てつこはじと目でなにを見る?

おかしな家で育ったおかしな娘が書く読み物

「ねぇねぇ、それって・・・好きなの??」に即答できますか。

会社の上司たちと空き時間にお喋りをしていた。

とある女性の上司は既婚者で、旦那さんは外国の方とのこと。

ヨーロッパ(出身地聞いたけど失念)のご出身。

最近たじろいだエピソードを教えてくれた。

 

上司が家でジャージ姿でくつろいでいた時のこと。

熱心に掃除をしていた旦那さんがつかつかと歩いてきた。

 「ねぇねぇ・・・りっちゃん(←上司の名前)、

  それって・・・好きなの?」

は??となる上司=りっちゃん。

最初何を指しているのかわからなかったという。

旦那さんは再度聞いてくる。

 「ねぇねぇ・・・りっちゃん、その格好『好き』なの?」

 

そう、旦那さんはジャージが『好き』なのか?と聞いてきたのだ。

りっちゃんは突然の攻撃に対処できない。

そして旦那さんはこう言って掃除に戻っていったという。

 「好きなら・・・僕は何も言わないよ。」

 

この話を聞いていた一同は「お、おう…」となった。

旦那さんは紳士らしく?普段からスラックスやワイシャツなどの

カチッとした服装しか着ないらしい。家でもそう。

だからりっちゃんのだら~んとした格好が気になったのだろう。

でも。

でもさー。

ジャージ姿くらいよくない?

 

と一同苦笑いしていたが、よくよく考えるとそうじゃないのだ。

『好きか、嫌いか。』

を聞かれているのである。それに対して誰も即答できない。

楽だから好きです~というのはアリかなぁと議論になった。

好きに入るという人もいれば、

自分のセンスから考えて好きか嫌いかだから微妙、という人もいた。

 

てつこはこのエピソード、個人的にとてもおもしろい話だと思った。

『好きか、嫌いか。』

この判断って常には出来ていない気がするからだ。

ここでいう好き嫌いは、本能的直観的生理的に「あ、これ好き!」

「うわ、これ無理」と瞬時に思い浮かぶ感情のことでよいと思う。

子どもの頃はこれが出来ていた。

大人になればなるほど、それを抑えている。

抑えないと社会や組織が成立しないのでそれで良いのだが、

よくいう『自分に正直になる』というポリシーからはズレてしまう。

なかなかこの加減が難しい。

 

昨日書いた↓この雑記ともリンクする。

食べることしか楽しみがない。でも、食べることは最高に楽しい。 - てつこはじと目でなにを見る?

てつこの場合、『食べる』のが『好き』なのだ。

それに気づき自分に素直になったことで、『楽しく』なったんだ。

一晩考えて新たな結論を得た。

ありがとう、りっちゃんの旦那さん。

 

身近なことほど好き嫌いを判断しやすいし、

他人が近くにいないときほど素直になりやすい。

問題なのは社会の中で他人と隣り合わせになったときにどう判断するか。

「人生楽しい!」と口にする人ほど上手くできている気がする。

そういう人は世渡りも上手くて、自分軸と他者軸を

明確に捉えらえている人が多いので、それも必要なスキルなのだろう。

あぁ、そうなりたい。

 

何かを聞かれたとき、

でも~とか、いやぁ別に~とか、ごにょごにょ言わずに

「私は好きだよ」「私は嫌いかな」

と『私』を主語において意見を話せるようになりたい。

 

・・・

でもジャージはよくない?