てつこはじと目でなにを見る?

おかしな家で育ったおかしな娘が書く読み物

「心の拠り所」がもっともっと欲しい。

 先日、クリーニング店にスーツを持ち込んだ。

休職前に着たやつで、そんなに汚れていないので

うっかり出すのを忘れていたのだった。

そこのクリーニング店のおばちゃんはお喋り好きだ。

時々しか行かなくても顔を覚えていてくれる。

 

店員「暑いわねぇ」

てつ「そうですねぇ、外に出るだけで汗かきますね」

店員「困っちゃうわよねぇ」

てつ「あ、今回はこれお願いします」

店員「あら!スーツ?」

 

おばちゃんは続けてこう言った。

 

店員「働いてるのねぇ、偉いわねぇ!」

 

普段なら何気ない一言だが、今のてつこは動揺した。

休職して2か月。毎日なんにもしてない。

思わず「いや今休んでて何もしてないんですよー」と

いらんことを言いそうになってしまった。

えへへ、と笑っていそいそと店を出た。

 

偉いわねぇ!と言われて嬉しかったのもあるし、

何もしていない自分、働いていない自分を恥ずかしいと思う気持ちもある。

どちらの比率が高いだろうか??

正直、後者の気持ちの方が強い気がする。

どうしても、休んでいる自分を前向きに捉えられない。

 

これまでも今も、てつこにとって「働いている自分」が

自分の誇りなのかもしれない。

性格も容姿もスキルも、何にも自信を持てないてつこにとって、

今の会社に勤めているというプライドだけが

自信を持てたことなのかもしれない。

私は他と違うんだ!頑張ってるんだ!と思うことで自分を保っていた。

それが崩れた今は、心にぽっかりと穴が開いたようで、

おいしいご飯を食べても、お菓子作りをしてみても、

家の大掃除をしても、何をしても満たされない。

 

これからは?

これからも「働いている自分」が誇りになるのだろうか。

正直、よくわからない。

今は、また休職せずに仕事を頑張れるのか、自信がない。

ストレスに弱い自分はまた仕事で悩むだろう。

その時のために、働くこと以外に心の拠り所を見つけておきたい。

環境に左右されない拠り所。

そういったものが欲しい。

 

心の支えや生きがいといったものについて、

これまで真面目に考えてきたことがなかった。

だからこそ、「こんちくしょう!」という気持ちにならなくて、

ストレスに負けてしまうんだろう。

すぐに見つかるものではないけれど、

少し意識していけば何か変わるのかな。

もっと楽しい人生にしたい。ブログを書きながら心に決めました。。。

ショーパブに行って、鼻血が出そうなほどエキサイトした話。

実は先日、先輩に連れられてショーパブに行ってきました。

オカマのねえさんさんたちや、おなべのイケメンたちの

きらびやかなショーを見ながらお酒をいただく所です。

(フリー素材ないか探したけどなかった…

 Google画像検索だとこんな感じ。

 ↑一部セクシーな画像もあり注意。)

ビアンの方向けのバーなら行ったことあるものの、

ショーパブは初めてだったので緊張しまくる。

数か月ぶりにおめかしして、いざ出陣!

 

スタイル抜群のオカマさんや、韓流スターか!と思わず

つっこみたくなるおなべさんに囲まれてウハウハ状態。

そしてやはり話がうまい!!

相槌も絶妙で、話しているとテンションが上がってきてしまう。

水商売の方たちから学ぶことをたくさんあれど、

やはり話のうまさは格別だなぁ。

タバコを吸う先輩にすっと火を差し出したり、

手元のタバコの箱をさりげな~く開けてあげたりと、

見ているこちらも気持ちがいい。

 

そしてショー本番。

スパンコールやらクリスタル?やらでキラキラした衣装に包まれて、

流行りの曲や定番の曲に合わせてダンスをしてくれる。

も~スバラシイ!!!!!

感動して泣いちゃうかと思った。

ステージと観客席の距離が適度に近いので、臨場感半端ない。

時間は30分くらいで、その間いろいろな曲に合わせて、

セクシーだったりコミカルだったり、

色々なパフォーマンスが見られて大満足。

終了後は気に入った踊り子さんにおひねりを渡す時間も。

身銭を切って、ワタクシもおひねりを渡してきましたよ。

「〇〇ちゃ~ん!〇〇ちゃ~ん!」と鼻血が出るかと思うくらい

叫んでハイタッチもしてもらいました。

 

こういう方たちに囲まれるこういう場所に来ると、

なんだか「当たり前」ってなんだろう?と思ってしまう。

てつこも一時期、性自認性的指向がぐらぐらと揺れたときがあったけど、

その揺れをスパン!と断ち切って

「自分はこう行こう」と堂々と過ごしている人たち・・・

のように、彼・彼女らをちょっと特別視してしまう。

みんなと同じように悩みも葛藤もあるんだろうなと

自分を諭しつつも、キラキラしたショーのみなさんに夢を抱いてしまう。

それくらい素敵なショータイムだったし、

楽しいおしゃべりの時間だった。

 

・・・

勿論、お会計の金額を見て現実に戻ったのは言うまでもなく。。。

(てつこはお気持ちだけ渡して、後は先輩にお任せしました( ´艸`))

 

また行きたいなぁ。

宝くじ当たんないかなぁ。

「休職コンプレックス」とメンタルと私。

休職して1か月以上が経った。

一週間ごとにメンタルクリニックへ通い、薬を調整してもらうことで

死にたい衝動は収まってきた。

めそめそと泣くことも少なくなり、大分安定してきた。

一方で、心の余裕が出来てきたせいか、

仕事のことを考えるようになってきた。

復帰したらどういう顔で出社すればいいのだろう。

自分のデスクの向かいの人たちとかと何を話せばいいのだろう。

そりが合わない上司と上手くやっていけるのだろうか。

半端に進めていた仕事はどうすればいいのだろうか。

考え始めたらキリがない。

仕事に対する不安が顔をのぞかせた途端、

ずぅぅぅんと頭が重くなり、息が苦しくなる。

 

幸い、産業医の先生やアドバイザーの職員がいるので

その人たちとしっかりやり取りをして、

上司やもっと上の上司にも自分の思いを伝えてもらうことで、

スムーズに職場復帰できる

・・・

はずだ。

だからこそ自分の考えはまとめておかないといけない。

 

それでもやっぱり不安感は拭えない。

10年前に休職してから、「休職だけは避けたい」と思って

がんばってきた。いや、がんばってきて”しまった”。

休職したときに感じた負い目や引け目に

追い立てられるように仕事をしてきた。

 

休んだら周りに迷惑がかかる。

休んだら恥ずかしい。

休んだら・・・。

そして今まさに二度目の休職。

「あぁ、また私は休んでしまった。」

「あぁ、また気まずくなってしまう。」

ぐるぐると劣等感が心にまとわりつく。

あんなに休みたくない!とかんばってきたのに、

いつの間にか自分追い詰めて、自滅してしまった。

 

自分の働き方を振り返った時、

そんな「休職コンプレックス」にあふれていたことに気付く。

がむしゃらに仕事を進めて、残業して、昇進試験受けて・・・

それっててつこ自身が本当に心から望んでいたことだったのかなぁ。

無理して、休職した過去を打ち消そうとしていたのかなぁ。

そう思うと、改めて自分で自分をコントロールする能力の無さに

とほほ・・・となってしまう。

 

だからといって、今まで歩んできたキャリアを

無かったことにはできない。

今までのハイテンション&ローテンションな自分のキャリアを

無駄にしないよう、今はしっかり休んで

何をどうしたいのか考えないといかんぜよ、と思う。

もう少し気分が落ち着いたら、

自分の気持ちをノートに書き出したりして

整理整頓をしていこう。

 

いやはや、マジで手のかかる娘ですわ。

他人に優しくする、という”欠点”

昨日までは楽しく買い物をしたり前向きに家事をしたりと

安定している一方、

「あ、なんか不安ちゃんが顔を出し始めている…」と

感じてからあっという間に気分が落ち込んだりと、

なかなか安定しない。

そんな中ふと思ったことがある。

それは「『優しい』というのは欠点にもなる」ということ。

ありがたいことに、てつこは他人から

気持ちが優しいと言われることがある。

それはとても嬉しいことで、てつこの長所でもあると思う。

 

昨晩から、ある一言を思い出していた。

「お父さんに連絡してあげなよ。」

先日のお葬式で知人たちから言われた言葉だ。

てつ父とは久しく連絡を取り合っていない。

そのことをポロリと言ってしまい、心配した知人たちが

そうてつこにアドバイスしたのだった。

 

てつこはそのアドバイスを聞き入れる気はない。

てつ父側から連絡が来ない限り、てつこからリアクションをとることはない。

嫌いだからとか憎んでいるからとか、

単純な感情で説明できることではない。

複雑でどろどろとした感情が入り乱れて、考え抜いた結果だ。

 

さらにてつこは考える。

そもそもなんでてつ父と連絡を取るのを自分は嫌がっているのだろう。

・・・

あぁ、そうか。

『あの頃』を思い出すのが嫌なんだ。

みんなが悲しんで、つらくて、泣いていたあの日々を

思い出すのが嫌なんだ。

そう思うと自然と涙が出た。

父も母も、相当つらかっただろう。

今この歳になれば、多少はわかる。

もっと幸せになりたい。

だから自分なりに努力してみたけれど、上手くいかない。

そんなもどかしさと悲しさが彼・彼女を支配していただろう。

てつこはまた泣いた。

 

そこではっと気づく。

てつ父とてつ母に想いを馳せても、もう何にもならないんだ。

全ては終わったこと。取り戻すことはできない。

 

あんなに憎かったてつ父とてつ母に対して、

こんなに涙を流すなんて、てつこって本当に優しい奴だな。

心の中でちょっと笑った。

だけど。

だけど、その優しさは少し忘れてもいいんじゃないか。

今はそれどころじゃないはずだ。

自分の感情を取り戻すのに集中した方がいいんじゃないか。

もう一人のてつこが諭した。

 

他人に優しくして、自分のことは無頓着。

そんな性格はダメだよなぁ。

マザーテレサじゃないんだから、並の人間であるてつこは

もっと自分に優しくしないとダメだよなぁ。

 

そんなことを思った一日でした。

人の死に直面してもなお、この世から消えたいと思うのかという葛藤。

先日、知人のお葬式に参列しました。

生前は頻繁にお会いするような間柄ではなかったものの、

ご縁もありましたし、お声をかけていただいたこともあり参列しました。

棺に収められたその人のお姿を見たときは

やはり胸にぐっと来るものがありました。

美しくお化粧をされたその人の肌はつやつやしており、

本当に眠っているように見えました。

それまで気丈に振舞っていたご家族の方が、

火葬されてお骨だけになった姿を見たときに

泣き崩れていたのがとても印象的でした。

 

てつこは祖父のお葬式以来、まだ2度目の経験です。

お作法も知らず、あの雰囲気に色々とショックも受けました。

もう起き上がることのない、

魂がすでにない、

あの棺に入っているお姿を見ると涙が出るとともに、

不思議な感じを受けました。

「あの世からこのお葬式の様子を見ているのかな。」

てつこは結構本気でそう思いました。

なんか、向こう側にその人がいるような、不思議な感じ。

 

まだ生きていたかっただろう。

お葬式に集まった人々から、故人のエピソードを聞きながら

そう思いました。そしてまた涙が出ました。

 

お経が読み上げられる中、てつこは自分のことを考えました。

誰が看取ってくれるのだろう。

誰が葬式をあげてくれるのだろう。

そして誰が葬式に来るのだろう。

自分で自分の葬式を手配できればいいのに。予約みたいな。

 

てつこは最近も、この瞬間も、死んでしまいたいと「ふわっ」と思う。

地球に小惑星が衝突しても悔いはない、気がする。

気がする、というのは情けない話だが、

「なんかもう、この世に未練はない」と思う一方、

「もっと楽しいことがあるのではないか」という期待もある。

だから自分の気持ちなのによくわからない。

 

今回、亡くなった方のお姿を目の前にし、

そんな気持ちを抱いてお経を聞く自分が

情けないというか、悲しいというか、寂しいというか、

なんとも言えない気持ちになりました。

 

生きたい人がいたんだから死ぬなんて考えるんじゃない、

というのは正論かもしれませんが

私の口からはとてもそんなことは言えない。

かと言って、この世が嫌いで嫌いでしょうがなくて

毎日死にたいとつぶやきながら生きていくのも、

もっと自分でなんとかできるのではないか、と思うこともある。

「自分の死」に関する気持ちはあまりに複雑で整理しきれない。

 

故人の場合と自分の場合が重なってしまい、

ぼんやりと色々なことを考えてしまいます。

数日経った今も、棺をのぞいたときのきれいなお顔が忘れられない。

 

〇〇さん、どうか安らかにお眠りください。

燕岳に行ってきました。

日にちが経ってしまいましたが、実は今週の頭に

長野県の燕岳(つばくろだけ)に登山に行ってきました。

大分以前から計画していたのと、家にこもって「この世から消えたい…、

私なんてどうしようもない奴なんだ…」とぼやいているてつこを見かねた友人が、

計画を実行するぞ!と意気込み、強引に 連れて行ってくれました。

この子がいなければ家で鬱々としていたことでしょう。

感謝。

 

梅雨明けもまだということで、山頂は厚い雲に覆われていました。

ですがギリ雨に降られずに、無事に宿泊する

山小屋「燕山荘(えんざんそう)」に辿り付きました。

 

▼遠目から見た燕山荘(多分山頂から見下ろしたやつかな?)

f:id:jitome_no_tetsuko:20190726172548j:plainホームページの写真にもある通り、

広くてきれいで素敵な小屋でした。スタッフさんの対応も丁寧!

山小屋では色々と気になってくつろげないてつこですが、

ここでは何不自由なく過ごせました。

燕山荘 | 燕山荘グループオフィシャルサイト

 

燕山荘の敷地からの写真。

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 ▼燕岳の山頂のお姿。燕山荘のある場所から30分ほど離れているのです。

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燕山荘では夕食にチーズinハンバーグが出ました。

なんということでしょう!!!

3000メートル級の山でチーズinハンバーグ!!!

感激して勿論全て平らげました。

夕食の後しばらく経つと、日も暮れて街の明かりがとてもきれいでした。

 

 ▼街の明かりがキラキラしてずっと見ていられました。

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帰宅後全身筋肉痛になりましたが、行ってよかったと思いました。

人生を登山に例える・・・なんて在り来たりですが、

肉体的にも精神的にも辛い登りの最中だと、

余計な考えが消えて「あぁ、こんな自分でもしっかり歩けるんだなぁ」なんて

思っちゃうのです。なんとなく励まされる気分になり、

なんとも形容しがたい「自信」が沸き上がってきました。

悶々とする日々が続いていますが、

今回のリフレッシュした思い出を大切にしたいと思います。

あの時のおじさんに今でも猛烈に謝りたい件。

突然ですが、懺悔したいことがあるんです。

おお神よ、本当に申し訳なかった・・・。

 

数年前、商店街を一人歩いていた。

買い物のため、目的の店に行く途中だった。

てくてく歩いていると、

 

?? 「〇×△□※〇×△□※」

てつ 「・・・ん??」

?? 「△□※〇×△□」

てつ 「???」

 

何かが聞こえてきた。

言葉なのかただの音なのか、わからなかった。

が、2回くらい聞こえた気がする。

まぁでもよくわからないかったし、気にすることなく歩き続ける。

 

ふと(無意識に音の方向が気になったのかもしれない)、

後ろを振り返る。

 

にっこり微笑む白人男性がいた。

 

外国人の観光客かな?

なんで微笑んでるんだろう?

めっちゃこっち見てるな?

不思議には思ったが、また気にすることなく歩き続けた。

 

てつこは何歩進んだだろうか。

 

『いくすきゅーずみー』

 

・・・

 

『Excuse me?』

 

てつこはハッと立ち止まる。

そうだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!

さっき聞こえたのはExcuse me?だぁぁぁぁぁ!!!!!

 

咄嗟にまた後ろを振り返る。

彼の姿はなかった。

 

ああああああぁぁぁぁぁ

彼は私に何か聞きたかったんだぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!

だから呼び止めたんだぁぁぁぁぁぁぁ!!

私も振り返ったから笑顔を作ってくれたんだぁぁぁぁぁぁぁ!!!

なのに!!!

なのに!!!

 

めっちゃ無視した orz

 

てつこは呆然と立ち尽くした。

すごく悪いことをした気がする。

あのジャパニーズガールは冷たいやつだな!と思われただろう。

自分のヒアリング能力の無さにも愕然とした。

だがいくら後悔しても後の祭りだった・・・。

 

旅行先で見知らぬ他人に声をかけるって

慣れてる人でもそれなりに勇気がいることなのに、

それを無視したことを今でも悔やんでいる。

あの時のおじさん、本当にごめんね。

またジャパンに来ておくれ。。。

後悔を無駄にしないために、今では外国人に何か尋ねられたら

この機会を逃すまい!といわんばかりに

身振り手振りでなるべく丁寧に伝えるようにしています。

悔い改めるってホント、このことなり。。。