てつこはじと目でなにを見る?

おかしな家で育ったおかしな娘が書く読み物

「休職コンプレックス」とメンタルと私。

休職して1か月以上が経った。

一週間ごとにメンタルクリニックへ通い、薬を調整してもらうことで

死にたい衝動は収まってきた。

めそめそと泣くことも少なくなり、大分安定してきた。

一方で、心の余裕が出来てきたせいか、

仕事のことを考えるようになってきた。

復帰したらどういう顔で出社すればいいのだろう。

自分のデスクの向かいの人たちとかと何を話せばいいのだろう。

そりが合わない上司と上手くやっていけるのだろうか。

半端に進めていた仕事はどうすればいいのだろうか。

考え始めたらキリがない。

仕事に対する不安が顔をのぞかせた途端、

ずぅぅぅんと頭が重くなり、息が苦しくなる。

 

幸い、産業医の先生やアドバイザーの職員がいるので

その人たちとしっかりやり取りをして、

上司やもっと上の上司にも自分の思いを伝えてもらうことで、

スムーズに職場復帰できる

・・・

はずだ。

だからこそ自分の考えはまとめておかないといけない。

 

それでもやっぱり不安感は拭えない。

10年前に休職してから、「休職だけは避けたい」と思って

がんばってきた。いや、がんばってきて”しまった”。

休職したときに感じた負い目や引け目に

追い立てられるように仕事をしてきた。

 

休んだら周りに迷惑がかかる。

休んだら恥ずかしい。

休んだら・・・。

そして今まさに二度目の休職。

「あぁ、また私は休んでしまった。」

「あぁ、また気まずくなってしまう。」

ぐるぐると劣等感が心にまとわりつく。

あんなに休みたくない!とかんばってきたのに、

いつの間にか自分追い詰めて、自滅してしまった。

 

自分の働き方を振り返った時、

そんな「休職コンプレックス」にあふれていたことに気付く。

がむしゃらに仕事を進めて、残業して、昇進試験受けて・・・

それっててつこ自身が本当に心から望んでいたことだったのかなぁ。

無理して、休職した過去を打ち消そうとしていたのかなぁ。

そう思うと、改めて自分で自分をコントロールする能力の無さに

とほほ・・・となってしまう。

 

だからといって、今まで歩んできたキャリアを

無かったことにはできない。

今までのハイテンション&ローテンションな自分のキャリアを

無駄にしないよう、今はしっかり休んで

何をどうしたいのか考えないといかんぜよ、と思う。

もう少し気分が落ち着いたら、

自分の気持ちをノートに書き出したりして

整理整頓をしていこう。

 

いやはや、マジで手のかかる娘ですわ。

他人に優しくする、という”欠点”

昨日までは楽しく買い物をしたり前向きに家事をしたりと

安定している一方、

「あ、なんか不安ちゃんが顔を出し始めている…」と

感じてからあっという間に気分が落ち込んだりと、

なかなか安定しない。

そんな中ふと思ったことがある。

それは「『優しい』というのは欠点にもなる」ということ。

ありがたいことに、てつこは他人から

気持ちが優しいと言われることがある。

それはとても嬉しいことで、てつこの長所でもあると思う。

 

昨晩から、ある一言を思い出していた。

「お父さんに連絡してあげなよ。」

先日のお葬式で知人たちから言われた言葉だ。

てつ父とは久しく連絡を取り合っていない。

そのことをポロリと言ってしまい、心配した知人たちが

そうてつこにアドバイスしたのだった。

 

てつこはそのアドバイスを聞き入れる気はない。

てつ父側から連絡が来ない限り、てつこからリアクションをとることはない。

嫌いだからとか憎んでいるからとか、

単純な感情で説明できることではない。

複雑でどろどろとした感情が入り乱れて、考え抜いた結果だ。

 

さらにてつこは考える。

そもそもなんでてつ父と連絡を取るのを自分は嫌がっているのだろう。

・・・

あぁ、そうか。

『あの頃』を思い出すのが嫌なんだ。

みんなが悲しんで、つらくて、泣いていたあの日々を

思い出すのが嫌なんだ。

そう思うと自然と涙が出た。

父も母も、相当つらかっただろう。

今この歳になれば、多少はわかる。

もっと幸せになりたい。

だから自分なりに努力してみたけれど、上手くいかない。

そんなもどかしさと悲しさが彼・彼女を支配していただろう。

てつこはまた泣いた。

 

そこではっと気づく。

てつ父とてつ母に想いを馳せても、もう何にもならないんだ。

全ては終わったこと。取り戻すことはできない。

 

あんなに憎かったてつ父とてつ母に対して、

こんなに涙を流すなんて、てつこって本当に優しい奴だな。

心の中でちょっと笑った。

だけど。

だけど、その優しさは少し忘れてもいいんじゃないか。

今はそれどころじゃないはずだ。

自分の感情を取り戻すのに集中した方がいいんじゃないか。

もう一人のてつこが諭した。

 

他人に優しくして、自分のことは無頓着。

そんな性格はダメだよなぁ。

マザーテレサじゃないんだから、並の人間であるてつこは

もっと自分に優しくしないとダメだよなぁ。

 

そんなことを思った一日でした。

人の死に直面してもなお、この世から消えたいと思うのかという葛藤。

先日、知人のお葬式に参列しました。

生前は頻繁にお会いするような間柄ではなかったものの、

ご縁もありましたし、お声をかけていただいたこともあり参列しました。

棺に収められたその人のお姿を見たときは

やはり胸にぐっと来るものがありました。

美しくお化粧をされたその人の肌はつやつやしており、

本当に眠っているように見えました。

それまで気丈に振舞っていたご家族の方が、

火葬されてお骨だけになった姿を見たときに

泣き崩れていたのがとても印象的でした。

 

てつこは祖父のお葬式以来、まだ2度目の経験です。

お作法も知らず、あの雰囲気に色々とショックも受けました。

もう起き上がることのない、

魂がすでにない、

あの棺に入っているお姿を見ると涙が出るとともに、

不思議な感じを受けました。

「あの世からこのお葬式の様子を見ているのかな。」

てつこは結構本気でそう思いました。

なんか、向こう側にその人がいるような、不思議な感じ。

 

まだ生きていたかっただろう。

お葬式に集まった人々から、故人のエピソードを聞きながら

そう思いました。そしてまた涙が出ました。

 

お経が読み上げられる中、てつこは自分のことを考えました。

誰が看取ってくれるのだろう。

誰が葬式をあげてくれるのだろう。

そして誰が葬式に来るのだろう。

自分で自分の葬式を手配できればいいのに。予約みたいな。

 

てつこは最近も、この瞬間も、死んでしまいたいと「ふわっ」と思う。

地球に小惑星が衝突しても悔いはない、気がする。

気がする、というのは情けない話だが、

「なんかもう、この世に未練はない」と思う一方、

「もっと楽しいことがあるのではないか」という期待もある。

だから自分の気持ちなのによくわからない。

 

今回、亡くなった方のお姿を目の前にし、

そんな気持ちを抱いてお経を聞く自分が

情けないというか、悲しいというか、寂しいというか、

なんとも言えない気持ちになりました。

 

生きたい人がいたんだから死ぬなんて考えるんじゃない、

というのは正論かもしれませんが

私の口からはとてもそんなことは言えない。

かと言って、この世が嫌いで嫌いでしょうがなくて

毎日死にたいとつぶやきながら生きていくのも、

もっと自分でなんとかできるのではないか、と思うこともある。

「自分の死」に関する気持ちはあまりに複雑で整理しきれない。

 

故人の場合と自分の場合が重なってしまい、

ぼんやりと色々なことを考えてしまいます。

数日経った今も、棺をのぞいたときのきれいなお顔が忘れられない。

 

〇〇さん、どうか安らかにお眠りください。

燕岳に行ってきました。

日にちが経ってしまいましたが、実は今週の頭に

長野県の燕岳(つばくろだけ)に登山に行ってきました。

大分以前から計画していたのと、家にこもって「この世から消えたい…、

私なんてどうしようもない奴なんだ…」とぼやいているてつこを見かねた友人が、

計画を実行するぞ!と意気込み、強引に 連れて行ってくれました。

この子がいなければ家で鬱々としていたことでしょう。

感謝。

 

梅雨明けもまだということで、山頂は厚い雲に覆われていました。

ですがギリ雨に降られずに、無事に宿泊する

山小屋「燕山荘(えんざんそう)」に辿り付きました。

 

▼遠目から見た燕山荘(多分山頂から見下ろしたやつかな?)

f:id:jitome_no_tetsuko:20190726172548j:plainホームページの写真にもある通り、

広くてきれいで素敵な小屋でした。スタッフさんの対応も丁寧!

山小屋では色々と気になってくつろげないてつこですが、

ここでは何不自由なく過ごせました。

燕山荘 | 燕山荘グループオフィシャルサイト

 

燕山荘の敷地からの写真。

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 ▼燕岳の山頂のお姿。燕山荘のある場所から30分ほど離れているのです。

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燕山荘では夕食にチーズinハンバーグが出ました。

なんということでしょう!!!

3000メートル級の山でチーズinハンバーグ!!!

感激して勿論全て平らげました。

夕食の後しばらく経つと、日も暮れて街の明かりがとてもきれいでした。

 

 ▼街の明かりがキラキラしてずっと見ていられました。

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帰宅後全身筋肉痛になりましたが、行ってよかったと思いました。

人生を登山に例える・・・なんて在り来たりですが、

肉体的にも精神的にも辛い登りの最中だと、

余計な考えが消えて「あぁ、こんな自分でもしっかり歩けるんだなぁ」なんて

思っちゃうのです。なんとなく励まされる気分になり、

なんとも形容しがたい「自信」が沸き上がってきました。

悶々とする日々が続いていますが、

今回のリフレッシュした思い出を大切にしたいと思います。

あの時のおじさんに今でも猛烈に謝りたい件。

突然ですが、懺悔したいことがあるんです。

おお神よ、本当に申し訳なかった・・・。

 

数年前、商店街を一人歩いていた。

買い物のため、目的の店に行く途中だった。

てくてく歩いていると、

 

?? 「〇×△□※〇×△□※」

てつ 「・・・ん??」

?? 「△□※〇×△□」

てつ 「???」

 

何かが聞こえてきた。

言葉なのかただの音なのか、わからなかった。

が、2回くらい聞こえた気がする。

まぁでもよくわからないかったし、気にすることなく歩き続ける。

 

ふと(無意識に音の方向が気になったのかもしれない)、

後ろを振り返る。

 

にっこり微笑む白人男性がいた。

 

外国人の観光客かな?

なんで微笑んでるんだろう?

めっちゃこっち見てるな?

不思議には思ったが、また気にすることなく歩き続けた。

 

てつこは何歩進んだだろうか。

 

『いくすきゅーずみー』

 

・・・

 

『Excuse me?』

 

てつこはハッと立ち止まる。

そうだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!

さっき聞こえたのはExcuse me?だぁぁぁぁぁ!!!!!

 

咄嗟にまた後ろを振り返る。

彼の姿はなかった。

 

ああああああぁぁぁぁぁ

彼は私に何か聞きたかったんだぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!

だから呼び止めたんだぁぁぁぁぁぁぁ!!

私も振り返ったから笑顔を作ってくれたんだぁぁぁぁぁぁぁ!!!

なのに!!!

なのに!!!

 

めっちゃ無視した orz

 

てつこは呆然と立ち尽くした。

すごく悪いことをした気がする。

あのジャパニーズガールは冷たいやつだな!と思われただろう。

自分のヒアリング能力の無さにも愕然とした。

だがいくら後悔しても後の祭りだった・・・。

 

旅行先で見知らぬ他人に声をかけるって

慣れてる人でもそれなりに勇気がいることなのに、

それを無視したことを今でも悔やんでいる。

あの時のおじさん、本当にごめんね。

またジャパンに来ておくれ。。。

後悔を無駄にしないために、今では外国人に何か尋ねられたら

この機会を逃すまい!といわんばかりに

身振り手振りでなるべく丁寧に伝えるようにしています。

悔い改めるってホント、このことなり。。。

思いっきり遊んで楽しい!という感情を、どこかに置いてきてしまった。

 スマホをいじっている時に、あるブログが目についた。

『気分がウツな時は好きなことをして遊んでいいんだよ』という内容だった。

ふむふむと最後まで読んで、別のページに遷移した後で気付く。

 

( ^ω^)・・・

好きなこと?遊ぶ?何それおいしいの??

 

てつこは読んだくせにまったく理解できていなかったのだ。

スマホを置いてちょっと考えてみる。

さっきのブログがまるで響いていない。

なぜだ。

そもそも遊べないからウツなのではないか?という正論は置いておこう。

うむ、そうか、好きなことをして遊ぶという感覚が全くわからん。

いやでも好きなことあるし、趣味あるし、遊んだりするよな・・・?

ネット見る。

ブログやTwitterに書き込む。

ブラタモリ見る。

気が向いたら料理する。

年に数回登山する。

あとは

・・・

なんかこう、しょぼいなぁ。もっとガツンと来る趣味はないだろうか。

学生時代はマンガ読んだり図書館行ったり音楽CD買ったりしていたな。

お笑いや音楽のライブにもよく行ったな。

演劇も一時期ハマって小劇場に通ったな。

ホームページ作るためにhtmlの勉強したな。

 

当時は「あ!これやりたい!見たい!」と思って行動していた。

すぐ飽きるのは今と同じだが、若くてエネルギーがあったせいか

意欲だけはこんこんと湧いていた。

エネルギーを使い果たした今は、昔の思い出しか残っていない。

これでは「昔は良かった…」とぼやく年寄りになりかねない。よろしくない。

 

子どもの頃は家の中で一人で遊んでいたし、友達もあまりいなかったし、

かといって家の中も安らぐ環境ではなかったから、

「好きなことをして遊ぶ」というよりも「暇つぶし」に近かったかもしれない。

あの頃の小さな自分に、

『これやりたい!と思ったらやっていいよ。

 遊びたい!って思ったら好きなだけ遊んで疲れて寝ればいいよ。』

と言ってあげたい。

そう思った途端に胸が締め付けられる感じがした。

 

あぁ、てつこは思い切り遊びたかったんだなぁと思った。

 

今、てつこは会社を休んでいて、もし誰かに

「今日一日何かしたいことある?」と聞かれたらなんて答えるだろう。

衣替え、化粧台の上の整理、ユニクロに行く、目薬買いに行く・・・

あとは、死んだように寝たい、だろうか。

衣替えや整理整頓はある意味気分転換になるだろうか。

でも体調崩す前から「やらなきゃ」と思っていたことでもあるので、

若干義務感というかやるべきタスクの分類になるかもしれない。

 

・・・

もやもやしていても仕方ないので、洗濯でもしてきます。

そしてやってみようと思うことに手を付けようと思います。

それが途中になったとしても、明日も明後日もあるんだから、

まぁいいじゃないか。

 

・・・

前回のエントリに沢山のスターやブクマありがとうございます。

とても嬉しかったです。

確かに休職は1か月じゃ収まらないかもしれないので、気長に、

でも確り病院に通おうと思います。

去年は仕事もメンタルも好調だったのですが一気に崩れちゃいました。

ここ1か月の天気の悪さも原因かもしれません。

ゆっくりしようと思います。

休職することになりました。

突然ですが、お仕事を休むことになりました。

昨日かかりつけのメンタルクリニックに出向き、診断書をもらいました。

先月末から有給休暇をもらい、一息休みつつ病院巡りをした結果、

「あ゛あ゛あ゛あぁぁぁ~、やっぱむりぃぃぃぃぃ」

という考え(?)に辿り着きまして、

1か月の休職と相成りました。

 

10年ほど前に休職して以来、二度目の充電期間です。

なるべくそうならないよう、細く長く勤めるつもりでしたが

ダウンしてしまいました。

とほほ。

でも、表向きは「気にせずゆっくり休んでね」と言ってもらえる

職場であることに感謝し、またその体制が整っていることにも

ありがたみを感じながら、お休みしよう、と決めました。

 

ちょうど、このブログをあまり更新しなくなった4月ごろ、

直属の上司に対して最高潮にイラついた事件がございまして、

そしてその頃からめまいや頭痛が身体に現われるようになってしまいました。

常日頃感じている疲労感や「消えたい」という思いも、

日に日に強くなってしまいまして、

頭の中に色んな考えがわーっと浮かんだり、

自分を否定する声がわんさか聞こえてきたり、、、。

早く寝たり、アロマオイル嗅いだり、運動したり、自分なりに工夫してみましたが

効果が出ず、6月末にポッキリ心が折れてしまいました。

 

自分で自分の体調をコントロールするということは難しいですね。

色々と悩みつつも結果的にはコントロールできて、

毎日バリバリ仕事をしている人たちを横で見ていると、

羨ますいぃぃぃぃ~~ちくしょ~~~と妬みすら感じます。。。

まぁでもしょうがないですよね。

 

だって、わたし、虚弱だもん!

 

1回目の休職のときは、↑この開き直りと言うか、悟りというか、

ここに至るまでに数か月かかったのですが、

今回は「しょーがないじゃん?豆腐メンタルだし?」という境地には

至っているので、まだ気持ちが楽です。

自分で自分を責めるのってやっぱり辛いので、

少しでもその要素が取り除かれているのは安心感が違います。

 

今日は正式な休職1日目となります。

ここ数日早朝覚醒がひどく、何も無いのに朝5時に起きてしまいました。

ですがそのおかげで、雨を眺めながらゆっくりブログが書けました。

さぁ何やろう?と、何かすることを考えてしまうのが

私の悪い癖で、早速のその癖が出てしまっています。

実は今朝、掃除機をかけて、棚の上を整理し始め・・・ようとしてしまい、

「いかん、休みなのに働いてしまう!」とストップした次第です。

衝動や焦りを抑えつつ、ゆっくり自分と向き合う時間をまた作りたいと思います。

 

昼食買いに行ったら、昼寝でもしようかな。