昔は安心できる家が欲しかった。今は逃げられる家が欲しい。
てつこは「実家」という言葉に憧れる。
てつこのイメージする「実家」は荒んでいてギクシャクしていて怖くて楽しくないもの。というか既に無いもの(離婚と退去で本当に無い)。
一般的にイメージされるのは、進学や就職で出て行って休みになったら「帰るの面倒だなー」と言いつつ帰ったら意外と居心地よくて両親健在で、東京ガスのCMみたいなところ。
そして自分に子どもが産まれたら、色々あるけど両親に頼りつつ育てていく場所の一つ。
先日のお盆休みを経て、改めて「実家」って羨ましいなとてつこは思う。
てつこが中学に上がるまでだったか、
夜寝るときは毎日部屋の窓を少し開けていた。
毎晩叫び声や物が壊れる音を聞き、ある日を境に夫婦喧嘩に包丁が持ち出されてから、
「夜何かあったら窓から逃げられるように」
てつこが意図的に窓を開けていたのだ。
てつ父もてつ母も勿論そんな意図は理解していなくて、
てつこの部屋を見に来ては気付いて閉めていった。
寝付いていないときは、てつこは起き上がってまた開けるほど徹底していた。
そう、家にいたけど緊張していた。
結局てつ家に安らぎが来ることなく解散したもんだから、
どうしても良いイメージがない。
実際に友人たちの「良い実家」におじゃますると、緊張の余り立ち尽くしたり
夜フラッシュバックで飛び起きたりと、不思議なもので身体に拒絶反応的なものが起きる。
【下記参照】
美味い餃子を食べながら、悲しい餃子を思い出す、しょぼいフラッシュバック - てつこはじと目でなにを見る?
8月になると思い出す、ある夜の出来事 - てつこはじと目でなにを見る?
今はもう無いんだから仕方がない。
諦めはつく。
今更てつ父やてつ母の保護者になるつもりはない。
ただ
仕事で悩んだり友人・恋人との関係で思いつめたり嫌なことがあったりした時に、
ちょっとだけ逃げ込める家があるといいなと頻繁に思う。
立ち飲み屋に行っても、仲の良い上司と飲んでも、かかりつけの精神科の先生と会っても、Twitterで呟いても、
所詮「赤の他人」が相手なのだ。
それはてつこの背景や性格を最初からは知らないということ。
さらけ出して話しても、通じない部分もある。
分かりえない部分もある。
ただもし0歳の時から暮らしていた家族ならば、良いことも悪いことも話せるだろう。
赤の他人では指摘しにくいことも言い合えるだろう。
都合よくフォローもしてくれるだろう。
家を出ててつ父もてつ母も見捨てた時は
親や実家や家族なんてどうにかなると思っていた。埋められると思っていた。
それでもやっぱり埋まらない所はある。
今のてつこができることは羨ましいなと思いながらも誤魔化すこと、カバーすること。
埋まらない、それを認めながら生きていく。
会社で赤ちゃんができた同僚やこれから結婚する同僚を見ると、
どうか幸せな家庭を作ってほしい
と心の底から真面目に思うのだった。