てつこはじと目でなにを見る?

おかしな家で育ったおかしな娘が書く読み物

いたたまれない気持ちが自分の中に入ってくる現象。(共感性羞恥?)

てつこはドラマやアニメや映画が得意ではない。

見ていられない。

集中力がてつこには無い、ということもあるが…

起承転結のある展開に感情が追い付かないのだ。

 

どういうことだろう。

例えば、以前たまたま見かけた深夜アニメのこと。

主人公の女の子は知識が豊富で賢くて美人。

だが、厳しい母親といじわるなお姉さんが実家にいる。

その女の子とお姉さんが対峙するシーン。

「姉さん!」

「あらぁ、〇〇ちゃん。実家に顔も出さないでこんなところに。

 ふーん、男の子連れねぇ(ニヤニヤ」

「…姉さんには関係ないわ」

「〇〇ちゃんはこういうのがお望みなのねぇ(ニヤニヤ」

(周りにいた友達ドン引き)

 

・・・みたいな展開が、無理。

絶好調だった主人公の女の子の心の闇が暴かれたり、

お姉さんのチクチクによって周囲の人がドン引きになる雰囲気だったり、

そういうのが見ていられない。

見ていると心臓がぞわぞわと震える。

うわああぁぁぁと叫びたくなる。

 

あとドラマや映画でよくある、

主人公が順調に生活していたのに

受験や仕事の失敗で突然精神的にダウンしたり、

理解のあった友人達が突然裏切ったりするシーン。

これも見ていられない。

大した展開でなくても涙が出てしまう。

あぁかわいそうだぁぁつらいぃぃと自分のことのように泣いてしまう。

そして困ったことに2~3日は気分が沈む。

 

鬱なドラマやアニメに出てくるいじめのシーンや、

精神的・性的な暴行シーンなんかは論外。

目にしてしまうと吐き気がする。

これは他の人も同じかな。

個人的に、こういう鬱な内容が流れる直前にテロップでも出してほしいくらい。

 

こう考えてみると、てつこは大分と主人公に感情移入してしまうらしい。

主人公と同一化というと言い方が格好つけだが、

そんな感じ。

 

他者の感情に引きずられてしまう現象を「共感性羞恥」と呼んで、

テレビで取り上げられたことがあるそうな。

ググってみて初めて知ったが、他の人にも

こういう現象があるのだなぁと思った。

共感性羞恥と呼ぶことに異論反論あるようですが)

 

最近ではHSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)という

言葉を目にすることも多い。

てつこは全く詳しくないが、内向的だったり神経症的だったりする

性格が細かく分析されるのはよいことだと思う。

もしかして、てつこが過剰にそういったシーンに反応するのも、

それなりの理由や背景があるのかもしれない。

 

この一連の癖があることでほんの少し不便。

暇な時に映画を観るという選択肢もとる気にならないし、

話題のドラマも見る勇気がわかない。

でもそれで自分の感情を平穏に保てるなら安いものだ。

 

以前は自分がおかしいのかなぁと思っていたが、

同じような人がたくさんいて安心した。

これからは自信を持って作品のオイシイ所だけをつまんでいこう。

(ご報告)自分のことがイヤイヤ期 に突入しました。

またしても、またしても奴がやってきた。

『自分のことが超絶嫌いになる時期』。

まるで子どもに何を言っても何を聞いてもイヤイヤするように、

自分が何をしても何を思っても

『あのときあんなこと言っちゃって恥ずかしい!』

『今こう思って超カッコ悪い!』

『さっきの自分なんか気持ち悪い!』

という見事なまでの全否定っぷりをしてしまう時期。

 

最近のてつこは、鬱の波にどどーんとさらわれることが少なくなった。

気分が落ち込んでも、以前よりは早く戻ってこれるようになった。

「あぁ、仕事行きたくないなぁ」

「あぁ、人と会ったり話したりしたくないなぁ」

「あぁ、人生やり直したいなぁ」

そんな気持ちを持ったならば、昔は何日も何日もひきずってしまい、

最悪家から出られなくなったものだ。

 

しかし、まだまだやっかいなバイオリズムがある。

それがさっきのイヤイヤ期。

こいつは突然やってくる。

ただ実際のちょっとした出来事がきっかけになることが多い気がする。

 

今回は昨日ぼやいた(愚痴投稿でお目汚ししました…スミマセン)

「良い人になろうと必死すぎんじゃね?」という気持ちがきっかけだ。

そして今日。

気分転換に遠出してターミナル駅近くの立ち飲みバーに寄った。

空いていた店内でマスターがちょいちょい喋りかけてくれた。

それに便乗し、てつこはいらんことまでペラペラ喋ってしまった。

バーを出てはっとする。

「ワタシ、調子乗って一人で何テンション上がってるんだっ…!!」

耳まで赤くなる感覚があった。

 

もしかしたら、元気な時のてつこなら

ただの楽しい時間で終わったのかもしれない。

傍から見ても大したお喋りではなかったかもしれない。

今はそんな事実よりも、『恥ずかしい』という感覚の方が大きい。

こう書いている今も「なんつーことをしてしまったんだ感」が強い。

同時に思う。

『やっぱり私は何をしてもダメなんだ』と。

 

イヤイヤ期に突入すると物事が冷静に考えられなくなる。

客観的に自分を捉えられなくなる。・・・気がする。

何を考えてもイヤになる。

「あーもうイヤだ。自分イヤだ。カッコ悪い。あかんわ。」

「いや、そこまででもないよ。考えすぎだよ。」

「いや、そんなこと言われてもどうせ嘘だ。理想だ。自分には無理だ。」

「いや、だから・・・」(エンドレス)

・・・心の中のてつこJr.が聞かん坊になっている・・・。

 

以前はここに鬱の波も重なって泣いてしまうことも多かった。

最近はそこまで落ち込むことはないとはいえ、

それでもやっぱり、辛い。

自分のことを自分が受け入れられない状態は、辛い。

 

今日は無理をして外に出ることをしなければよかった。

明日はゆっくり家で休もう。

私は「良い人」になりたいのだ、と気付いた夜。

今日も今日とて残業を重ねる。

同僚たちは定時になり次々と帰っていく。

てつこは日中やり残した仕事や電話応対に追われる。

上司からプラスαの仕事を引き受け、日中やり切れない分が

定時以降にやらざるを得ないのだ。

 

「てつこさん、だいじょーぶ??」

同僚たちが声をかけてくれる。

同じスキルを持っていないので簡単に頼むこともできない。

てつこ自身が望んで引き受けた仕事でもある。

「だいじょーぶですよ!適当に終わらせて帰ります。」

てつこはそう答える。

「ならいいんだけど・・・」

同僚たちは気にしつつも帰宅の途につく。

 

今日は機器の不具合があり、業者に来てもらった。

その立ち合いも夕方からてつこが引き受けた。

みんな、ごめんねーと言いつつ帰っていく。

 

仕事場に一人、いつもと変わらない風景。

 

ふと、てつこは思う。

みんな帰っちゃったなぁ。

 

・・・あれ?

今なんて思った???

 

『帰っちゃった』???

 

てつこは心のどこかでみんなが帰らずに残ることを期待していたのか?

まさか自分を残して帰るとは思っていなかったのか??

てつこは何故そんなことを思ったのか???

 

業者の修理作業を背にしつつ、パソコンのキーボードを打つ。

自ら望んで引き受けた仕事。

この仕事のおかげで高く評価してもらっている。

残業はしんどいなぁと思いつつも、楽しさすら感じ始めている。

 

なのに、『帰っちゃった』。

 

違和感を感じ始めたと同時に鬱々とした波が押し寄せる。

なんて煮え切らない奴なんだ。

なんて自分勝手な奴なんだ。

なんて気持ちの悪いやつなんだ。

自分を責め立てる言葉が次々と思い浮かぶ。

そしてはっと気付く。

 

もしかして、てつこは「良い人」と言われたいだけなのではないか?

 

てつこは良い人間でありたい。

誰からも好かれ、信頼され、出来る人間でありたい。

よく「他人からの評価は気にしちゃだめ」という声を聞くが、

それもその通りと思うが、てつこは正直人に好かれていたい。

勿論万人からは無理だが、近くにいる人には良く思われたい。

だって、嫌われたら頼りにできないじゃないか。

嫌われたら寂しい思いをするじゃないか。

 

相反する気持ちが存在する。

良い人と言われるためなら嫌な仕事も引き受けるのか。

他人からの評価を気にしてもしょうがないのに、気にするのか。

好かれて褒められるためなら自分の気持ちを犠牲にするのか。

 

てつこは娘にも再婚相手にも見捨てられたてつ父とてつ母を見て、

誰からも必要とされない悲しさを知った。

因果応報という言葉があるけれど、他人に対しての行いが

自分に跳ね返ってくることを嫌というほど見てきた。

そんな人生は歩みたくないのだ。

 

自分を大切にしないとダメになるルールを知っているはずだが、

一方で「良い人」の価値観に囚われて突っ走るてつこ。

なんだか自分のすごく痛い所に気付いてしまってダメージが大きい。

偽善という面の皮がはがれるのか、新たな価値観を見出して楽になるのか、

今のてつこには方向性が全くわからない。

去年、伝染性単核球症で入院した話。その2。

昨年、こんな思い出話を書いた。

jitomenotetsuko.hatenablog.com

※これを書いたときは「昨年」でしたが、今年からみると「一昨年」になります。

 

今でもたくさんの方に見られている記事。(ありがとうございますm(_ _)m)

なぜ、また今「その2」を書いているのかというと、

ふと思い出した症状があったからだ。

 

今、てつこの足のすねに直径5センチくらいのアザができている。

何かにかぶれたのか虫に刺されたのかわからないが、かゆい。

時々ポリポリと掻いていたらアザのようになってしまった。

今はクリームやオロナインをのってしのいでいる。

大した症状ではない(と思う)。

 

実は、伝染性単核球症になる寸前、似たような出来事があった。

 

夏の朝、起きて肌色のストッキングをはく。

「・・・あれ??」

てつこは、足のふくらはぎが大きく腫れていることに気付く。

赤いポチッとした点の周りが赤くふくらんでいた。

明らかに虫刺されだった。

そのまま仕事に行くと、会って早々、同僚たちに驚かれた。

「てつこさん、・・・どうしたのそれ???」

ふくらはぎを見ると直径15センチくらいに腫れが広がっていた。しかも真っ赤。

その日は夜間もやっている皮膚科に駆け込み、塗り薬をもらった。

 

お医者さんに言われたわけではないが、

私的にこれは病気の前触れだったと思っている。

退院後にたまたま出向いた伝染性単核球症に関する講話会で、

『虫刺されに対して異常な反応が出ることがある』と聞いたからだ。

個人差があったり病気の進行程度もあったりすると思うので独断はできないが…。

 

もう一つ、この病気で怖かったことがあった。

それは食欲が普段と変わらなかったこと。

入院する3日前、昼~夕方は体調が落ち着いていた。

熱を測っても平熱だった。そのため、以前から約束していた

友人との食事会に出向き、中華料理をいつも通りおいしく食べた。

その日の前後も食欲は変わらず、40度近い熱があろうとなかろうと

ご飯を自分で作って食べていた。

風邪だから食べなきゃ!という義務感もあったが、

体調が悪い時は食欲も大抵落ちるので

熱があるけど食べれるし風邪が長引いているんだろうなぁ、

くらいにしか思えなかった。

 

虫刺されと体調とは相反する食欲。

こんな前触れで大病を防ぐことはできるのだろうか。

ちょっとした前触れで病気に気付くことなんて難しい・・・と

この経験から痛切に感じた。

どうすれば病気から身を守れるんだろう。

とても怖くなった。

 

今、てつこのすねに出来ているアザも何かの病気かも・・・

なんて正直思ってしまう部分もある。

伝染性単核球症については一度かかれば抗体ができるので

 再発することはありません!とお医者さんから言われました)

 

心身共に健やかに…

と願いつつも、なかなかな無理ゲーだぜ、と思ってしまうのであった。

いそがしい…と口にするごとに、少しずつ何かを忘れていく件。

てつこは足つぼマッサージを受けた。

月末月初の忙しい仕事を切り抜けた休日、癒しのイベントだ。

しかし、結構痛い。

慣れていないので弱めで…とお姉さんにお願いしたものの、結構痛い。

そして自分の身体の疲れている部分を目の当たりにして驚く。

ふくらはぎがパンパンで押されると痛い。

肝臓につながるツボを押されるとめっちゃ痛い。

胃や大腸のツボを押されると痛い。

足指を揉まれるとゴリゴリする(血流が悪いせいらしい)。

疲れが溜まってきているようですね~とお姉さん。

 

正直、内臓に疲れが溜まっているとは思っていなかった。

食欲もあるし、元々冷え性じゃないし、肩こりも感じないし・・・。

でも心当たりがある・・・

 

最近仕事が忙しい。

残業時間も少々増えつつある。

てつこが自ら仕事を引き受けているためであるが、

上手く制御できていないなぁと痛感する。

そして独り言で「忙しい、忙しい。」とつぶやく自分がいる。

それがここ数週間のちょっとした環境変化。

 

それと同時に、イライラすることが増えてきた。

電話や面前での応対で‘‘忙しい感”を出してしまう。わざと早口にしたりとか。

新しい書類を渡されると咄嗟に文句が出てしまう。

朝や帰宅時に嫌なことばかり思い出してしまう。

自分の心がとげとげしくなってきたと感じる。

 

そんなてつこ自身を振り返る。

おかしいな、つい最近まで

「イイコト」や「幸せ要素」を気付けるようになってきたはずだ。

カウンセリングやネットを通じて、不安や怒りのコントロール

できるように少しずつ成長できていたはずだ。

なのに「忙しい」と口にするだけでそれが台無しになっている。

忙しい、忙しい・・・

そう言うことで、自分に『忙しい暗示』をかけているのではないか。

心も忙しい状態・いっぱいいっぱいな状態に

自ら追い込んでいるのではないか。

 

「忙しい」と口癖のように言う人って結構いる。

傍から見ていて、そこまででもなくない?という時でも

「忙しい」と言っている。まるでそう言わないと気が済まないかのごとく。

そういう人は大抵動作も荒っぽい。

ああはなりたくないなと思っていたにも関わらず、

気付けば自分自身がそうなっていた。

 

こう考えると「忙しい」という言葉は、自分に対して使うのは

あまり良い作用がないかもしれない。

他人から「君忙しそうだねぇ」と言われるときも嫌味だったりもするし。

せめて良いこと・嬉しいことが沢山出来過ぎたときに

『あぁ、忙しいなぁ』とつぶやくことにしよう。

しばらくは禁句だ。

 

反省の一日。

テンションが上がる日もあれば、こうやって下がる日もあり本当に忙しい。

 

( ^ω^)・・・あ。

幸せだなぁ、を感じるために今できること。

金曜日の夜、仕事帰りにデパ地下でワインとクリームチーズのポテサラを買った。

そして家でオリンピックのハイライトを見ながら食べて飲む。

「あぁ、なんか幸せだなぁ」

と思った。それも突然に。

 

食べ物がおいしかったせいだろうか。

ワインが口に合ったからだろうか。

テレビがおもしろかったからだろうか。

 

なぜ「幸せ」なのか考えてみる。

どんなことが今までにあったか、思い出す。

最近、朝起きれない。寝る時間を30分だけ早めてみたら、日中の眠気やだるさは少し楽になった。睡眠不足だったのだろうか。

最近、仕事で評価してもらえるようになった。以前は課員の評価に興味ない上司ばかりで、てつこの職場は皆軒並み「普通」評価だった。そこへ新しい上司が来て、きちんとその人の特性を見てくれるようになった。この変化は、頑張るてつこにとって嬉しいものだった。

最近、以前にもまして食べ物への関心が強くなった。おいしいものを食べて満足したいという気持ちが出てきた。そして家で何かを作ってみよう、という気持ちも出てきた。そのためもっぱら家飲みだ。

・・・

最近の自分を振り返ってみると、そんな大したイベントはなかった。。。

 

いや、待てよ。

それが大事なのではないか??

 

てつこは自分の不調に気付いて寝るのを早めた。何でも頑張り過ぎるてつこにとって、進歩ではないだろうか。

てつこは何気に仕事一筋の社畜ちゃんである。そんな彼女に高い評価という一番のご褒美が与えられれば、そりゃテンションも高まる。

てつこは一昔前まで食に興味がなかった。休みの日も疲れがたまって外食する日も多かった。それが良く変化したのは前向きになったことではないか。

 

些細なことだけれども、「幸せ要素」が詰まっている出来事ばかりだ。

てつこは少しずつ前向きな性格になれてきた気がする。

そして心の余裕が出来てきた気がする。

今までとにかく必死だった。

毎日毎日、不安や焦りと戦った。

こんなに頑張っているのに何も成果がでない。

他のみんなは楽しそうなのに、なぜ自分だけこんなに辛いのだろうか。

毎日毎日、心の中でもリアルでも泣いていた。

 

今はその回数が減ってきた。

今でもどーんと下に落ちる時があるけれど、回数が減った分持ちこたえられる。

そこに「幸せ要素」を的確につかむ心の余裕ができてきた。

なんとまぁ、これは大きな前進ではないか!

 

てつこ自身、不安や焦りの中で「こんな考え方ではいけない」と

自らを改める気持ちがあった。カウンセリングや通院も始めた。

毎日の出来事や感情を大切にした。何より、自分自身の体調を大切にした。

すぐには変化が訪れなかったけれども、確実に実を結び始めている。

1年以上かかっているけれど、それが今回の「幸せだなぁ」に繋がったのだ。

 

てつこは自分自身から勝ち取った「幸せだなぁ」を誇りに思う。

そして今また「幸せだなぁ」と感じるのであった。

親不孝娘と非力な父の、見果てぬ夢。

数年連絡を絶っていたてつ父から突然着信があった。

何事かと驚くてつこ。

恐る恐るかけ直すと、なんてことはない、

最近どうか?という内容だった。

 

てつ父らしいと思ったのは、かけてきた理由。

普通の親なら「あんたが電話くれないからかけたのよ!」とか

「元気にしてるか心配になって」とか言うのだろう。

てつ父は違った。

「ケータイいじってたら間違えてかけちゃった」

 

・・・そうか。

がっくし、とうなだれるてつこ。

何故そこで素直にならないのだ・・・。

それがてつ父の不思議なところ。

ちょっと違う格好のつけ方をするのだ。変な気の使い方というか。

 

てつ父は昔から不思議な人だった。

話しかけても返答が無いので会話にならず、何を考えているかわからない。

同じ食卓についてもご飯を食べずにお酒を飲み、やっぱり会話はない。

機嫌が悪くなるとてつ母を家から閉め出したり、

出かけ先でてつこを置き去りにして家に帰ったり、

無断で欠勤したり、

『気分』で物事を決める人だった。

 

今回の突然の電話も『気分』だったのだろう。

きっと寂しくなったに違いない。

 

親不孝者のてつこは今回の件があっても、てつ父と会う気になれない。

まぁたまには電話してみようか、という気持ちにはなったものの

直接会って話をしたり食事をしたりする気持ちがわかない。

 

父への愛情が、ない。

 

一切ないわけではない。

心配だし、一人でいるのは寂しいだろうと思う。

だが、それ以上の「情」がわかない。

他人事のような感じ。

そんなには親しくない友人から久しぶりに電話があって、

昔を懐かしんで会話をした。今度会おうねと言って実際は会わない。

そんな感じ。

 

てつ父は数年前突然仕事を辞めた。

貯金を切り崩し、一時はてつこと暮らすことを望んだ。

てつこはそれを断った。

それから疎遠になり、今に至る。

疎遠になるときははっきりとしたきっかけもなく、なんとなく、だった。

 

てつことてつ父の間には「意思疎通」というシステムがない。

お互い何を考えているかわからない。

お互い何を喋っていいかわからない。

お互い気を遣って話がかみ合わない。

その証拠に、今回の電話も沈黙が多く何を話せばいいか互いに困った。

 

正直に言うと、てつこはてつ父が苦手だ。

あのだんまりと、時々ニヤニヤする表情が『何を考えているかわからない』。

だから苦手だ。

 

二人の間にはきっと永遠に埋まらない溝がある。

それは子供時代に構築できなかった信頼関係のせいか。

それともお互いがまだ大人でない証拠で、これからやろうと思えば良い関係が築けるのか。

どちらが正解なのかはわからない。

ただてつこの心の中ではっきりしているのは、

てつ父とコンタクトを取ることに困惑しているということ。

得体の知れないもやもや感が生まれたということ。

 

しばらくは「適度に距離感を保つ」ことに専念すべきなのだろう。

振り回されることなく、冷静に対応すること。

こう考えている時点で、てつことてつ父は健全な父子関係ではない。

それでも親子の縁は切っても切れないものなんだと痛感するのであった。