てつこはじと目でなにを見る?

おかしな家で育ったおかしな娘が書く読み物

何も考えてない状態が、たまらなく不安になった瞬間。

今日は全国的に午後から天気が崩れるとの予報だったので、

午前中はせっせと部屋の掃除をして昼過ぎにスーパーへ買い出しへ向かった。

少し風がありちょうど良い気温だった。

遠くの工事現場からコンクリートを割る音が聴こえる。

向かいから自転車が走ってくるので自然とよける。

ここではっと気付く。

 

・・・今、ワタシ、『無』だった・・・!!!

 

そう、なーんにも考えていなかった。

頭の中が『無』だった。

 

てつこはすごくびっくりした。自分で自分にびっくりした。

何も考えていない時間が自分に訪れていたことに驚いた。

驚きすぎて、交差点のど真ん中で立ち止まったくらいだ。

(車が来なかったことに感謝。)

 

てつこは常に考え事をしている。

仕事のこと・将来のこと・てつ母&てつ父のこと、

そういった考えても考えても結論の出ないことから、

今晩の料理のこと・部屋のどこを掃除するか・買い物に行くかどうか、

といった些細なことまで、

常に何かを考えている。考え事の大小だけでなく、

それらが常識的な内容だったり突拍子もない内容だったり程度も様々。

とにかく頭の中が動いていないと落ち着かない。

上手く表現できないが頭の中にもう一人のてつこがいて、

そいつが色々考えたり喋ったりしているのを傍から見ている感じ。

てつこの脳内はいつも賑やかだ。

 

だからこそ、今日『無』に気付いたときに驚いた。

『無』を意識したことなんて今まで無かった。

…いや、正確にはあったんだと思う。

頭の中が常に動いているもんだから、動かない状態が『不安』なのだ。

その『不安』をかき消そうとしてまた考え事が始まるから

気付くことがなかったのだろう。

 

思えば、てつこは子どもの頃から考え事をしていた。

進路のこと。友人のこと。死のこと。家のこと。両親のこと。

祖父祖母のこと。学校行事のこと。勉強のこと。バイトのこと。

etc...

更にこれらを深くふかーく掘り下げていく。

てつこ一人が考えても仕方のないレベルに達するまで掘り下げるのだ。

そして新たな考え事に派生してく。

朝起きて歯を磨きながら考え事を始め、

夜布団に入ってうとうとするまで「どうしようかなぁ」と考える。

そうやって決めたこともあれば、保留にしたことも逃げたこともあった。

圧倒的に答えなんか出ないんだけれど。

だからこの考え事は効率的ではないのだろう。

ホリエモンに言ったら論破されるレベル。。。

 

それは大人になったてつこも同じ。

朝起きて仕事の段取りを考えて、昼は仕事でウンウン唸って、

夕方は夜何食べようか考えて、夜は自分の一日と一生を酒と共に考える。

いつ脳みそは休んでいるのだろう。

 

昨年通っていたカウンセラーの先生はそれを見抜いていた。

「てつこさん、今は自分を休めましょう。

 何かやらなきゃ考えなきゃと思ったら、”今じゃなくていいよね”

 といって横に置いておきましょう。

 そうすればまずは身体が、そして心が休まります。」

言われたときはナルホドと思ったが、実は上手く実践できなかった。

休まなきゃ休まなきゃ…と念仏のように頭の中で繰り返していた。

 

それがどうやら身についてきたらしい。

なぜなら、カウンセラーの先生にこうも言われたからだ。

「考え事に縛られず、外に出たら風を感じましょう。

 天気を感じましょう。そのくらいでいいんですよ。」

・・・今日ようやくそれが出来た。

 

でもやっぱり、まだ『不安』なのだ。

交差点で立ち止まった後、歩き出しながら汗が出てくる感覚があった。

心臓が少しドキドキする。

自分が『無』であると認識した途端、

心の拠り所を見失った感覚になるのだ。

子どもの頃は自分がいかにまともに生きていくかを考えていたけれど、

いつの間にか「何か」について考えている時ほど

自分の価値があるかのような錯覚に陥っていた。

だから『不安』なのだ。

 

それでも、今日の外の風は気持ちよかった・・・と思う。

またその瞬間が訪れるといいなぁ。