親の義務とは何たるか。~酔うと化け物になる父がつらい、を読んで~
先日カウンセリングの先生とてつ父の話をしていた時
「アルコール依存の人はみんな、周りへの依存性も高い。
だからてつこさんは逃げて良かったのですよ。」
と言われた。このとき思わず
「みんな、ですか?!」
とてつこは聞き返してしまった。
なんで聞き返してしまったのだろう?自分の言動ながら心に引っかかっていた。
今日は菊池真理子さんの『酔うと化け物になる父がつらい』を読んだ。
父親への複雑な感情、特に「尊敬できる父」として見れない現実と、それでも嫌いになれないし離れられない心情の葛藤に非常に共感した。
てつこ自身、てつ父が体調を崩して世話を焼いたこともあったが、一日でも長く生きて欲しい・ずっと一緒に生活したい、なんて微塵も思わなかった。
喋りかけても酔っぱらって目がイっちゃっているてつ父、
てつ母に蹴られて倒れるてつ父、
会社を無断欠勤して車で寝るてつ父、
色々な父の姿がある中でどうしても『尊敬』だけは遂に湧き出てこなかった。
なのに、なのに。
あんなてつ父がかわいそうだと思い涙が出る。
あんなてつ父にひどい仕打ちをしてしまったと自分を責める。
てつこの中で葛藤が止まらない。
てつ父はお金をかき集めて大学に行かせてくれた。
てつ父は毎日温かいお弁当を買ってきてくれた。
てつ父は休日にたまーに車で観光地に連れて行ってくれた。
てつ父は・・・。
でも、これって
親の義務なんだよね。
子を育てるための、親の務めなんだよね。
てつこの中にあるあったかい思い出、それって世間的に見れば当たり前のこと。
心の中の冷静な心がそう語り掛ける。
『本当の父親は、安心して暮らせる環境を提供してくれるんじゃないの』
先日のカウンセリングで聞き返してしまったのは、
てつこの中にある、てつ父をかばう心が反応したためかもしれない。
てつ父「も」周りの人や環境に依存して甘えてしまう・・・
そんなこと昔から知っていた。
けれども心の中でそれを否定したい自分がいる。
てつ母が悪ならば、てつ父は善。
そう考えたいてつこがいる。
でも善になろうとすることを、数々の苦い思い出が許さない。
しばらくは、いや下手したらてつこは死ぬまでこの複雑な思いを抱え続ける。
次に感情の波が発生するのは、てつ父の死去を知った時だろう。
(もしかしたら今既にこの世にいないかもしれない)
ただその時が来たとしても、てつ父とてつこの関係性は変わらない。
横たわる溝も苦い思い出も義務で育ててくれた現実も、全て変わらない。
それでも菊池さんの作品のように
あったかい思い出は心にそのまま取っておけるよう、
てつこは自分の心を大切にしながら毎日を過ごしていこうと思った。