てつこはじと目でなにを見る?

おかしな家で育ったおかしな娘が書く読み物

【御礼4】

いつもご覧いただきありがとうございます。

お初の方、はじめまして。

こちらは目つきが悪くて低血圧なてつこという者の雑記です。

最近たくさんの方にご覧いただき、嬉しい限りです。

先日は一日で200近いアクセスがあり、

すごくびっくりして「お?お?」とスマホを見ながらキョドりました。

 

若かりしてつこは昔々、ホームページを作っていました。

キリ番ゲット!とか、文字を暗転させて隠しURLを貼るとか、

そういう時代でした。

掲示板を設置したら出会い系のサイトの宣伝しか来なかったり、

アクセスは毎日0だったり、

そういう感じでした。

一方で侍魂とかちゆ12歳とかを毎日見たり、

2ちゃんのマトリックスオフのレポを見て爆笑したり、

そういう文化でした。

 

(↑は単なる思い出話ですが)そんなこんなで

古参のネットサーファー・てつこにとっては、たくさんの方々と

ブログやTwitterで繋がれることが新鮮で楽しいです。

良い時代になったねぇ~

と縁側でお茶でも飲みながらしみじみ思うレベルです。

 

何より。

最近何か書こうとパソコンに向かうと、

以前と比べて前向きなことが出てくるようになりました。

このブログの最初の頃は、昔受けた傷や嫌な思い出ばかりを淡々と綴り、

結論を何も見出せないまま悶々と書き終わるだけでした。

時には嫌なことを思い出して泣きながら書いていました。

きっと、誰かに聞いてほしかったのだと思います。

ただでさえ愚痴を気軽に言える性格ではないてつこが、

親への不満をリアルで話すことは今まであまりありませんでした。

どんなに仲のいい人でも、結構嫌な顔するんです。

「親」という存在を否定すると。

その度に、やっぱり私が変なのかなぁと黙りました。

 

ここ1年くらいで「毒親」「心理的虐待」という言葉が認知され始めました。

いいことだな~と思う反面、

言葉が持つレッテルの力が大きくならないでほしいとも思います。

 なんでもかんでも、だらしのない毒親のせいだ!

 だから私はずっと不幸なんだ!

という風潮も少なからず出てきている気がします。

それがとても怖い。

だって、私の母がそうだったから。

その考えは悲しみしか生みません。

 

これからも「てつこ」という女性は「親」を考え続けるでしょう。

それを軸に「てつこ」という生き方が定まるでしょう。

その過程の一つとして、このブログはあり続けたいと思います。

・・・なんだかカッコつけた結びになってしまいましたが、

要は単なるてつこの雑記です。

最近ようやく、はてなの仕組みに慣れてブクマを残したりするようになりました。

はてなユーザーの方、お邪魔させていただきます。

 

引き続きよろしくお願いいたします。

「気にしすぎ」で人生損する人々

帰宅のため電車に乗った。ラッキーなことに座れた。

スマホをいじっていると、目の前に立つ女性がやけに落ち着きがない。

なんだろうとチラ見していると、

どうやら周囲の人のカバンが身体に触れる度に

彼女は振り返ったり手で払ったりしているようだった。

気持ちはわかるが・・・ちと反応しすぎだなぁと思った。

彼女の顔は電車を降りるまで、立派なしかめ面だった。

 

気にしすぎだなぁとてつこは思った。

 

『気にしすぎ』。

ああ、でも気にしすぎな人って意外と周りにいるな。

 

てつこの同僚、仮にむーさんと呼ぼう。

むーさんは昨年異動してきたばかりの人。

日もまだ浅いせいか、周りの人にやたら気を遣う。

「むーさん!ちょっと来てー」と呼ぶと、

「はい!私、何かしましたか?!」とすっ飛んで来る。

「むーさん、ここの書類ね、」と話しかけると、

「ごめんなさい!私、間違えましたか?!」とかぶせ気味で謝ってくる。

いずれも何もしていないし間違ってもいない。

しまいには先輩から「もっと自信を持ちなさいよ」と注意される始末。

それでも治らない。

そして不思議なことに、同じようなタイプの人が他にもいる。

正直、一日何回も↑みたいなやり取りをしていると

「あんたら謙虚の意味をはき違えとるぞ!」と怒りたくなる。

 

以前お世話になった先輩にも、細かいことを気にする女性がいた。

書類の丸が無い、日付が違う、しまう場所がいつもと違う、あの人にこんなこと言われたんだけど嫌味なのかしら、てつこさんこの前はごめんね私気が利かなくて・・・云々。。。

仕事のやり方だけでなく、普段の会話でもやたら周りを気にする人だった。

細かい気配りによって助けられたことは仕事上あったけれども、

普段のお付き合いでは細かすぎて逆にこっちが気を遣った。

だって、ちょっと下手なこと言うとすぐ気を揉んじゃうから。

取扱注意な人だったな。

 

周りを気にする・気を遣うって気配りができて良いことも多いが、

うっかり場面を間違えるとお互い気まずい。

気にされたこっちはイラっとしたり、そんなつもりじゃと思ったりする。

当の本人は余計なカロリーを消費して疲れてしまう。

良いことなし。

 

なぜこんなことを思い出したのかというと、

てつこも昔は『気にしすぎ』人間だった。

喋っている人の顔色が気になる。声色が気になる。電車に乗っていれば周りが気になる。仕事では書類や進め方の細かい所が気になる。評価が気になる・・・。

そんなこんなで疲れてしまった。

だから最近では『そんなに気にしない』と決めた。

ある程度は気にする。こだわる。気を配る。

けれど「こんなもんじゃね?」という所で切り捨てる。気にしない。置いておく。

そしたら不思議と仕事が上手くいき始めた。

家に帰っても、くよくよすることが少なくなった。

 

自分を強く持って、自分中心に物事を進める。気にするのは「ついで」。

それでいいんだと気付けたのはつい最近の出来事。

自分を大切にするってことがわからない時期と、その後。

Twitterで心に引っかかったツイートがあった。

 

 

『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』の永田カビさんのツイート。

自分のためにお菓子を買おうと思うが結局「無駄遣い」と思ってしまう様子。

 

ああああああ、わかるぅぅぅぅぅ

 

となった。激しく共鳴した。

学生時代、自分のために何かを買うという感覚がわからなかった。

てつ母がお菓子も洋服も雑貨も全て用意してくれていたこともあるが、

「自分のために自分で何かする」という行動がとれなかった。

 

大学生になっても中学の時に買ってもらったデニムとトレーナーを着ていた。

おいしいものやおしゃれなものを食べたいという気持ちが無いので、

特売の菓子パンやカップ麺を毎日食べていた。

きれいに見られたいと思わず、化粧もしなかった。

1円でも「高い」と感じたら一切手を出さなかった。

私にこんな高い物買う必要がないと思っていた。

 

自分にそんな価値が無い、

自分はブスだからそんな必要が無い、

自分はこれを食べても好きじゃないだろうからいらない。

そんな気持ちがあったのだろう。

ただ、当時はそんなはっきりした気持ちよりも、

化粧品やおしゃれな洋服を見かけたら「恥ずかしい!」

かわいいケーキを見たら「まぶしい!」

友達に遊びに誘われたら「申し訳ない!」

という感情が先に立って、本当の気持ちが隠されていた気がする。

 

きっとてつこは「自分」を捉えられていなかった。

「私は私」という考え方が無かった。

「自分」の価値は、てつ母やてつ父の喜怒哀楽・学校の成績・学校行事などでの役割・友人からの評価などで決まると思っていたのだ。

てつこはてつこ自身の気持ちや性格を知ろうとしなかった。

だから大切にできなかった。

 

いつから大切にできてきたのだろう。

特にきっかけはないと思う。

ただ、大学時代のアルバイトや友人との繋がり、恋人との出会い、

就職とその後の会社員生活、そして長期間の疾患・・・

これら大小のライフイベントを通じて

「自分ってこんな人間か」

とわかるようになってきた。冷静にというか客観的にというか。

その頃から『自分へのご褒美』ができるようになってきたと思う。

おやつを買ったりお酒を飲んだり温泉に行ったり。

少しずつ、自分の弱い所強い所が分かり始めて、

ようやく自分をいたわることができてきたのだ。

 

でもこれはてつこの経験則であって、ツイートのリプ欄に

色々言葉があるように、色々な捉え方や正解がある。

これらを目にして自分のためになりそうなことを見つける

ってことも、自分を大切にする一歩なのかなぁと思った。

 

「非」珠玉な悪夢セレクション!!

統合失調症から治りかけてきた頃、辛かったことがある。

それは「悪夢を見ること」。

毎日のように嫌な夢を見て汗ダラダラで起きる。その繰り返し。

ひどいときは夜中飛び起きて涙が止まらず眠れないときもあった。

 

 

・・・というわけで、突然ですが個人的悪夢ランキング!!!!

 

【★3位】

【「こんのぉ、裏切りものぉぉぉ!」と父母から罵られる夢】

ありがちな悪夢だが地味にダメージがでかい。

互いに縁を切ったはずのてつ父とてつ母が夢の中でタッグを組み、

てつこを追いかけるもの。逃げるが案の定追いつかれ、

「この裏切者!」とものすごい大声で叫ばれる。そして飛び起きる。

汗ダッラダラ。本当に全力疾走したんじゃないかというような臨場感。

罵倒系の夢は豆腐メンタルてつこにとってキツイ。

しかも裏切者って・・・てつ父&てつ母側の視点じゃん。

何故そんな夢をてつこが見たのか不可解。

 

【★2位】

【恋人とデート中の夢。恋人の顔をよくよく見ると・・・父!!!】

かなりエグい夢。

しかも何回も見た夢。あーきつかったなぁ。

デート中とか家でいちゃいちゃしてたり一緒に寝たりしてるんだけど、

顔を見るとなんと「てつ父」!!。

おえーーーーーー

となってこれまた汗ダッラダラで起きる。

何故か明け方(朝4時~5時)に見ることが多かった。

触れ合った感触とかも覚えているので、見たその日は一日中超最悪☆彡

 

【★1位】

【ウェディングドレス姿の母が、てつこの恋人のお姫様抱っこされてニヤリ】

これまたエグい夢。

当時のてつこの恋人が、てつこの目の前でてつこじゃない女をお姫様抱っこ。

誰だ?と思って近寄ると、なんと「てつ母」!!。

しかも!ウェディングドレス!!

しかも!てつこと目が合った瞬間・・・ニヤリ。

『このくそアマーーー!』

と掴みかかるところで目が覚めました。はい。

今思い出すとちょっとおもしろいけど、この日もやっぱり一日中最悪だった。

 

 

ここには書けないような悪夢とかもあったなぁと書きながら思い出す。

そして身震い。

不思議なもので悪夢は鮮明に覚えている。

言われたこと・言ったこと・感触・匂い・音の大きさ etc.

そういうもんなのかと思い、ちょっと調べてみたら

「悪夢障害」といって診断基準のあるれっきとした疾患があった。

(参照↓)

「悪夢障害」を知っていますか|ナショジオ|NIKKEI STYLE

悪夢・悪夢障害(こころの病気のはなし/専門編)

当時のてつこはこれに近い状態だったのかもしれない。

悪夢も見すぎると本気で心身によくないようだ。

 

ちょっと疲れていたつい先日も、‘やや悪夢’を見てしまった。

身体からのサインだと思って養生しよう。

体調がおかしいと思ったらすぐ休もう!という「理想」と、すぐ休んだら同僚に「嫌われる現象」のジレンマ

てつこは2~3か月に1日とか半日とかのペースで会社を休む。

しんどい。

正直、しんどい。

しんどいとつぶやくくらいならいいのだが

頭痛やめまいに襲われる時もあり、なかなかしんどい。

そういう時はすっぱり休むようにしている。

 

以前体調を本気で崩し休職した頃は、

「休んだら・・・休んだら・・・何か悪口言われるかも!」

と結構本気で考え、無理矢理出社したものだ。

あの頃の切迫した心理状況を思い出すと、今でも辛くなる。

だからもう無理はしない。

 

だがしかし!

てつこの会社の人たちの大半は、びっくりするくらい休まない。

マジで。

マジで、休まない。

正確に言うと、「突然」休まない。

今日具合悪い…頭が痛くて吐き気がするなぁ…

というバイオリズムなんかこの世に存在しないかの如く、全く休まない。

学生時代、皆あんなホイホイ休んでいたくせに!(関係ない)

 

改めてこの『突然休む問題』を考えるきっかけとなったのは、

同じ職場にいる嫌われ者がてつこのことを「すぐ休むから嫌い」と

言いふらしていること。嫌われ者なので皆聞き流してくれているのだが、

やっぱりこういうことを言う奴もいるんだなぁと思った。

そして色々考えてみる。

同じチームにてつこ同様に虚弱な女性がいる。

その女性もよく休むのだが、上司含めみんなからの評判はあまりよくない。

理由はやはり「休むから」。

仕事では新しい事務を覚えようと頑張り、自分なりに工夫もしたり

しているが、そういう良い面も「休む」ことで薄れてしまうのは事実のようだ。

 

てつこの会社の人々はどうやら

「休む」=「申し訳ないこと」と認識しているらしい。

毎日の朝礼で有給休暇をとった人は

「お休みありがとうございました」と言わなければならない。

(勿論、休暇を取る前日には「明日お休みいただきます」を宣言する)

連続で休暇を取った場合は必ずお菓子をみんなに配る。

(好きで配ってるならいいけどね)

子どもが発熱のため突然休んだママさん社員は、出社後一人一人に頭を下げる。

(そこまでしなくていいと思う)

 

一方、特に最近、会社の偉い人たちは

「体調がおかしかったらすぐ休んでね!」と毎日のように声をかける。

そういう偉い人たちほど、片手で数えるほどしか年に休んでないけど。

 

体調が悪いのに休めない雰囲気って本当にオカシイ。

そりゃ尋常じゃない回数・普通じゃない理由で休むのは問題だが、

1~2か月に1回くらい休むのもダメなのか。

何より

『会社を一日急遽休む=自分の体調も管理できない社会不適合社員』

と認定されるのはいかがなものか。

 

てつこは自分の体調第一の考えに変わった。

でも会社は変わらない。

そういった会社にこだわる必要はないが、

それでもてつこは今の仕事にやりがいを感じる。

だからこそ、会社には少しでいいから変わってほしい。

 

一端のサラリーマンが、会社という集団が変わることを

夢見ることは無駄なのだろうか。

武器がチョークの鬼教師と、落ちこぼれていじける女子中学生の話。

 てつこは中学の頃、落ちこぼれだった。

地元の小学校に通っていた頃は勉強がブイブイ出来てブイブイ調子にのっていた。

ところがどっこい、私立中学は出来る子が集まるのであっという間に「中の下」。

てつ母は「あなたはやればできる子なのよ!!」と応援したが

一向に成績は良くならない。小学校時代に熱心に勉強した反動もあり、

授業にあまり身が入らない。テスト勉強に集中できない。

そしてついに「下の下の落ちこぼれ」になった。

 

中学2年生になり、化学の授業が始まった。

てつこはまるでダメだった。赤点の常連だった。

化学が苦手だった理由は『先生』にもあった。

 

ものすっっっっっっごく、キビシー先生だったのだ。

 

齢は不明のおじさん。名はジョー。御多分に漏れず、顔が怖かった。

それだけではない。

授業中に声を発すると激怒する。(怖すぎてお喋りなんてできない)

怒るとマジでチョークを投げつける。(一応床に向けて、だったけど)

黒板に化学式書くのめっちゃ早い。(ノート追いつかない)

黒板消すのもめっちゃ早い。(同上)

毎回のように抜き打ちテスト実施。(もはや抜き打ちではない)

 

テストはジョー先生の席にまで取りに行かなければならなかった。

赤点のてつこは「ちゃんとしろぉ!」といつも怒られた。

 

ある日、改心してめちゃくちゃ勉強した。

準備万端でいつものテストに臨んだ。

そして翌日、先生の席に取りに行った。

 

結果は・・・また赤点。

 

ダメだった。全くダメだった。てつこは思わず、

「あああああああ!ちっくしょー!」

と本気で悔しがった。

「・・・!」

てつこははっとした。

やばい。

ジョー先生の目の前で汚い言葉を使ってしまった。怒られる・・・!

 

「てつこ。えらい!!!!!!!」

ジョーが叫んだ。

「・・・?」

てつこはきょとんとする。

「そうだ、てつこ。いいぞ。悔しがれ。その調子だ!あっはっは!」

 

てつこは肩をポンポンと叩かれた。そして何が起きたかわからないまま

職員室を後にした。扉を閉め、数歩歩いてやっと理解した。

 

「・・・あぁ、私、褒められたのか。」

 

その日からだった。

何かが吹っ切れたように、授業の内容が頭に入ってくるようになった。

無理に考えない。知ったかぶろうとしない。

ただただ、授業を聞いてノートを取る。そして反芻する。成程と関心を持つ。

不思議だった。

頭の中がすっきりした気がした。

 

翌週の化学のテストは満点をとった。

ジョーはご機嫌だった。そしてこう言った。

「てつこ、お前はえらい。それでいいんだ。やればできるじゃないか!」

 

結局は具体的に何が良く影響したのかわからない。

ただ、頑張りが認められた気がした。胸のつかえがとれた感じがした。

あの時のさーっと霧が晴れていく心情を今でも覚えている。

もしジョーに出会わなければ、下の下レベルのまんまだったかもしれない。

もっと言えば、ウジウジといじけてひねくれたまんまだったかもしれない。

その背中をバシッと押してくれたのはジョーだった。

 

ジョー先生、本当にありがとうございました!!!!!

写真嫌いのてつこと呪いの復活

先日、足を伸ばしてとある漁港町に観光に行った。

あんこう鍋や海鮮モノのおいしい町で、一日を満喫した。

温泉にも入った。お酒も飲んだ。

久しぶりにアクティブで楽しい一日だった。

 

友人達とてつこの3人で観光した。

色々な風景や食事をパシャパシャと写真におさめる友人達。

てつこも神社の厳かな風景やおいしいあんこう鍋の写真を撮った。

 

ただどうしても自分のスマホで撮れなかったものがある。

それは、自分。

友人二人の写真は何枚もあるが、自分が映ったものは無い。

 

てつこは写真が苦手だ。

 

正確に言うと、写真にうつるのが苦手だ。

カメラのレンズがこちらを向いていると思うと緊張してしまう。

上手く笑えない。

何より、写真にうつった自分を見ると

「なんて不細工なんだ」「なんて不格好なんだ」と嫌な気持ちになる。

だから自分の写真はほとんど持っていない。

 

カメラのレンズを通して、どうしても思い出してしまうことがある。

てつ母にお前はブスだと散々言われた、あの日々を。

もっとかわいく笑えないのか。

なんで私(=てつ母)みたいにかわいく振舞えないのか。

どうして顔までてつ父に似ているのか。

これらは、ちょっとしたフラッシュバックなのかもしれない。

この歳になっても、どうしてもこの現象が克服できないのだ。

よっぽどショックだったんだなぁとあの頃のてつこを慰める。

 

今これを書いているノートパソコンについているカメラも嫌で、

紙を貼りつけて隠している。

それくらいどうしてもカメラも写真にうつるという行為も嫌なのだ。

 

写真にうつらなくてもいい。

スマホに自分の写真が無くてもいい。

けれども、できればカメラを通して呪いの言葉を思い出す癖だけはやめたい。

今年の「ちょっぴり克服したいモノリスト」に

「写真」を追加しておこう。

気持ちよく楽しく嬉しく、これからの思い出を切り取れますように。