てつこはじと目でなにを見る?

おかしな家で育ったおかしな娘が書く読み物

てつ家の食卓(1)

jitomenotetsuko.hatenablog.com

 

昨晩書いてて、食べ物への想いが色々あることに気付いた。

 

てつこが小さい頃は、まだてつ母が手作りしていた。

てつ母はてつばあ譲りなのか料理はできた。

夏はホットプレートでお好み焼きも作ったし、

冬はてつこが好きなちゃんこ鍋をみんなで食べた。

コロッケを作ったら焦げちゃったと笑うてつ母に「おいしいよ」と言いながら食べた記憶もある。

何より、家にはお菓子作りの道具がたくさんあったし、調理器具もたくさんあった。

てつ母は最初は料理を作るのが好きだったし、実際に作っていた。

 

喧嘩が増え、てつ母の精神状態が不安定になり始めたころから、

てつ父はてつ母の作った料理を一切口にしなくなった。

食卓には家族そろって席に着くのだが、てつ父はぶすっとしかめ面をしたまんま、

箸すら持たなかった。ただ無言で座っているだけだった。

気まずい空気が流れ、てつ母はまた怒り、食卓のおかずは撤去された。

てつこが食べていた最中のおかずも、何度巻き添えを食らって捨てられたことか。

 

同じころ、家族そろって外食する機会も増えていた。

てつ父もてつ母も、「〇〇が食べたいからここ行こうか」という意見をあまり言わなかった。

それなのに「じゃあとりあえず、あそこのファミレスにしようか」となると、

どちらかが「いやぁ…なんか、嫌だな」と言って、

1時間ずっと決まらずに歩き回ることが多かった。

歩きながら二人はずっと口論していた。

最終的にてつこに話が振られ、「てつこは…ラーメン食べたいから、このお店がいい」と言って丸く収まる。いつも。

 

てつこは何でもよかった。

楽しく家族で食べられれば、それでよかった。

『にんげんっていいな』を聴いて感じた、寂しさと憧れ

昔テレビで「まんが日本昔ばなし」が放送されていた

そこで流れていた『にんげんっていいな』という曲がある

小学校の歌集とかに今でもあるのかな??

 

♪くまのこ見ていた かくれんぼ・・・

 

てつこはテレビでも聴いていたし、小学校でも歌ったかもしれない

 

実は耳にするたび、寂しかった

 

てつ家にはおいしいおやつやほかほかごはんが無かった

親はてつこの帰りよりも夫婦お互いの嫌な面ばかり気にして衝突していた

てつこ自身もそんな家に帰りたくなくて、小学校の裏庭で一人遊んで時間を潰した

ふとんに入っても嫌な喧嘩の声ばかり聞かされて安心できなかった

 

てつこはあの歌のおかげで、

楽しい食卓や温かいふとんがあるおうちに帰らなきゃ~と思うことが

「普通」で「良い」ことなんだなーと知った

てつ家はこの歌とは違うおうちなんだと感じ、寂しくなった

 

いい歌なんですよ

情景が目に浮かぶいい歌。この子は元気いっぱいで友達もたくさんいて、

一生懸命遊ぶけど夕方には家が恋しくなってバイバイして帰る。

当時のアニメーションも優しい印象のものだった。

てつこは心の底から羨ましくて、憧れた。

いつか自分もほかほかごはんを食べたい。

あったかいふとんでぐっすり眠りたい。

「おかえり」って笑顔で迎えられたい。

 

 

今、仕事で疲れていても、

身体にに鞭打って白いご飯を炊いたり味噌汁を作ったりしてしまうのは、

この歌のトラウマから来ているのかもしれない。

久々に聴いたら、ちょっと泣いてしまうかも。

 

見てはいけないものを見てしまった

トイレに入って疲れたなぁと溜息をつくと、ふと思い出すことがある

 

てつこが小さかったある日のこと、

いつもの通り夫婦喧嘩が起きていた。

ひと段落したのか?てつ父は廊下を通りトイレに入った。

少し経ち、一人ぶつぶつと文句を言っている母も、廊下へ歩き出した。

小さいてつこは特に用は無かったが、てつ母の後ろをよちよちとついていった。

 

トイレの前を通った瞬間だった

 

てつ母は無施錠だったトイレのドアを乱暴に開けた

 

てつ父が入っているのに

てつこが後ろにいたのに

 

てつ母の後ろについてきていた  てつこの目に、うつむきながら便座に座るてつ父が映った

てつ父は突然ドアが開けられたことに全く動じていなかった

魂が抜けたように、うつむいていた

開けられても、てつこが見つめても、何の言葉も発しなかった

異様な雰囲気が漂った

その時のてつ父はいつにも増して、細く小さく見えた

 

父としての威厳はかけらも無かった

 

てつこの中で

「てつ父=かわいそうな人」

となったのはこの時からかもしれない。

だからこそ、こんなにも鮮やかに思い出すのだろう。

 

あの時のてつ父の小ささが、頭にこびりついて離れない

こんな嫌がらせ、何の意味がある???

『私はこんなに頑張っているのに!!』

てつこは最近、仕事で頑張り過ぎだとよく言われる。

そんなに頑張っているのだろうか??自覚があまりない。

てつこ自身の処理能力は置いておいて、

なんでそんなに頑張っているのか…

 

一つ心当たりがある

 

『私はこんなに頑張っているのに!なんでわかってくれないの!』

『私はこんなに愛しているのに、なんでそんなことを言うの!』

『私はこんなにみじめな思いをしているのに、あんたはなんでかばってくれないの!』

 

てつこは小さい時からこんな言葉を聞かされた。

ほとんどはてつ父に向けられていたが、

てつこ自身に向けられることもあった。

 

どこをどう頑張っているのか、

何を実際に頑張っているのか、

てつ母に対していつも「?」と思っていた。

一つだけ伝わってくるのは

『この人もこの人なりに頑張っている』ということ。

同時に『なんだかあんまり大したことないな』という見下した感情が沸き上がる。

 

てつ母が具体的に何をしていたのかはさておき、

相手に対して理解を示しつつも下に見ているという、ひねくれた見方をてつこはしていた。

そのためなのか

あまりにも頑張っているアピールをすると、第三者からは

大したことないなぁと心の中で思われてしまいそうで、言えない。

みんなも頑張っているんだろうから、言えない。

と、いうか。

自分だけが必死になっていると感づかれるのが、すごくかっこ悪い、と思うのだ。

 

でも最近てつこは思いなおす。

結局必死になってるのって、ばれてるんだな。

頑張ってても頑張ってなくても何も考えてなくてもいずれにせよ、

もうちょっと周りの人にアピールしてもいいのかも。

小さい時のように、我慢する必要はもうないんだな。

 

 

あぁ、てつこは大人になったんだなぁ

心の病はいけないことか?

某女優さんがブログに尾行されているだの何だの書いているとのこと

ちょっと前も某歌手が支離滅裂なことを書いて話題になった

 

テレビを見て不思議なのは、彼らに敢えて触れておきながら

「本当に尾行されているなら警察に行ってほしい」

「不安ならすぐにご家族に相談してほしい」

とよく発言している。

そう発言しておきながら、若干口元は笑っている。

 

だったらはっきり言えばよい

「専門家・精神科にかかりなさい。早く治してもらいなさい。」と。

 

テレビという条件があるからなのか。

いや、少なくとも、心の病的な話になると実際の生活でも結構意外と避けられる。

〇人に一人はうつ病です

統合失調症は身近な病気です

色々言われ始めているけれど、やっぱり心の病的な話は敬遠される

 

心の「病」なんだから、良いことではない

かといって「いけないこと」ではない

「病」を理由に好き勝手自分勝手に振舞うのは「いけないこと」だけれども、

「病」だからその人を否定するのは行き過ぎだ

 

てつこの腕には傷がある

偶然会社の同期にそれを見られて爆笑されたときは

恥ずかしくて悔しくて、お前に何が分かる!と、心の中で泣いた。

同時に、統合失調症になった過去を消し去りたいとその時は思った。

 

その後、いろいろな人とてつこは会った

多くの人は悩みはあるけれども病むまではいっていない

だからこそ、病み済のてつこには経験値がある

経験からてつこは物を言う、いや、言ってやる、教えてやる

あんたらがどんだけ幸せか

その幸せは大切にしないといけないよ

あっという間に壊れるよ

テレビの薄っぺらいコメンテーターよりも、病み済てつこを信じなさい

 

そうした自負の元、明日もいろいろな人と会い、仕事をするのだ。

夫婦喧嘩は犬も食わない

てつこが小学校かそれ以前の頃。

目つきが鋭くなる少し前の頃。

 

夫婦喧嘩がまた始まった

きっかけはさすがに覚えてない

ヒステリックに怒り狂うてつ母、不服そうな目で小さな声だが反論するてつ父、

たぶん夕食はまだ始まっていない。

テレビを見ながら夕食を待つてつこ。

 

てつこは既に泣いていた

お構いなしに喧嘩は続く

その日はなぜか、てつこは喧嘩に飛び込んだ

「けんかはやめてよー!!!!!!!」

 

 

『・・・

 ウルサイ。 ヒッコンデロ!』

 

一瞬、てつ母が沈黙したように記憶している

言葉より何よりショックだったのは、この沈黙の間にてつこに向けられた、

敵意むき出しの眼差しだった。

瞳孔が開き確実にてつこをロックオンした。怒りに満ちた、目。

漫画のようにてつこはビクッとした。

涙も止まった。

ノーリアクションのてつ父。

そしてすぐに再開される喧嘩。

 

てつこが仲裁に入ったのはこの一度だけ。

次の日からはてつこは必死にテレビに意識を向けた。

無駄だ。

むしろ話しかけたら余計に怒ってしまう。

 

関わってはいけない。

てつこが人生最初に身に着けた、処世術だった。

 

しにたい気持ち と いきたい気持ち

少しずつ過去の出来事を書き出してみようと思う

 

 

てつこが小学生の頃だった

毎日目の前で突発的に起こる夫婦喧嘩(といっても妻→夫の一方通行)と、

自分の部屋にてつこが逃げ込んだ後 聞こえてくる叫び声と汚い言葉に、

精神的に参ってしまった。

怖くて怖くて毎日泣いていたから。

 

ぼんやりとピンクの物体が目に入った。

あ、なわとび。

そう認識したてつこは、二段ベッドの一番上の手すりにくくりつけた。

先っぽに輪っかをつくり、頭を入れた。

 

ばちーん!

 

頭の重さがかかった瞬間、手すりからなわとびが外れて自分に跳ね返ってきた。

い、痛い…

二重跳びを失敗してビニール製なわとびがすねに当たった痛さ。

てつこは情けなかった。

そもそも、手すりになわとびをくくりつけたとき、手が震えて固く結べなかった。

いや、意図的に結ばなかった。

しぬのが怖かった

こんなことをしといて、恥ずかしかった。

いつもの半狂乱の声を聞きながらいつも以上に泣いた。

 

ひとしきり泣いた後ふと気付いた。

いがいと しにたいとおもったら いつでもしねるのかもしれない…

てつこは突然、前向きなのか後向きなのかわからないが、そう閃いた。

生きることについて、てつこなりに望みをつなげたのだった。

 

てつこの目つきが鋭くなり、会う人皆に「なんで怒ってるの?」と聞かれるようになったのは

今思えばこの日以降だったかもしれない。

難しいことは考えずに子どもらしく両親をただ信頼していたてつこは、

生きようと思った代わりに、憎しみとか恥とか諦めとか、

まだ知らなくても良いことを覚えてしまった。

 

この日のことが良いのか否か、今のてつこ自身にもよくわからない。