てつこはじと目でなにを見る?

おかしな家で育ったおかしな娘が書く読み物

酔っぱらったので、生きづらさって何だろうって考えたら気持ちが沈んだので今日は寝よう。

今夜は酒のつまみを手作りし、久々に家で飲んだ。

ここ数日仕事で帰りが遅く、弁当や外食続きだった。

だらだらと飲んでいるうちに良い気分になった。

酒で幾度も失敗しているくせにやめられない。

そんなに嫌なことでもあるのかなぁと自分自身に問うてみる。

 

もうすぐ夏休み明けらしく、ネットやテレビでは

学校に行きたくない人向けに無理しなくていいんだよと

アナウンスが盛んに行われている。

てつこは「そういうこと言ってくれる立場の人がいるんだなぁ」と感心する。

世の中にはいろんな人がいる。

学校は行かないといけない所だと考える人。

無理して行くほどのこともないと考える人。

学校での教育そのものがいらないと言う人。などなど。

飲みながらネットを見て、自分自身はどうだったかなと考える。

別に学校は嫌ではなかった。

むしろ学校に救われた。

家にいるのが嫌で、学校に1分でも1秒でも長くいたかった。

授業が終わり、部活が終わり、友人との別れ際、

「今日もあの家に帰るのか・・・」と毎日落胆した。

 

かといって、学校に心地よさを感じていたかというとそうでもない。

ただひたすら嫌いな親から逃げていた。

頑張って友人と話を合わせ、この学校が楽しいと思いこむことで、

居場所を作り上げた。無理をしてしまった反動は大学時代に来た。

人と付き合うことが怖くなり、自分自身を信じられなくなった。

今思えば、そんなに頑張らなくてよかったのだな。

 

でも居場所があっただけてつこは恵まれている。

そして、居場所を自ら作ったてつこは偉かった。

なのに満足はしていない。

貪欲なのか、贅沢なのか。

 

ずーっとつきまとう「ここじゃない」感。

ずーっとつきまとう「居心地が悪い」感。

 

これが生きづらさなのか。

 

先日とあるファミレスで夕飯を食べていた。

目の前の広い席で、中学生くらいの女の子たちが楽しそうに喋っていた。

むかーし昔のてつこにも、そんな楽しそうな時期があった。

でも、話題や盛り上がりについていくのに必死だった。

そんなことを思い出し、独り身の今と変わらないなぁと思う。

やっぱり性格や性質は年をとってもなかなか変わらない。

人と合わせることにとても疲れる。

他人が苦手だ。

そのくせ、自分のこともキライ。

どないせいっちゅーねん。

 

これも生きづらさ??

 

居場所がない・安心感がない・自尊心がない。

ないない尽くしで生きていることが、生きづらさなのかもしれない。

そんな中で楽しげに生きていけと言われても無理ゲーだ。

その無理ゲーをひっくり返すには、

どれか一つをとりあえず見つけるしかないのかなぁ。

 

・・・あれ?

さっきまでブラタモリを見ながら楽しく飲んでいたのに、

目頭が熱くなってきたよ??

 

てつこは自分のことで精一杯だ。

己の心のぽっかり空いている穴を埋めることに必死だ。

それでも他人のことを考えるのならば、

学校が嫌で何もかもが嫌で自殺を選ぶ子どもがいない世の中になってほしい。

心が痛むニュースはお腹いっぱいである。

 

もう今日は寝よう。明日楽しいひと時が訪れることを願って、寝よう。

楽しかった夏の思い出と、不器用な家族の思い出がリンクして寂しさが増す。

先週はお盆休み。

特に旅行に行くわけでもなくだらだらと過ごす中、

てつこの家に友人とその娘ちゃんが泊まりに来た。

小学生の娘ちゃん。

少し恥ずかしがり屋だが笑顔のかわいい明るい子。

てつこは2人を連れて地元や大きな駅まで案内し、レッツ観光。

有名な店のパフェを食べたり、ラテアートを頼んだり、

プリクラをとったり、お土産を買ってまわったり。

女子力高めの3日間。

 

実は、泊まりに来る少し前からてつこはとても楽しみで、

娘ちゃんの行きたい店をネットでリサーチしては地図にメモっていた。

万全な準備により、エスコートは大成功(したはず)。

娘ちゃんはママのipadで写真を撮りまくり、

とても楽しそうにはしゃいでいたので、熱が出ないが心配した。

 

昨日、その友人から改めてお礼のLINEが来た。

『本当にありがとう。ところで、てっちゃんは子どもの扱い上手いね』

意外な内容に驚くてつこ。そうかなぁ…と返すと、

『コツが知りたいよー。なんか心掛けてるの??』

と質問あり。

何分も悩んだ挙句、

「自分自身も楽しんでたから、娘ちゃんも楽しんでくれたんじゃないかなぁ」

と自信なさげに返信。すると友人は、

『なるほど。それは子どもに限らずだね。ちょっと忘れてたわ。』

とのこと。

 

静かになった部屋で一人、てつこは友人との問答を通して

ぼんやりと思い出していた。

3人であちこち行って楽しかったなぁ。

娘ちゃんも楽しかったって言ってくれたし嬉しいなぁ。

だから今一人だと寂しく感じるなぁ。

そして自分がLINEで送った言葉をまた見返す。

 

『自分自身も楽しんでたから、娘ちゃんも楽しんでくれたんじゃないかなぁ』

 

てつこは笑顔で接して、娘ちゃんも笑顔で返してくれた。

だからこんなことを思ったのだろう。

娘ちゃんを通じて、自分の昔を思い出す。

 

てつこが小学生や中学生の頃、家族旅行に度々出かけた。

夫婦仲は壊れているが、「家族」の形を重んじるてつ母の発案だった。

どこに出かけても険悪なままだった。

 

いつものてつこなら、ここまで思い出して恨めしい気持ちになる。

が、今回はちょっと違った。

てつ母とてつ父に申し訳ない気持ちがすこーし出てきた。

『(てつこが)いつもつまらなそうにムスッとしていた』ことが引っかかったのだ。

旅行先の思い出写真には、てつこのムスッとした顔がいつも映っている。

楽しくなかったから。

何をしても、何をされても、楽しくなかったし楽しもうとしなかった。

そんなてつこを笑顔にしようと、

てつ母はガイドブックやカメラや絵を書く用の色鉛筆やら、色々買い込んでいた。

でも何をしてもてつこには響かなかった。

 

あの時のてつ母の努力を思い出し、自分にも非があったかなーと思う。

そして「あぁ、なんて不器用な家族なんだろう」と笑った。

筋違いの母、車の運転しかする気のない父、そして不愛想な娘。

誰も楽しんでないんだもん、そりゃあ楽しくならないよなぁ。

 

あーあ、となんだか寂しさが増した。

友人には「また来いよ~」とLINEを送った。別れ際にも何回も言ったのに。

きっと今度来るときは娘ちゃんは大きくなっている。

っていうか、たぶん思春期になるし来ないだろう。

知らないおばちゃんとプリクラなんて撮ってくれないだろう。

 

あーあ、とまた寂しくなって溜息が出た。

まぁなんにせよ、楽しいひと時をありがとう。明日からがんばるぜよ。

あの日見た星の真実を僕達はまだ知らない。

(某アニメタイトルをリスペクトしました)

てつこが高校生の頃、確か7月くらいだったか、

とある高山の合宿所に学年全員で泊まりに行ったことがある。

広い広い合宿所で、それなりに標高の高い所に建っていた。

とても涼しかったのを覚えている。

高校生とはいえ1年生だったので、まだ子どもだった。

廊下を走り回ったり、虫にギャーギャー騒いだり、

些細なことでも笑い合ったり賑やかなものだった。

 

肝心の合宿の内容は、忘れた・・・。

確か・・・カレーを作ったかな?

早朝起こされてラジオ体操をした気もする。

あ、そういえばその山の頂上まで登山をさせられた。

今では友人にくっついて低山に登るのは好きだが、

以前は運動のうの字も嫌いだったので登山なんてまっぴらごめんだった。

だが強制である。登らざるを得ない。

ヒィヒィ言いながら頂上まで行った。

最悪だったのは、帰りの登山道を先導の先生が間違えたこと。

たまたまその先生の後ろにいたてつこはこの耳で聞いた。

「あ・・・・・・道、間違えた。(小さい声)」

おい。

へらへらと笑い「あーごめん。道戻ろうかぁwwww」と言う先生に

明らかな殺意を覚えた。(その後時間はかかったが無事戻れました)

 

合宿中頃の夜、合宿所前の広場でレクリエーションが開かれた。

確か、出し物をしたり先生のありがたいお話を聞いたりした。

合宿という普段とは違う環境で、みんなガヤガヤしていた。

 

てつこは友人達数人と輪になっていた。

星空を見上げていたのだ。

とにかくキレイだった。星が近くに見えた。キラキラしていた。

その感動はよく覚えている。

 

てつ「すげー、きれいだー!。」

A子「すごいねー!」

B子「あれ星座かな?」

C美「〇〇〇座じゃない?」

 

ずっと星空を見ていた。

・・・・・・・・・・そして、次の瞬間。

 

全員「・・・・・・・あれ?え?え?」

 

星が、動いた。

 

一つ、やたら輝いていた星が、ピッと私たちの右手側に移動した。

 

全員「・・・・・・・・」

 

右手側に移動したかと思ったら、すぐ左へカクカクと移動した。

 

全員「くぁwせdrftgyふじこlp」

 

そして、パッと消えた。

 

全員「!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

その場にはてつこ含む6人くらいがいたが、全員顔を見合わせた。

 

A子「何、今の?」

B子「UFOだ!!!!!!すげっ」

てつ「まじか!まじか!」

 

動く星に興奮した。

何人も同時に同じ現象を見たのにも興奮した。

興奮しまくりでずっと大声でみんなで喋っていた。

ただ一人、C美だけがずっと無言で空を見ていた。

 

てつ「どうしたん、C美?」

C美「うーん」

 

C美「まぁ、この山、出るって話だしね☆」

 

・・・何がだよ・・・

・・・何が出るんだよ・・・

 

一同、しーんとなった。

妙に冷静なC美のその一言が、オカルトな空気を一気に引き寄せた。

急に涼しくなった気がした。

そういえばC美、変な白い影が見えるときがあるとか言ってたな・・・。

普段は笑い飛ばしていたエピソードが、急に笑えなくなった。

 

その夜はみんな消灯と同時に寝た。トイレにも誰も行かなかった。

「饒舌」な「自分」を「やめたい」

てつこは他人と喋るのが苦手である。

でも人見知りはしない。

一見両立できないように見えるが、実際そうでもない。

てつこはお喋りしていて楽しい人だと先日褒めていただいた。

会社で新部署に移った今、初めて喋る人とも仲良くできている。

従って人見知りではない。

 

でも、他人と面と向かって喋るのはやっぱり苦手なのである。

 

そういう方は意外と多いのではないだろうか。

人付き合いはするけどホントは苦手。

そんな感じ。

 

てつこの場合、身体に出てくる。

喋ると「異様に疲れる」のだ。異様に。

ただ疲れるのではなく、恥ずかしさや虚しさ・苛立ちといった

負の感情によって疲れてしまう。

家に帰って気分が沈む。

仕事や飲み会・友人との食事が3日くらい続くと頭痛がしてくる。

寝ても寝ても負の感情が忘れられなくなる。

これは菊池真理子さんのエッセイ1話目の描写と似ていてとても共感した。

arc.akitashoten.co.jp

 

特に「疲れる」から「やめたい」ことがある。

それは、テンション高くやたら喋ってしまうこと。

「饒舌」をやめたい。

相手が初見だろうとちょっと話したことある人だろうと、

よほど心の許せる相手じゃない限り饒舌スイッチが入る。

そして場を和ませようと、さも楽しげに喋り続けてしまうのだ。

(一方で、信頼している相手には無理には喋らない。

 むしろ聞き手にまわることが多い。。。)

 

一番自分で自分を許せないのは、

大して信頼していない相手にてつこの家の事情や

てつこのその時の悩みなんかをペラペラ喋ってしまうこと。

適当な話題が無くなった時なんかにしでかしてしまうことが多い。

会話をしていて話題がなくなり沈黙になると、

(やばい、なんか話出さなきゃ・・・!)と反射的に考え、

自分の話題を出してしまう。

後日、「てつこさんって大変だね~」とか言われて

(あれ?この人にこんなこと喋ったっけ・・・???」)となる。

そして自己嫌悪に陥る。恥ずかしい。メンドクサイ。何やってんだ自分。

・・・こんなことが未だにやめられない。

 

なんでだろう。

沈黙が嫌なのかな。

ノリの悪い奴と思われるのが嫌なのかな。

もっと考えると、険悪な雰囲気のてつ家の中で

食卓で明るく話題を振りまこうとしていた子どものてつこが

身に着けた処世術なんだろうな。

でも、もうそんなモノいらないはず。

それに雰囲気とか沈黙とか気にしなくてもいいはず。

 

明日は月曜日。

また昼休みにペラペラ喋って楽しげに演じるのか。

またテンション上がって一人トイレでぐったりするのか。

憂鬱だ。

コントロールできない自分が嫌だ。

 

『いらんことゆーな!』

これからはもう一人のてつこにツッコミになってもらおう。

てつこの饒舌スイッチが入ったら即ツッコんでもらう。

新しいインナーチャイルドの役割、なんてな。

勤勉少女と内気な女子大学生

てつこは学生時代、アルバイトで公文の先生をやっていた。

先生といっても小学生の答案に〇×つけるだけの簡単なお仕事。

その教室を開いている””本当の””先生は、

子ども自身に最後まで解かせるために

「ここはこうだよ」とか教えないようにてつこに指導していた。

そのため、ホントに〇と×を赤ペンでつけるだけで、

子どもたちとの触れ合いはほとんど無かった。

 

でも、今よりも内気で人見知りで子どもが苦手だったてつこにとって

これほどラッキーなアルバイトはなかった。

時給も良く、難しいこともなく、他の先生たちは優しく、

適度な夜の時間帯までバイトさせてくれるので居心地がよかった。

気付けば毎日のように採点していた。

 

その公文教室に、一人だけ大きい子がいた。

大きい、といっても背ではない。

高校生だ。

小学校低学年の子たちが賑やかな夕方が過ぎ、

外が暗くなり始めた頃、その子はそっと来て奥の端の席に座る。

 

相変わらず小学生の子たちは騒がしい。

走り回るわ、「できた!」と叫ぶわ、物は落とすわ、

たまーにおもらしする小さな子もいて、てんやわんやだ。

そんな中でも彼女は奥の方で黙々と教材を解く。

 

いつの間にか周りは中学生ばかりになり、静けさを取り戻す。

てつこ以外のバイトの先生たちは帰宅する。

教室が閉まる夜までは、本当の先生とてつこの二人体制だ。

そのくらいの時間帯になって、高校生の彼女はできた答案を

まとめて提出してくるのだった。

今思えば、小学生の対応で忙しい先生側に配慮していたのだろう。

 

てつこはそれまで知らなかった。

公文には高校生クラスの教材があることを。

彼女はそれを繰り返し繰り返し解いていた。

本当の先生曰く、高校生レベルの教材は全てやりつくしたとのこと。

どのくらいの数があるのかは知らなかったが、

全てやったのにはとても感心した。

 

一番感心したのは、彼女にはご家庭の事情があり

この公文教室でがんばりたいと本当の先生に伝えていることだった。

どんな事情かは聞かなかったが、何にせよ

教室が閉まるギリギリまでたくさんの教材を解き、

すぐ単語帳やキャンパスノートに書き込んでいる姿を見て、感動すら覚えた。

 

大学生のため一番「現役」に近いという理由から、

てつこは彼女の答案担当になった。

彼女はとても静かな子だった。お喋りは一切しない。

一方のてつこも喋らない。心の中では

「がんばれ!がんばれ!フレー!フレー!」

と熱くなっているのに、フフンと素っ気ない対応をしていた。

(あぁ、ちょっと気の利いたトークくらいすればよかった・・・)

 

ただ、彼女の頑張りにこちらも応えたくて、

細かいコメントを書いたりして役に立てるよう気を遣った。

彼女に伝わったかは全く不明だが、

それくらい気持ちを入れたくなる子だった。

 

一番心残りなのは、就活が忙しくなってしまい、

結果を知る前に公文の先生を辞めてしまったこと。

無事に希望の大学に合格したのか、もはや知る術はない。

 

彼女は今どうしているだろう。

会社員だろうか、主婦だろうか、フリーな感じだろうか。

いずれにしても、あの勤勉さが無駄になることはないはずだ。

「やろうと思って真剣に取り組むこと」

って意外と難しくて長続きしない。

それを高校生で実践できた彼女は、きっと強い人間になっている、かな。

 

どうか幸せでありますように。

思い出に固執して後ろ向きになる人と、そうでない人の違いはどこか。

超超超暑い日が続く中、てつこは納戸の整理をした。

実家を出た時に持ってきた(けど使ってない)モノが出るわ出るわ。

粗大ごみ券代もケチらずに捨てまくる。

段ボールの中から大きめのトートバッグが出てきた。

あぁこれは、学生時代にてつ父が買ってくれたものだ。

これかわいいなぁと見ていたら、気まぐれなてつ父が突然

「買ってやるよ(ドヤ顔)」と言ってくれたシロモノ。

汚れたら洗って使い、大分活躍してくれた。

そんな一品をてつこは保管していた。

 

一日悩んだ挙句、ごみ袋に入れた。

ちょっと胸が痛む。

まるで良い思い出を捨ててしまう気がしたのだ。

 

物と思い出はリンクしやすい。

だから胸が痛むのだろう。

もしかしたら、てつ母もそうだったのかな。ふと思う。

てつ母は物が捨てられない人だった。

タンスや押し入れに入りきらない洋服や化粧品、靴、お菓子、食器。

それらは野積みになり、やがてほこりをかぶってカビていった。

それでも捨てなかった。

てつ母はそれぞれの物にストーリーを持たせていた。

この服はてつちゃんが大きくなったら着せるのよ、

この食器はてつちゃんと一緒にお茶を飲むためのものよ、、、。

きっとてつ母には良き思い出でもあり、これからの希望でもあったのだろう。

だから捨てなかった。

 

てつこ自身のことに戻る。

数年前から断捨離が流行っている。

なにも捨てなくてもいいんじゃん?、とてつこは思っていた。

が、物が増え、雑多な感じになってきた部屋に嫌気がさして

ついに整理を始めた。

一番の理由は「思い出に囚われなくなってきた」からかもしれない。

学生時代に買ったものや、両親に買ってもらったもの、

それらが捨てられなかった。

あんなに嫌がっている過去の記憶なのに、捨てられなかったのだ。

嫌な中でも印象的な記憶。それにこだわっていた。守りたかった。

 

でもようやく最近、物と思い出を切り分けて考えられるようになった。

「物を捨てても、思い出が消えるわけではない」

そんな普通のことに気付けるようになった。

これは成長したのでは。

てつこは内心満足していた。一歩踏み出せた気がする。

過去に固執していた自分から、前を向き、行動に移す。

ごみ袋にいらない物を入れながら、よかったよかったと胸をなでおろす。

 

思い出に囚われている人は意外と多い気がする。

てつ母もそうだ。

最後に会った時、やり取りの節々から「良い子だったてつちゃん」の

思い出がにじみ出ていた。

てつ母は「大人になったてつちゃん」が

理解できない。見えていない。知ろうとしない。かわいそうな人。

彼女の中にはそれだけ昔の思い出の比率が高い。

だから前を向けない。

 

友人にもそんな人がいる。

飲むたびに「昔はよ~、モテたんだよ~、〇〇〇に言い寄られてさぁ」と

その話何回聞かされんだよ!とつっこみたくなるやつ。

そやつの腹はでぶっとして、モテた栄光の影すらない。

友人なので許すが、もし見知らぬ状態で居酒屋で隣になったら

席を移動するレベルだ。前を向け。痩せろ。ワンチャンあるかもよ。

 

(・・・あまりに身近な人に対してだったので、

 辛辣な言葉になってしまった。大変失礼しました。)

 

ただ、てつこはミニマリストになれるほど断捨離できそうもない。

思い入れのある物はある程度とっておきたい派だ。

適度に。

適度に物を置いて、適度に物を捨てる。

思い出も、ほどほどに。。。

死んだ魚の目のOLは、0点をとった高校時代を思い出し感傷に浸る。

連日暑い日が続く。

帰りの電車内も蒸し暑かったりクーラーが臭かったりして、

あんまり快適ではない。混んでいるし。

なにより自分自身が疲れている。

大した仕事をしていないけど、疲れている。

ガラス越しに映った自分の顔を見て、老けてんなーとがっかりする。

車内の夏らしい広告が目に留まる。

入道雲がもくもくとしている夏の青空。

あぁそういえば・・・と、高校時代のことを思い出した。

 

高校3年の夏。

数学ⅢかCか忘れたが、どちらかのテストがあった。

てつこは文系まっしぐらだったが、何故か履修してしまったのだ。

しかも数学は苦手。

大学入試では使わないことがほぼ明らかだったので身も入らない。

他の科目のテスト勉強を優先して、数学は一切手を付けなかった。

テスト当日。

案の定、最初の3問くらいしか解けない。

こりゃ最下位だろうなーと心の中で頭を抱えていた。

 

テスト結果の返却日。

先生が淡々と名前を呼んで、淡々と答案が返却される。

てつこの番。

答案に目を落とすと・・・0点!!!

 

なんということでしょう。解いた3問、かすってもいないじゃん!!!

っつーか、0点て!!!

リアルで初めて見たぜ!!!

 

↑こんなことを思っていると、不思議とテンションが上がってしまった。

そして、

「ぎゃっはははははははは!」

と爆笑してしまったのだ。先生や他の生徒の目の前で。びびる先生。

そんな中、友人が駆け寄ってくる。

「どうしたんよ???」

 

「見てこれ。」

てつこは0点を見せる。

 

「まじでかーはっはっはっはっはっは!」

爆笑する友人。

そして。

 

「私も!!!!!」

 

友人も0点だった。

 

二人でまた腹を抱えて笑った。

そして青春ドラマのように肩を組んで教室を出た。

(授業は終わっていたので大丈夫。)

先生が「点数言うなんてしちゃだめよー(苦笑」と制すが

二人の笑いは止まらない。廊下にいる子達が当然変な目で見てくる。

ってかなんで肩組んでるの?って感じだが、それほど

変なテンションに陥っていたのだろう。。。

 

 

電車が目的地に着いてはっとする。

降りて移動している最中も、ぼーっと0点事件を思い出す。

あの時の自分はよく笑い飛ばせたなぁ。

若干ショックだったけど、すがすがしい気持ちもあったなぁ。

「私も!」って言ってくれた友人もすがすがしいなぁ。

そんなことを思いながらトボトボ歩く。

 

今、0点って突き付けられたらちょっと凹むなぁ。

 

高校時代のキラッとする思い出が、疲れて弱った女の心に刺さる。

一方でちょっと気持ちが楽しくなる。

あの時の気持ちの良い「笑い飛ばし方」、忘れちゃったなぁ。

 

バカだったなぁ自分。

フフフと笑ってコンビニに立ち寄るのであった。