てつこはじと目でなにを見る?

おかしな家で育ったおかしな娘が書く読み物

思い出に固執して後ろ向きになる人と、そうでない人の違いはどこか。

超超超暑い日が続く中、てつこは納戸の整理をした。

実家を出た時に持ってきた(けど使ってない)モノが出るわ出るわ。

粗大ごみ券代もケチらずに捨てまくる。

段ボールの中から大きめのトートバッグが出てきた。

あぁこれは、学生時代にてつ父が買ってくれたものだ。

これかわいいなぁと見ていたら、気まぐれなてつ父が突然

「買ってやるよ(ドヤ顔)」と言ってくれたシロモノ。

汚れたら洗って使い、大分活躍してくれた。

そんな一品をてつこは保管していた。

 

一日悩んだ挙句、ごみ袋に入れた。

ちょっと胸が痛む。

まるで良い思い出を捨ててしまう気がしたのだ。

 

物と思い出はリンクしやすい。

だから胸が痛むのだろう。

もしかしたら、てつ母もそうだったのかな。ふと思う。

てつ母は物が捨てられない人だった。

タンスや押し入れに入りきらない洋服や化粧品、靴、お菓子、食器。

それらは野積みになり、やがてほこりをかぶってカビていった。

それでも捨てなかった。

てつ母はそれぞれの物にストーリーを持たせていた。

この服はてつちゃんが大きくなったら着せるのよ、

この食器はてつちゃんと一緒にお茶を飲むためのものよ、、、。

きっとてつ母には良き思い出でもあり、これからの希望でもあったのだろう。

だから捨てなかった。

 

てつこ自身のことに戻る。

数年前から断捨離が流行っている。

なにも捨てなくてもいいんじゃん?、とてつこは思っていた。

が、物が増え、雑多な感じになってきた部屋に嫌気がさして

ついに整理を始めた。

一番の理由は「思い出に囚われなくなってきた」からかもしれない。

学生時代に買ったものや、両親に買ってもらったもの、

それらが捨てられなかった。

あんなに嫌がっている過去の記憶なのに、捨てられなかったのだ。

嫌な中でも印象的な記憶。それにこだわっていた。守りたかった。

 

でもようやく最近、物と思い出を切り分けて考えられるようになった。

「物を捨てても、思い出が消えるわけではない」

そんな普通のことに気付けるようになった。

これは成長したのでは。

てつこは内心満足していた。一歩踏み出せた気がする。

過去に固執していた自分から、前を向き、行動に移す。

ごみ袋にいらない物を入れながら、よかったよかったと胸をなでおろす。

 

思い出に囚われている人は意外と多い気がする。

てつ母もそうだ。

最後に会った時、やり取りの節々から「良い子だったてつちゃん」の

思い出がにじみ出ていた。

てつ母は「大人になったてつちゃん」が

理解できない。見えていない。知ろうとしない。かわいそうな人。

彼女の中にはそれだけ昔の思い出の比率が高い。

だから前を向けない。

 

友人にもそんな人がいる。

飲むたびに「昔はよ~、モテたんだよ~、〇〇〇に言い寄られてさぁ」と

その話何回聞かされんだよ!とつっこみたくなるやつ。

そやつの腹はでぶっとして、モテた栄光の影すらない。

友人なので許すが、もし見知らぬ状態で居酒屋で隣になったら

席を移動するレベルだ。前を向け。痩せろ。ワンチャンあるかもよ。

 

(・・・あまりに身近な人に対してだったので、

 辛辣な言葉になってしまった。大変失礼しました。)

 

ただ、てつこはミニマリストになれるほど断捨離できそうもない。

思い入れのある物はある程度とっておきたい派だ。

適度に。

適度に物を置いて、適度に物を捨てる。

思い出も、ほどほどに。。。