てつこはじと目でなにを見る?

おかしな家で育ったおかしな娘が書く読み物

あさがくる

てつこは明け方目が覚めてしまった。

眠剤を飲んでぼーっとしてみる。

またてつ家の夢を見た。

霧の中「何かを」探し回る夢であった。「何か」はわからないが、てつ家に関することだった気がする。探し回って見つからなくて、はっと目が覚めた。

 

こんなことが以前もあったような・・・

 

そうだ、子どもの時だ。

夏休みや土日といった休日になると、てつこは明け方目が覚めることが多かった。

夫婦喧嘩でウルサイ中恐々と眠りにつくが、悲しいことに静かになった明け方になると自然と目が覚めてしまうのだ。

そんな時は静かな家の中を徘徊し、ベランダに出て、朝日を見る。

ただずっと外で夜が明ける瞬間を待っていた。

暑かろうと寒かろうと待っていた。

なんの感情も持たず「無」の境地。

余計なことは考えていなかった。ただ、待つ。

太陽が昇ってくるのをある程度見届けて部屋に戻る。(※良い子はサングラスした方がいいかもね!)

そして二度寝

 

あの時、なんであんなことをしていたんだろう。

当時ケータイもスマホも無いから、明け方時間を潰す方法なんてそんなに無かった。

それでも早朝覚醒してしまったら、必ず朝日を見に行った。

 

暗い空が薄紅色や明るい青色に変わり明るい太陽が出てくる様は

異様に神秘的だ。

当時のてつこはそこに惹かれていたのだろう。

 

朝が来る。

そのことを確認したかったのかもしれない。

自ら命を絶ちたい衝動や親を消したい衝動に駆られていた若かりしてつこは、

朝日を見ることで

「無事に一日を終え、これからまた一日を重ねる」

ことを視覚的に確認していたのだろう。

安心感というか無の境地というか、なんというか。

心のバランスを取るために無意識に行動していたのかもしれない。

 

 

今のてつこもまた然り。

バイオリズムとしては下降している感がある。

だからこんな時間に起きてしまったのだろう。

頭がふわふわする。

今日の日の出は何時かな。子どものてつこに見習って朝日を見てみようか。

朝が来て、一日がまた始まる。

ただそれだけ。

どんな意味を持たせるかは自分次第。

いい一日になるといいな。

父へのレクイエム

てつこは疲れると、何故か夢にてつ父が出てくる。

つい先日もてつ父の夢を見た。

てつ家の車でホームセンターに出かけて

てつこは好きな物を買い、てつ父は「明日の朝食べるから」とパンを買った。

なんてことのない夢。

 

夢の中でてつ父は笑っていた。

「どれにしようかなぁ」とどのパンにするか悩み、てつこにたずね、微笑みかけた。

 

そうあってほしかった日常。

 

笑いに溢れていてほしかった日常。

 

そんな夢を見て、いつもどんよりとした気持ちで朝起き上がる。

何故こんな夢を見たのか。

何故今更こんなことを願うのか。

てつ父の夢に限らず、てつ家に関する夢を見た日はいつも気が重い。

一日分の疲れを背負って起き上がる感じ。

時には泣きながら起きることも未だにある。

 

 

てつ父は今生きているのだろうか。

数年前に生活保護を申請したという手紙が来た。

生活保護を申請すると、把握できる親族、とくに子どもには連絡が行くという。

多少でも援助できるかどうか、それを尋ねる内容の書面だ。

援助をする義務はなく、あくまでも任意である。

無理をして少額援助すると、生活保護の額がその分減らされてしまうとも聞いた。

それらを知っていたので驚きはしなかったが、多少動揺した。

あの父が。

てつ父が保護を。

 

てつこは援助を一切拒否した。

てつこの給料で定期的にてつ父を援助するのは不可能だった。

 

あれから連絡は何もない。

生きているのだろうか。元気なのだろうか。どんな家にいるのだろうか。

ずっと心に引っかかったまま。

でもお互いそれ以上のコンタクトは取らない。

それが、てつ父とてつこの関係性。

 

てつこは真面目にこう思う。

頑張って働くよ。

働いて税金はいくらでも納めるよ。

どうかこの税金のどこかの部分で、てつ父の援助になるのであれば、いくらでも。

今のてつこにできることはこんなもんだ。

てつ父一人の面倒も見れない、見る気もない娘だけれど、

感謝の気持ちと安泰を願う心は忘れちゃいない。

どうか、穏やかな余生を送ってほしい。

 

都合が良いのはわかっちゃいるが、こんな考えがやめられない。

親の義務とは何たるか。~酔うと化け物になる父がつらい、を読んで~

先日カウンセリングの先生とてつ父の話をしていた時

「アルコール依存の人はみんな、周りへの依存性も高い。

 だからてつこさんは逃げて良かったのですよ。」

と言われた。このとき思わず

「みんな、ですか?!」

とてつこは聞き返してしまった。

なんで聞き返してしまったのだろう?自分の言動ながら心に引っかかっていた。

 

今日は菊池真理子さんの『酔うと化け物になる父がつらい』を読んだ。

chancro.jp

父親への複雑な感情、特に「尊敬できる父」として見れない現実と、それでも嫌いになれないし離れられない心情の葛藤に非常に共感した。

てつこ自身、てつ父が体調を崩して世話を焼いたこともあったが、一日でも長く生きて欲しい・ずっと一緒に生活したい、なんて微塵も思わなかった。

喋りかけても酔っぱらって目がイっちゃっているてつ父、

てつ母に蹴られて倒れるてつ父、

会社を無断欠勤して車で寝るてつ父、

色々な父の姿がある中でどうしても『尊敬』だけは遂に湧き出てこなかった。

 

なのに、なのに。

あんなてつ父がかわいそうだと思い涙が出る。

あんなてつ父にひどい仕打ちをしてしまったと自分を責める。

てつこの中で葛藤が止まらない。

 

てつ父はお金をかき集めて大学に行かせてくれた。

てつ父は毎日温かいお弁当を買ってきてくれた。

てつ父は休日にたまーに車で観光地に連れて行ってくれた。

てつ父は・・・。

 

 

でも、これって

親の義務なんだよね。

子を育てるための、親の務めなんだよね。

 

てつこの中にあるあったかい思い出、それって世間的に見れば当たり前のこと。

心の中の冷静な心がそう語り掛ける。

 

『本当の父親は、安心して暮らせる環境を提供してくれるんじゃないの』

 

先日のカウンセリングで聞き返してしまったのは、

てつこの中にある、てつ父をかばう心が反応したためかもしれない。

てつ父「も」周りの人や環境に依存して甘えてしまう・・・

そんなこと昔から知っていた。

けれども心の中でそれを否定したい自分がいる。

 

てつ母が悪ならば、てつ父は善。

そう考えたいてつこがいる。

でも善になろうとすることを、数々の苦い思い出が許さない。

 

しばらくは、いや下手したらてつこは死ぬまでこの複雑な思いを抱え続ける。

次に感情の波が発生するのは、てつ父の死去を知った時だろう。

(もしかしたら今既にこの世にいないかもしれない)

ただその時が来たとしても、てつ父とてつこの関係性は変わらない。

横たわる溝も苦い思い出も義務で育ててくれた現実も、全て変わらない。

それでも菊池さんの作品のように

あったかい思い出は心にそのまま取っておけるよう、

てつこは自分の心を大切にしながら毎日を過ごしていこうと思った。

鏡とかけまして、他人の心と解きます。そのこころは、はしたない奴ほど見ていません。

知人が言ったある一言が、てつこは今でも忘れられない。

『人は鏡だ。自分が嫌な顔をしたら相手も嫌な顔をする。

 自分と同じことを相手もする。』

なるほど確かに、と思った。

続けて知人はこうも言った。

『だから自分が嫌だなと思うことは相手にはしない。』

 

まだ毒親支配下だった若かりしてつこは‘はっ’とした。

そりゃあそうだ、と。

てつこ自身、顔色をうかがったりるものの

自分がされたら嫌なことは相手にしようと思わなかった。

それがごく普通の考え方。

てつこがはっとしたのは、てつ父とてつ母が「そうではない」こと。

特に毒親の見本のようなてつ母は、相手のテリトリーにずかずかと土足で踏み込んでくるような発言が多く、一方で自分が同じようなことを言われたら激怒した。

支配下のてつこは、20歳そこそこになりようやくてつ家の両親が「オカシイこと=普通のことが出来ていないこと」に気が付いたのだ。

 

それを今日読んだ田房永子さんのコミックエッセイで思い出したのだった。

いったん親のせいにしてみたら案外うまくいった|#7 不安を「まき散らさない」ということ

登場人物のエイコさんが母親から言われていた台詞、てつこもてつ母からよく聞かされたものばかりで笑った。

「毒母」という存在は他人の家であってもこんなにも似ているものなのか。

そしてエイコさんもてつこも、「やだこの人、恥ずかしい!」

「こいつ変な奴だ…」という感情から「オカシさ」に気付けたのだ。

そこにたどり着くには、歳を重ね、様々な人と出会った経験があったからこそだろう。

 

以前から感じていた。

他人とのコミュニケーションが極端に下手な人は、何が嫌がられるのかの判別がついていないらしい。

てつ父はまともに会社で働けなかった。真面目にできなかった。

てつ母は親戚や知人とはよく衝突し、文句を言い、自ら関係を絶った。

てつこの会社にいる‘ブルーマン’と呼ばれる嫌われ者のお局様も、物を投げるなどの問題行動が多く、上司が指摘しても治らない。

『比較』をする能力が驚くほど『皆無』。

社会の中で『恥ずかしい』という認識が無い人間ほど、その能力がない。

(最近ではそれを障害とする動きもあるが、その人々の多くには

 自覚があり悩みがある。少なくとも上記3人は自覚していないだろう。

 自覚していても悪意があるかのような、ただの面倒な人種なのである。)

 

このようなモンスターに出会ったら・・・

やっぱり避けるかやり過ごすしかないのだろう。

関わらないのが一番だ。

てつこは時々とてもひどいことを考える。

昔でいう姥捨て山のように、モンスターだけを隔離できれば普通の人は幸せになるのだろうか、と。

いや、そんなことはないだろう。

人間のする選別なんてろくなもんじゃない。

社会に生きる人間として、まずは生み出さないよう心がけることが血の通った考え方だろう。

だからこそ毒親の元に生まれた毒娘として、失敗も成功も教訓も、全てを他者に伝えてみることがちょっとした社会貢献になる・・・やもしれない・・・。

頭の中が常にアイドリング状態の自分。

てつこの得意技は無言で泣くこと。

怒られたり悲しかったりすると涙だけが出て言葉が出ない。

しくしくと泣くのがてつこ流。

 

先日カウンセリングでそんな話をしたところ、

「頭の中がアイドリング状態で色々考えている状態。だけど

 心は悲しいから涙が出る。頭と心がちぐはぐになっていているから

 涙が出るけど言葉が出てこないのだろう。だからすごく疲れる。」

と言われ腑に落ちた。

 

てつこの頭は常に『次の展開』を予想しようとして、

エンジンがかかっている状態。一応すぐ動こうとしているけれど、

実際身体はスタンバイ中。車でいう「アイドリング」中なのだ。

 

振り返ってみれば、てつこは予期せぬ出来事が苦手だ。

全て予期していないと落ち着かない。いわゆる'想定内`でないとダメ。

旅行は事前にバスや電車の時間を調べておかないと楽しめない。

仕事も予期せぬクレームとかは苦手。

料理でもこれを作ろう!と心構えをしておかないと失敗する。

きっとてつこは車の運転なんて超不向きであろう。

 

頭がいつもフル回転。

それは良い点もたくさんあるだろう。

けれども休日の昼に、明日の仕事の段取りを考えて、昼休憩に何をするか考えて、

夕方何時ごろに帰ろうか考えて、夕食は何を食べるか候補を考えて・・・

というのは確かにちょっと変態かもしれない。

そりゃあ疲れるのも当たり前ですよねぇとカウンセリングの先生と笑った。

てつ家の常日頃なる緊張感の後遺症がこんなところにも残っていたとは。

 

こうやって自分の癖を知る中で、断然「休む」ことが足りていなかったと反省する。

大雑把で適当な性格だと思っていたけれど、

案外真面目過ぎて手を抜いていない己がいた。

『自分のことって意外とわかってないもんだ』

と、てつこは痛感したのであった・・・。

「死にたい」と口走る思考と「消えたい」と願う心

座間市で起きた9遺体事件のニュースの中で、犯人が「本当に死にたい人はいなかった」と供述していると知り、てつこはもやもやとした気分になっていた。

「本当に死にたい」かぁ…

てつこは自分のことを振り返る。

そんな時期があり、そして今もそんなことを思うときがあるなぁ、と。

 

jitomenotetsuko.hatenablog.com

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当時はどんな気持ちだっただろう。

思い出してみるとてつこの場合、己の言葉と心に少しズレがあった。

 

「死にたい」と思い、実際に行動しようとしたこともあった。

インターネットの掲示板に書き込んだこともあった。

自殺関連の本やネット情報を読み漁ったこともあった。

でも本当は「死にたい」のではなく「消えたい」という気持ちが強かった。

両親が仲が悪くて家から消えたい。

学校でみじめな思いをするから消えたい。

将来が不安だからこのまま消えたい。

そんな感じが強かった。

「消えたい」から「死にたい」のであった

他に消える方法はあるのだろうか?

実社会ではお金があればどこかに逃げられるし、両親の理解があれば学校を休めるし、そのまま引きこもってしまえば社会から消えられる。

だが、当時のてつこにはどれも難しかった。

お金は親にも当時のてつこにも無いし、学校に逃げないと家には毒親がいるし、引きこもったら永遠に毒親と一緒にいなければならない。

どうやったら消えられるのか?

どうやったら無かったことにできるのか?

そんなことを考えていた。

 

てつこは心の底から「死にたい」と思っていたわけではなかった。

方法としてそれを選ぼうか悩んでいた。

実際には死の恐怖を超えることができなかったけれども。

 

今は生きていて良かった・消えなくてよかった、と本当に思っている。

 

だが実は現在でも、電車にふと引き寄せられそうな感覚や、

このまま死んでも構わないかも、なんて思う一瞬が時々ある。

嫌なことや辛いこと、ちょっとしたダメージを受けた時に「消えたい」と思うのだ。

それはただの逃げなのかもしれない。

逃げるために「死」を選んでうまく実行できてしまったら…

そう考えゾッとして、消えたい感覚は引っ込んでくれる。

 

先の事件の犯人が放った「本当に死にたい人はいなかった」という言葉にずっともやもやしていたのは、

「死にたい」と思う人なんてそんなにいなくて、

「消えたい」と思う人はたくさんいるんじゃないか、という実感からだろう。

この2つは「≠」であって、普通の人には些細な違いかもしれない。(犯人は自ら命を絶つ気なんて全然なかったという。そんな奴にわかるはずもないだろう)

だがそのままにすると、この犯人に対しての怒りや、社会が持つ問題点を捉えるときの溝になるんじゃないかと心配になるくらい、大きな違いだと思う。

 

もしてつこの身近に「死にたい」と言う人がいたのなら、

それはこの世から「消えたい」ということなのかな?と一緒に考えてみる。

消えたいのであれば、他に方法はあると思う。

そして、いずれの希望であっても、

生きていて良かったと思える小さな瞬間を積み重ねて欲しいと提案するだろう。

 今のてつこが不安感を抱えながらも生きていけるのは、ちょっとした喜びや幸せがあるからこそ。嫌なこともたくさんあるが、どうにかこうにか踏みとどまれている。

自ら命を絶つなんて寂しいこと言わないでおくれよと、

もっと多くの人が声を出してほしい。

気が利く子どもは、是か?非か?

てつこは休日を利用し遠出した。温泉街や漁港をまわるプチ旅行だ。

そんな中、温泉施設で受付の順番待ちをしていると

目の前に中学1~2年くらいの女の子がいた。

その子は母親らしき女性とその親戚らしき団体と一緒にいた。

受付には親戚らしき団体がわらわらと群がり、

母親らしき女性はぺちゃくちゃ喋りながらお金を払おうとしていた。

正直、ちょっと早くしてほしーなーと思っていた。

すると

 

「すみません!」

 

目の前にいた女の子が突然謝ってきた。

てつこと友人はきょとんとする。

 

「すみません!あの、本当にすみません!」

 

いやいいよいいよ、どーぞどーぞ、と焦る女の子をなだめた。

よく見ると随分細い体型で少し気になったが、何より丁寧な子だなぁと感心した。

 

温泉に入り食事処でてつこと友人は酒盛りをしていた。

同じ食事処の一角ではかなりの大人数が貸し切って宴会をしていた。

友人が気付いた。

「・・・あの子、さっきの子だ」

 

てつこが振り向く。

なんとまぁ、さっきの女の子がお給仕をせっせとしていた。

盛り上がる大人たちに酒を注ぎ、注文をとり、店員から料理を受け取っては走って各卓に届けているのだ。

・・・なんとなく漂う違和感。

そう、走り回っているのはその女の子だけなのだ。

そこまでするか?というくらいせっせと働くその子を見ていて、てつこ達は段々と不憫に思えてきた。

 

もしかして、あの子はいつもあんな役回りなのか??

 

てつこは今も昔もよく『気が利くね』と評価される。

それは長所でもある。

だが、子ども時代を振り返るともろ手を挙げて誇れる長所でもない。

頑張っても頑張っても、てつ父もてつ母もなかなか褒めてはくれなかった。

てつ母が誇らしげにてつこを褒めるのは、ピアノコンクールで入賞したり

親戚から賢い子だと言われたり、親の自慢になる頑張りが認められた時だった。

だからこそ、他人の目につきやすい頑張りを子どものてつこは重ねてきた。

その内自然と『気を遣う』方法を身につけ、『気が利く』という評価を得た。

そうやって生きてきた。

 

てつこは勝手に女の子に対して思いをはせる。

君が大人に代わって謝る必要があるのかい?

君が配膳する必要があるのかい?

君は手のかからない子どもで気が利く子どもなんだろう、

でも、親や他の大人に必要以上に気を遣ってはいないかい?

 

勝手な妄想なんだろうけど、少なくとも大人の飲み会でお給仕なんてしなくていいのになぁ。大人でも疲れちゃうことなのに。

そんなことを思いながらビール片手に宴会をチラ見していたのであった。