

なのに、てつこは自分自身にそれを生かせなかった。

何も学べていなかった。

 

手を差し伸べてくれた友人の、その手を払ったことを今後悔する。

ざまあみろと黒いてつこが罵る。

「一人でも大丈夫と一瞬でも思ったんだろ?なら一人で生きて見せろよ」

 

今ここで心が折れて仕事を休めば、てつこは社会との繋がりすら無くなる。

必死で鬱や幻聴妄想に立ち向かう。

「暗黒面」に落ちればもう戻ってこれない気がする。

それくらいとても辛い。

 

心が安定して穏やかに生活していた数日前が羨ましい。

またあんな日々に戻ってこれるのだろうか。

ただ、これからもこんなに辛い日が来るのであれば全てが嫌になってしまう、

そんな気持ちすら芽生え始めている。

 

てつ家の負の連鎖は断ち切れるのだろうか。

あさがくる

てつこは明け方目が覚めてしまった。

眠剤を飲んでぼーっとしてみる。

またてつ家の夢を見た。

霧の中「何かを」探し回る夢であった。「何か」はわからないが、てつ家に関することだった気がする。探し回って見つからなくて、はっと目が覚めた。

 

こんなことが以前もあったような・・・

 

そうだ、子どもの時だ。

夏休みや土日といった休日になると、てつこは明け方目が覚めることが多かった。

夫婦喧嘩でウルサイ中恐々と眠りにつくが、悲しいことに静かになった明け方になると自然と目が覚めてしまうのだ。

そんな時は静かな家の中を徘徊し、ベランダに出て、朝日を見る。

ただずっと外で夜が明ける瞬間を待っていた。

暑かろうと寒かろうと待っていた。

なんの感情も持たず「無」の境地。

余計なことは考えていなかった。ただ、待つ。

太陽が昇ってくるのをある程度見届けて部屋に戻る。(※良い子はサングラスした方がいいかもね!)

そして二度寝

 

あの時、なんであんなことをしていたんだろう。

当時ケータイもスマホも無いから、明け方時間を潰す方法なんてそんなに無かった。

それでも早朝覚醒してしまったら、必ず朝日を見に行った。

 

暗い空が薄紅色や明るい青色に変わり明るい太陽が出てくる様は

異様に神秘的だ。

当時のてつこはそこに惹かれていたのだろう。

 

朝が来る。

そのことを確認したかったのかもしれない。

自ら命を絶ちたい衝動や親を消したい衝動に駆られていた若かりしてつこは、

朝日を見ることで

「無事に一日を終え、これからまた一日を重ねる」

ことを視覚的に確認していたのだろう。

安心感というか無の境地というか、なんというか。

心のバランスを取るために無意識に行動していたのかもしれない。

 

 

今のてつこもまた然り。

バイオリズムとしては下降している感がある。

だからこんな時間に起きてしまったのだろう。

頭がふわふわする。

今日の日の出は何時かな。子どものてつこに見習って朝日を見てみようか。

朝が来て、一日がまた始まる。

ただそれだけ。

どんな意味を持たせるかは自分次第。

いい一日になるといいな。

父へのレクイエム

てつこは疲れると、何故か夢にてつ父が出てくる。

つい先日もてつ父の夢を見た。

てつ家の車でホームセンターに出かけて

てつこは好きな物を買い、てつ父は「明日の朝食べるから」とパンを買った。

なんてことのない夢。

 

夢の中でてつ父は笑っていた。

「どれにしようかなぁ」とどのパンにするか悩み、てつこにたずね、微笑みかけた。

 

そうあってほしかった日常。

 

笑いに溢れていてほしかった日常。

 

そんな夢を見て、いつもどんよりとした気持ちで朝起き上がる。

何故こんな夢を見たのか。

何故今更こんなことを願うのか。

てつ父の夢に限らず、てつ家に関する夢を見た日はいつも気が重い。

一日分の疲れを背負って起き上がる感じ。

時には泣きながら起きることも未だにある。

 

 

てつ父は今生きているのだろうか。

数年前に生活保護を申請したという手紙が来た。

生活保護を申請すると、把握できる親族、とくに子どもには連絡が行くという。

多少でも援助できるかどうか、それを尋ねる内容の書面だ。

援助をする義務はなく、あくまでも任意である。

無理をして少額援助すると、生活保護の額がその分減らされてしまうとも聞いた。

それらを知っていたので驚きはしなかったが、多少動揺した。

あの父が。

てつ父が保護を。

 

てつこは援助を一切拒否した。

てつこの給料で定期的にてつ父を援助するのは不可能だった。

 

あれから連絡は何もない。

生きているのだろうか。元気なのだろうか。どんな家にいるのだろうか。

ずっと心に引っかかったまま。

でもお互いそれ以上のコンタクトは取らない。

それが、てつ父とてつこの関係性。

 

てつこは真面目にこう思う。

頑張って働くよ。

働いて税金はいくらでも納めるよ。

どうかこの税金のどこかの部分で、てつ父の援助になるのであれば、いくらでも。

今のてつこにできることはこんなもんだ。

てつ父一人の面倒も見れない、見る気もない娘だけれど、

感謝の気持ちと安泰を願う心は忘れちゃいない。

どうか、穏やかな余生を送ってほしい。

 

都合が良いのはわかっちゃいるが、こんな考えがやめられない。

親の義務とは何たるか。~酔うと化け物になる父がつらい、を読んで~

先日カウンセリングの先生とてつ父の話をしていた時

「アルコール依存の人はみんな、周りへの依存性も高い。

 だからてつこさんは逃げて良かったのですよ。」

と言われた。このとき思わず

「みんな、ですか?!」

とてつこは聞き返してしまった。

なんで聞き返してしまったのだろう?自分の言動ながら心に引っかかっていた。

 

今日は菊池真理子さんの『酔うと化け物になる父がつらい』を読んだ。

chancro.jp

父親への複雑な感情、特に「尊敬できる父」として見れない現実と、それでも嫌いになれないし離れられない心情の葛藤に非常に共感した。

てつこ自身、てつ父が体調を崩して世話を焼いたこともあったが、一日でも長く生きて欲しい・ずっと一緒に生活したい、なんて微塵も思わなかった。

喋りかけても酔っぱらって目がイっちゃっているてつ父、

てつ母に蹴られて倒れるてつ父、

会社を無断欠勤して車で寝るてつ父、

色々な父の姿がある中でどうしても『尊敬』だけは遂に湧き出てこなかった。

 

なのに、なのに。

あんなてつ父がかわいそうだと思い涙が出る。

あんなてつ父にひどい仕打ちをしてしまったと自分を責める。

てつこの中で葛藤が止まらない。

 

てつ父はお金をかき集めて大学に行かせてくれた。

てつ父は毎日温かいお弁当を買ってきてくれた。

てつ父は休日にたまーに車で観光地に連れて行ってくれた。

てつ父は・・・。

 

 

でも、これって

親の義務なんだよね。

子を育てるための、親の務めなんだよね。

 

てつこの中にあるあったかい思い出、それって世間的に見れば当たり前のこと。

心の中の冷静な心がそう語り掛ける。

 

『本当の父親は、安心して暮らせる環境を提供してくれるんじゃないの』

 

先日のカウンセリングで聞き返してしまったのは、

てつこの中にある、てつ父をかばう心が反応したためかもしれない。

てつ父「も」周りの人や環境に依存して甘えてしまう・・・

そんなこと昔から知っていた。

けれども心の中でそれを否定したい自分がいる。

 

てつ母が悪ならば、てつ父は善。

そう考えたいてつこがいる。

でも善になろうとすることを、数々の苦い思い出が許さない。

 

しばらくは、いや下手したらてつこは死ぬまでこの複雑な思いを抱え続ける。

次に感情の波が発生するのは、てつ父の死去を知った時だろう。

(もしかしたら今既にこの世にいないかもしれない)

ただその時が来たとしても、てつ父とてつこの関係性は変わらない。

横たわる溝も苦い思い出も義務で育ててくれた現実も、全て変わらない。

それでも菊池さんの作品のように

あったかい思い出は心にそのまま取っておけるよう、

てつこは自分の心を大切にしながら毎日を過ごしていこうと思った。